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第28話_螺旋律のアルカナ

揺らぐ天秤



「またか」


未来調整官fuは低く呟いた。彼の目の前に浮かぶホログラムには、中東の情勢がリアルタイムで映し出されている。パレスチナ保健省から発表された民間人の犠牲者数、救急車への攻撃、レバノンでの戦闘激化の可能性。どれもこれもが、最悪の未来へと繋がる導火線だ。このままでは、世界は再び大規模な戦争へと突き進んでしまうだろう。


「なんとかしないと…」


fuはホログラムを操作し、情報の流れを追う。イスラエル軍、ハマス、ヒズボラ、各国の政府、国際機関。複雑に絡み合う利害関係と思惑が、未来の可能性を無数の分岐へと導いていく。その中で、最悪のシナリオを回避するための道筋を、彼は必死に探していた。


「無理だわ、fu」


背後から、ため息混じりの声が聞こえた。過去補填官paだ。彼女は両腕を組み、疲れた表情でfuを見つめている。


「見ての通りよ。すでに均衡は崩れ始めている。いくらあなたが未来を調整したって、流れを完全に変えることはできない」


「諦めるわけにはいかない」fuはpaに視線を向けず、ホログラムに集中したまま答えた。「まだ、方法はあるはずだ」


「時間疲労を無視するつもり?もう限界よ。これ以上調整を続ければ…」


paの言葉を遮るように、警報音が鳴り響いた。レバノンのヒズボラの指導者が、アメリカに対し警告を発したのだ。地域紛争が全面戦争へと発展する可能性を示唆するその声明は、世界中に緊張を走らせた。


「見なさい、fu。こうなることはわかっていたはずよ」


paの声が鋭くなる。fuは無言でホログラムを操作し、情報の流れをさらに深く追った。彼の額には汗が滲んでいる。時間疲労の影響で、集中力は明らかに低下していた。


それでも、fuは諦めなかった。僅かな可能性に賭けて、彼は複数の工作を開始した。まずは、情報の拡散を抑制する。SNS上の過激な発言を検閲し、フェイクニュースを遮断。次に、関係各国のキーパーソンに直接介入し、彼らの意思決定に微妙な影響を与える。そして最後に、過去に仕掛けた伏線を利用し、状況を有利に導く。


それらの工作は、目に見えるような変化をもたらすものではなかった。しかし、確実に、未来の分岐を少しずつ変えていく。それはまるで、巨大な振り子に微風を送り続けるような、気の遠くなる作業だった。



虚構の代償



「ふう…」


深夜、fuは椅子に深くもたれかかり、疲れた息を吐いた。彼の目の前には、一連の工作の結果が示されていた。レバノンのヒズボラの指導者は、数日前に比べ、やや穏健な発言をするようになった。イスラエル軍の攻撃も、限定的なものに留まっている。


「一時的にはね」


いつの間にか、paが部屋に入ってきていた。彼女はコーヒーの入ったマグカップをfuに手渡す。


「応急処置に過ぎないことは、あなたも分かっているでしょう?問題の根本は解決していない」


「分かっている」fuはコーヒーを一口飲み、疲れた目をpaに向けた。「だが、今は時間稼ぎが必要だった」


「時間稼ぎ…それで、どうするつもり?」


「分からない」fuは正直に答えた。「今はまだ、打開策が見えない。だが、必ず何か方法があるはずだ」


paはそれ以上何も言わず、静かにfuの隣に座った。二人は無言のまま、ホログラムに映し出される世界の情報を見つめた。そこには、一触即発の緊張状態が継続していることが示されていた。


「…ねえ、fu」しばらくの沈黙の後、paが口を開いた。「時間疲労って、本当に何なのかしら?なぜ、私たちはこんなにも疲弊しているの?」


「…分からない」fuは苦しげに答えた。「だが、これまでの未来調整と過去補填が原因であることは間違いない。私たちは、何かを間違えたのかもしれない…」


二人の脳裏に、過去の記憶が蘇る。幾度となく繰り返された時間跳躍、歴史への介入。その一つ一つが、世界の時間軸に微細な歪みを生み出し、積み重なっていった。その結果が、時間疲労と呼ばれる現象なのだろうか?


