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第11話 恋


 怪盗との生活も、十日を超え。

 美優人は、怪盗の家での生活にも、すっかり慣れた。


 朝起きて、邸中をぐるりと徘徊する。

 花護家は武家の出であり、運動不足は身体に悪いと言われて育ってきた。その為、少しでも身体を動かしていたというわけであった。


 洋館は玄関を中心にして、両翼に左右対称に部屋が配置されている。


 一階は右側が食堂、左側が大広間になっていた。こちらは木の床であった。ダンスでも出来そうなほど広かったので、学校で習ったダンスのステップをおさらいしてみた。


 玄関ホールからはまっすぐに階段があって、踊り場には大きな花器がある。


 そこに花はなかったが、もし花を生けるとしたら何百本もの花が必要で、それだけでも大変な金額が掛かりそうだった。


 そして二階も左右対称に広がっている。

 右側が家の人たちの私室、左側がゲストルームだろうか。


 実際には、隠し部屋などがあるから、美優人が見ることが出来た場所だけではないのだろうが、広くて立派な邸だった。使用人達もいるのだろうが、姿を見ることはない。けれど、邸は清掃が行き届いており、食事も用意される。そして、清潔な衣類も用意されている。


 ここがどこにあるのか、窓の外を見てもよく解らなかった。邸は、高い壁に囲まれている。庭もあるようだったが、どれほどの広さなのかは判然としなかった。


 周囲の建物は、一切見えない。

(こういうお邸をお持ちなくらいだから、大金持ちなのかもしれないけど……)


 山奥の神官の家系というのと、あまり、結びつかない。

(もしかしたら、宝石を金子に換えて暮らしていらっしゃる……?)


 様々な宝石が狙われたという話しを聞いていた。侯爵家や宮様の家まで関わっているというのだから、驚きを禁じ得ない。


 それにしても、この洋館は立派だし、怪盗が、なにか悪事をするような方には到底思えない……。


 そういえば、『怪盗様』と呼ぶのもなんとなく気が引けて、仮の名前で呼ぶことを許して貰った。


 怪盗、と言えば西洋の小説が有名だ。その怪盗の本名がラウール。意味は狼だと、長兄が話していたのを覚えていた。なので、狼の別名である『真神まかみ』と呼ぶことを許して貰った。



「真神様」と呼ぶと、すこし遅れて、振り返って「なんです?」と柔らかい声で応えて、柔らかく笑む。その、流れるような瞬間が、とても好きだった。


 怪盗―――真神は、何かの仕事をして居るらしい。


 それは、怪盗の仕事に関係することなのか、あるいは、怪盗の仕事を隠蔽カムフラージュする為にしていることなのか、よく解らなかったが、二階の右手側にある書斎に閉じこもっていることが多い。


 沢山の洋書、沢山の和書もあった。

 作り付けの立派な本棚には、四つ目綴じの書物が、横に寝かせて置かれている。立派な表紙を持つ西洋の書籍に比べて和綴じの本というのは、自力で立つことが出来ない。無理に立たせると破損するから、寝かせて置くのが普通だ。花護男爵家でもそうしている。


 そして、地(本の下部)の小口の所に巻数や書名を記して、検索性を上げている。


 西洋から来た洋書も、旧い文書もんじょも、動揺に読みこなすらしかった。


 真神が仕事をしている間、美優人は、彼の午睡の時に読む本を選ぶ。


 ほんの少し、文学や物語、詩文の本もある。

 沙翁シェークスピア十二行詩ソネットなどもあって、おぼつかないながらに読んだ事もあるが、真神の方が英語は堪能だった。


「……『仕事』の都合で、外交官のまねごとをしたことがありますよ」

 と真神は笑うが、外交官になることが出来るのは、限られた血筋の人のはずだった。その誰かになりすましたのだろう。


 美優人は、真神に英語で何かを読むのは止めようと心に刻んでいる。美優人は、英語の授業が、安眠のための音楽のように聞こえる時があるが、真神ほど堪能であれば、美優人の英文朗読は、かえって笑いを誘うモノであろうと判断したからだ。


(さあ……何を読んでさしあげようか……)

 本のタイトルも確認せずに手にとった和綴じの本を開いて、思わず、美優人は本を落としてしまった。


「っ!!!」

「おや、どうしました」


 真神が近付いてくる。美優人は、顔が熱くなるのを感じていた。

 拾わなければ、と思ったのに、驚いてしまって身体が硬直して動かなかった。


「……美優人くん? 顔が、赤い。熱でも出ましたか?」

 真神が美優人が落とした本を手に取って、「ああ」と苦笑した。


「失礼、これは……この邸の本当の持ち主の趣味のようです」

 本は、徳川家が将軍であった昔の作品だった。


 絵物語、である。版画で刷られ、大量に作られた冊子で、絵とその絵にふさわしい詞書きが添えてあるものだ。内容は―――若衆が別の若衆を手籠めにするような内容で、……つまり、男色の作品だった。


「……ぼ、ぼくも……武家の子、ですから……、昔は、男色が多かったとは知っています。それに、学校でも、友人達の中には、義兄弟の契りを交わしたものもいると言うことですし、兄も……海軍の軍人ですから、こういうことは……」


 良くあることだし、気にしていない。なのに、過剰に反応してしまった。


 恥ずかしくなったのは、それをほんの一瞬だが、食い入るように見てしまったことと―――美優人の欲望が反応を見せていることだ……。


 真神に気付かれただろうか。恥ずかしいし、逃げ出したいのに、動けなかった。


「……ともかく、これは……、私の趣味ではないからね。安心してください。私は、あなたを、どうこうするつもりは、ありませんから」


 ここで、美優人は、ホッと安堵するべきだった。

 だが、美優人の心は、違った反応を見せた。


(なぜ……?)

 恵比寿屋角右衛門の男妾おとこめかけになるのは、死んでもゴメンだった。


 けれど、真神なら、あの、本のようなことを要求されたら―――と考えて、顔が、肌が。燃え上がるほど熱くなってしまった。


(え……っなんで……)

 こういうことは、しない、と言われて、残念に思った。むしろ、悲しい気持ちになった。


(僕……、真神様と……、こういうことが、したいんだ……)

 それは、多分、産まれて初めて抱いた、情欲を伴った、恋だった。


 呆然としている美優人を、真神が、苦笑しながら、見つめていた。




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