招き入れられた書斎に、人はいなかった。
「先ほどの人は、私の雇い主の使いの方です。……この書斎にはあちこちに隠し扉があって、そこを使って出入りして居ます」
「そう、なのですか……」
「さて、どうぞ、椅子におかけになって下さい」
進められたとおりに、椅子に座る。
その向かいに、真神も座った。
「さて」
とひといきついて、真神は、指を組み替える。いくらか、話しにくそうにしていたが、やがて口を開いた。
「まずは、信じて貰いたいのは……あなたに一目惚れしたのは本当ですよ」
ドキッと胸が跳ねた。
一目惚れと偽っていたのではないかと―――思ったのを見透かされたようだったからだ。
「……あの時、あなたに出会ったのは偶然でした。心を奪われたのも、事実です。あなたが、私を信じて下さるのならば」
真神は小首をかしげて、微笑している。
美優人は、こくん、と肯いた。
「ええ、信じます」
「それは―――ありがとう」
「……あなたに一目惚れはしたものの、あなたのことを探すこともしなくて、また、出会うこともないだろうと思って諦めていたのですがね」
「はい」
「……花護男爵家のご令息と知ったときには驚きました。偶然、恵比寿屋さんから出ていらっしゃるのを見かけて、あとを追ってしまったんです。
そして、恵比寿屋さんの仏像が、まさか、あなたの家に在るとは、あなたから聞くまで存じ上げなかったのです。あなたの家の使用人は、口が固くて、とても良い使用人達ですね」
「そう、だったんですか」
「……仏像の件は、全く、偶然です。そして、先ほどの会話を聞いていたのでしたら、おわかりかと思いますが、私は、雇われ怪盗なのです。職務で怪盗をしておりますが、そのついでに、怪盗の技をつかって、あなたと接触したというわけです」
「じゃあ、僕は……」
「平民と、男爵家のご令息が―――お話しする機会もないでしょうから、本当に出来心で攫いました。そうしたら、あなたが、やけに協力的だったので、これは何か、あなたのほうにも事情があるのではないかと思ったのです」
「事情……ええ、事情なら、お話ししたとおりで」
「そうなのです。まさか、怪盗の方の仕事に、あなたのご事情が絡むとは思わないではないですか……というわけで、私としては……、あなたのお話しから推察するに、きっと、あなたの家が留守になるのを見計らって、恵比寿屋の手のものが入り込んだのだと思いますよ。
最初から、こういう事は仕込みがあったのでしょう。そして、あなたの家に出入りして居る人の中に、恵比寿屋の協力者がいるはずです」
「協力者……?」
「ええ、協力者です。……でなければ、あなたの家が手薄になる時を、恵比寿屋さんが知ることはないでしょうから。そして、盗みの仕事をする際には、大抵、協力者がいるものですよ」
ふふ、と真神は笑った。
「いままでのお仕事にも……」
「ええ。協力者はおりました。……でなければ、侯爵邸や、宮様のお邸に入ることは不可能です。……美優人くん、あなたを攫ったせめてものお詫びに、必ず、恵比寿屋さんから、仏像を盗み出して見せますよ」
「えっ……」
「……私の仕事でもありますからね、一石二鳥です」
ははは、と真神は明るく笑う。
「……それが済めば、僕は、もう、お役目ごめんですか?」
「そもそも、最初は、こんなに長々と拘束するつもりはなかったのです……」
「結果として」
と美優人は切り出した。「僕の、避難のために、あなたのお邸に寄せて貰ったような形になってしまいましたけれど……」
「最初は……」
真神は、少し、目を伏せてから呟く。「……本当に、お話しだけ出来ればいいと思っていました。ただ、それだけです。一日二日、滞在していただいて……、そして、家へ戻っていただくという形です。それも、あなたに一目惚れした男の身勝手な願望ですけれども」
「……そう、なのですか」
「そうですよ。一緒に、お話しをして、食事をして……、そういうひとときを過ごしてみたかっただけ、なのです」
「あの、真神さまに、奥方様は……?」
真神は一瞬、目をまん丸くして驚いたが、すぐに笑った。
「私は……
それを、美優人は、寂しく思った。
真神になら―――触れられても良いと、思ったのに、と。
「破ったら……どうなるのですか?」
「まあ……仕事をクビになります。それと、実家から追い出されます。そのくらいではないでしょうかね。しかし、少なくとも、この仕事をやり遂げるまでは、誰かに触れるということは出来ないのです」
残念ですが、と真神は笑った。
美優人も、残念に思っていた。