「いずれにせよ、私たちには立ち止まっている暇はない」fuは立ち上がり、再びホログラムを操作し始めた。「次の手を考えなければ…」



砂上の楼閣



数日後、事態は再び動き始めた。イスラエルとハマスの間で、限定的な停戦に向けた交渉が開始されたのだ。これは、fuの工作の成果の一つだった。しかし、喜びも束の間、今度は別の問題が浮上した。国連の報告によると、ガザ地区の住民が深刻な飢餓状態に陥っているというのだ。


「これじゃ、まるでイタチごっこね」paは疲れた表情で言った。「一つの火を消しても、すぐに別の火が燃え上がる。いったい、いつまでこんなことが続くのかしら…」


「分からない」fuは険しい表情で答えた。「だが、ここで手を緩めるわけにはいかない。必ず、突破口を見つけ出す」


fuはガザ地区への人道支援を加速させるため、新たな工作を開始した。国際機関や支援団体への働きかけ、関係各国への圧力、世論の喚起。あらゆる手段を使い、飢餓という新たな危機を回避しようと試みる。


現実は甘くなかった。イスラエルは、人道支援のための物資搬入は認めたものの、燃料の供給には制限をかけた。燃料不足によって、病院は機能を停止し、人々の生活はますます困難になった。


「どうして、こんなことに…」paは絶望的な表情で呟く。


「まだ、終わっていない」fuは自分に言い聞かせるように言った。「まだ、やれることはあるはずだ」


彼の言葉とは裏腹に、事態は悪化の一途を辿っていく。シファ病院から重症患者を搬送しようとした救急車が攻撃を受け、多数の死傷者が出た。イスラエル軍はハマスの利用を疑い、攻撃を正当化したが、それはさらなる非難を招いた。


「このままでは…」fuは絶句した。彼の脳裏に、最悪の未来が鮮明に映し出される。



虚像の真実



「やはり、だめだったのね…」


paは、呆然と立ち尽くすfuに声をかけた。彼女の声には、いつもの気丈さはなく、疲労と落胆が滲んでいた。


「まだ、だとは決まっていない」fuは力なく首を振り、震える手でホログラムを操作しようとする。しかし、疲労と焦燥で指先は思うように動かない。


「やめなさい、fu」paは、彼の腕を優しく掴んだ。「もう、限界よ」


「だが…」


「事態はすでに、あなたの手の届かないところまで来てしまった。これ以上、無理をしても…」


paの言葉を、否定することはできなかった。fuは全身から力が抜けていくのを感じながら、椅子に深くもたれかかった。彼の脳裏には、様々な光景が浮かんでくる。中東の惨状、苦しむ人々、混乱する世界。そして、それらを阻止できなかった自分自身への苛立ち。


「私たちは、何のために…」fuは自問自答するように呟いた。「一体、何のためにこんなことを…」


「…分からない」paもまた、疲れた表情で答えた。「でも、一つだけ確かなことがある。私たちは、逃げ出すことはできない。この時間軸に縛られている限り…」


二人の会話は、そこで途切れた。深い沈黙が部屋を包み込む。彼らは、まるで難破船に取り残された乗組員のように、絶望感に打ちひしがれていた。


その時、fuの脳裏に一つの考えが閃いた。時間疲労。それは、過去への介入の蓄積によって生まれたものだと考えていたが、本当にそうだろうか?もしかしたら、見ているものが間違っているのではないか?


「pa、ホログラムを最大解析モードに切り替えてくれ」fuは突然立ち上がり、paに指示を出した。


「え、今から何を…」


「いいから、早く」


paは戸惑いながらも、ホログラムを操作した。画面には、世界の情報がより詳細に表示される。しかし、それだけでは何も分からない。fuは目を閉じ、意識を集中させた。時間疲労の本質を探るために、彼は自身の感覚を研ぎ澄ませようとしていた。


「見えてきた…」


fuは呟いた。彼の目に映っているのは、情報ではなく、情報の奥底に潜む、何か別のものだった



時間歪曲点



「何が見えるの、fu?」paは不安げにfuを見つめた。


「…これは…」fuは言葉を探すように呟いた。「情報の流れではない。もっと根本的な…時間軸の…歪み?」


fuの目には、通常とは異なる世界が映っていた。情報の奔流ではなく、複雑に絡み合った糸のようなものが空間を埋め尽くしている。それはまるで、巨大なタペストリーのようでもあり、あるいは神経回路網のようでもあった。


「時間軸の歪み…?」paは困惑した表情で繰り返した。


「そうだ。私たちは、情報を調整することで未来を変えようとしてきた。だが、それは表面的なものに過ぎなかったのかもしれない。根本的な問題は、時間軸そのものの歪みにある…」


fuの言葉は、確信に満ちているというよりも、手探りの推測だった。しかし、彼が見ているものが、時間疲労の謎を解く鍵となる可能性は十分にあった。


「この歪みが…時間疲労を生み出している…?」paは、ホログラムに映し出される不可思議な光景を凝視しながら言った。


「おそらく…いや、それだけじゃない。この歪み自体が、私たちが変えようとしている未来を阻んでいるのかもしれない…」


fuは、歪みの中心にあると思われる場所に意識を集中した。すると、そこから無数の細い糸が伸び、世界中に網の目のように張り巡らされているのが見えた。その糸は、情報の流れと複雑に絡み合い、現実世界に影響を与えているように見える。


「この糸は何なんだ?情報の流れとは違う…」


fuはさらに意識を研ぎ澄ませた。すると、微かな声が聞こえてきた。それは、人々の心の声のようにも、あるいは時間軸そのものの囁きのようにも聞こえた。


「これは…集合意識?それとも、未来の可能性の残滓か?」


fuの言葉に、paは驚いた表情を見せた。彼女にも、かすかに声が聞こえているようだ。


「…もしかして、これが…」paは何かを言おうとしたが、言葉が出てこない。


「この歪み…時間歪曲点と呼ぼう。これが、私たちが直面している問題の核心だ」fuは断言した。「時間疲労は、この歪曲点を修復しようとする時間軸の反作用なのかもしれない」



糸の縫合



「でも、どうすればこの歪曲点を修復できるの?具体的な方法がなければ…」paは不安を隠せない様子で言った。


「具体的な方法はまだ分からない」fuは正直に答えた。「まずはこの歪みの構造を理解する必要がある。なぜ、このような歪みが生じたのか。この歪みが未来にどのような影響を与えているのか…」


fuは、歪曲点に意識を集中し続けた。彼を取り巻く糸のような構造は、複雑に絡み合い、その全容を把握することは容易ではなかった。しかし、時間をかけて観察を続けることで、徐々にその構造が明らかになり始めた。


「この歪みは…過去の特定の出来事と関連している…?」fuは呟いた。歪曲点を構成する糸の一部が、過去の特定の時間帯に集中していることに気づいたのだ。それは、彼らが過去に介入した時間帯と一致していた。


「やはり、私たちの過去への介入が原因なのか…」paは落胆した表情で言った。「私たちは最悪の未来を回避するために、必要なことしかしてこなかったはず…」


「それは、私たちの視点から見た判断だ」fuは冷静に答えた。「時間軸全体から見れば、私たちの介入は意図せぬ歪みを生み出したのかもしれない」


fuはさらに観察を続け、歪曲点を構成する糸を一つ一つ丁寧に辿っていった。すると、驚くべきことが分かってきた。糸の一部は、未来へと繋がっているように見えるのだ。つまり、この歪曲点は、過去と未来の両方に影響を及ぼしている可能性があった。


「未来へ…?」paは驚きの声を上げた。「でも、未来はまだ確定していないはず…」


「いや、そうとは限らない。この歪曲点が、未来の可能性をある程度固定してしまっているのかもしれない…」


fuの言葉に、paは絶句した。もしそれが事実なら、彼らがやろうとしてきた未来調整は、根本的に間違っていたことになる。


「だが、希望がないわけではない」fuはpaの不安を察したかのように言った。「この歪みを構成する糸は、完全に断ち切られているわけではない。まだ繋ぎ合わせることができる…」


fuは、糸の繋がりを修復するための方法を探り始めた。それは、非常に困難な作業だった。歪曲点を構成する糸は、目に見えるものではなく、意識で捉えるしかない。しかも、その糸は常に揺らいでおり、正確に操作することは容易ではなかった。


「集中するんだ…」fuは自分に言い聞かせるように呟き、意識を極限まで研ぎ澄ませた。彼は、歪んだ糸を一本一本丁寧に辿り、本来あるべき繋がりを見つけ出そうとした。


長い時間が経過したように感じられた。fuの額には汗が滲み、疲労は限界に達していた。彼は諦めなかった。この歪曲点を修復しなければ、世界は最悪の未来へと進んでしまう。


「見つけた…」


ついに、fuは糸の繋がりを修復するための突破口を見つけた。彼は、歪んだ糸と本来の糸を繋ぎ合わせるために、自身の意識を送り込んだ。それは、まるで外科手術のように精密な作業だった。


「頼む…繋がってくれ…」


fuの意識が糸に触れた瞬間、激しい光が彼の視界を覆った。そして、強烈な眩暈が襲ってきた。



再起動



意識を取り戻したfuは、自分が床に倒れていることに気づいた。全身が重く、疲労困憊していた。同時に、不思議な感覚を覚えていた。何かが変わった。確実に何かが。


「fu…!」paが駆け寄り、彼を抱き起こした。


「大丈夫か?何が…」


「成功した…と思う」fuはかすれた声で答えた。「時間歪曲点を…少しだけ修復できたはずだ」


fuは、ゆっくりと立ち上がり、ホログラムを見た。そこには、依然として緊張状態が続く中東情勢が映し出されていた。しかし、何かが違っていた。情報の流れが、以前よりもスムーズになっているように感じられたのだ。


「見てくれ、pa」fuはホログラムを指差した。「情報が…流れ始めている…」


paはホログラムを凝視し、驚きの声を上げた。


「確かに…以前のような停滞感がない。でも、どうして…?」


「時間歪曲点が修復されたことで、情報の流れが正常化し始めたんだ。このままいけば…」


fuの言葉を遮るように、警報音が鳴り響いた。新たなニュース速報が飛び込んできたのだ。イスラエルとハマスの間で、完全停戦に向けた合意が成立したという。さらに、ガザ地区への人道支援も拡大される見込みだという。


「これは…」paは信じられないといった表情でニュース速報を見つめた。


「やったのね、fu…あなたは、未来を変えたのね…」


fuは安堵の息を漏らした。喜びよりも疲労の方が大きかった。彼はまだ、時間疲労の影響から完全に回復していない。


「まだ終わってはいない」fuはpaに言った。「これは、始まりに過ぎない。私たちは、時間歪曲点の全てを修復しなければ…」


「分かっているわ」paは力強く頷いた。「でも、まずは少し休んだ方がいい。あなたも私も、限界よ」


fuはpaの言葉に頷き、深く息を吐いた。彼の脳裏には、修復された時間歪曲点のイメージが浮かんでいた。以前よりも安定しているように見えたが、まだ完全に元の状態に戻ったわけではない。


「時間との戦いは、まだ続く…」fuは呟いた。


彼は、この長く困難な戦いに終わりが来るのか、確信を持てずにいた。それでも、彼は再び立ち上がり、未来を調整し続けるだろう。時間疲労という謎を抱えたまま…

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