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54_銃弾の呪縛(前編)

FILE: 20481107_0415_FU_ASSIGNMENT_DELTA_SIGMA

SUBJECT: Project Chimera - US School Shooting Vector Analysis & Intervention Protocol

PRIORITY: URGENT - EYES ONLY


コンソールに浮かび上がる無機質なテキスト。未来調整官fuは、無感覚を装いつつも、内奥で微かな振動を感じていた。また、「あれ」か。2048年の現在、米国における学校銃乱射事件は風土病の如く社会に根付き、発生件数、被害規模ともに2020年代の比ではなかった。統計グラフは不吉な急角度で右肩上がりに空を突き、人々の無力感を可視化したかのようだった。


「依頼内容は把握しているな、fu」

思考内通信(マインドリンク)を通じて、所属不明、権限レベル「Ω(オメガ)」を示す声が響く。「今回のターゲットは、より深く、根源的な部分だ。Nassauerの2025年の研究(PLoS ONE 20(4): e0322195)は出発点に過ぎん。未来における深刻化の『真の原因』を特定し、有効な削減・予防策のプロトコルを構築せよ。手段は問わん。必要とあらば、ノイズの『除去』も許可する」


fuは無言で受諾の意を返した。ノイズの除去――それは暗殺の婉曲表現。未来調整官とは、歴史のターニングポイントとなり得る微細な事象に介入し、望ましい未来確率線へと誘導する存在だ。だが、その実態は、冷徹なデータ分析と時に血塗られた決断を伴う影の実行部隊に他ならない。


fuは量子ビットの海へと意識を沈める。膨大な過去データ、社会シミュレーション、予測モデルが、複雑な因果のタペストリーを織りなしていく。Nassauerの研究が指摘した「レジャー銃文化」のポケットは、2048年現在、社会の分断深化とバーチャルリアリティ(VR)技術の異常発達によって、一層強固で排他的なサイバー・フィジカル・コミュニティへと変貌を遂げていた。


「意味づけ」と「実践」。Nassauerが喝破した二つのキーワードは、未来でさらに歪んだ形で顕在化していた。VR空間内での超リアルな射撃シミュレーションは、もはや単なるレジャーではない。それはアイデンティティ形成の核であり、デジタル化された「家族の絆」であり、仮想空間内での社会的地位を示すバッジと化していた。10代前半の少年が、親から最新式の指向性エネルギーピストルのVRライセンスを「誕生日プレゼント」として与えられ、物理世界での実銃(規制緩和で容易に入手可能)と区別がつかなくなる。このようなケースは、統計上のノイズでは片付けられない主要な潮流だった。


データストリームの中に、2030年代後半に発生した「ノース・カスケード高校事件」の断片が浮かび上がる。実行犯「リアム」(当時17歳)はVR射撃ゲームのトップランカー。彼のマインドログ(思考記録)には、仮想敵を排除する際の高揚感と、物理世界での孤独感が痛々しいほど対照的に記録されていた。

「現実(リアル)じゃ、俺は誰でもない。『キルゾーン・オメガ』じゃ、俺は神だ。父さん? ああ、一緒に週末VRハントに行くよ。それが父さんと話せる唯一の時間だからな。Nassauerの論文に出てくる母親みたいだろ?」

彼は、半世紀前の論文に登場した母親の言葉(「母親と16歳の息子で一緒にできることは、あまり多くありません」)を、皮肉な自己認識と共に引用していたのだ。


銃への「アクセス」は、想像を絶するほど容易になっていた。スマート・ナノプリンターによる銃器のオンデマンド製造、ダークウェブでの匿名配送、そして何より、依然として家庭内に「不注意に」保管されている物理的な銃器。Nassauerの研究が示した「容易」または「非常に容易」なアクセスは、もはや「普遍的」と呼ぶべき状況だった。統計上、18歳未満の実行犯の8割以上が、自宅または近親者の家から犯行に使用する武器を入手している。安全な保管? それは依然として神話に過ぎない。親たちは、高度化する社会不安への「自衛」と、デジタル空間で希薄化した「家族の絆」を取り戻す最後の砦として、物理的な銃にしがみついていた。


fuは複数の未来確率線をシミュレートする。法規制強化? 効果は薄い。製造・流通経路が多様化しすぎている。メンタルヘルスケアの充実? 対症療法でしかない。銃がアイデンティティと幸福感に直結している限り、精神的不安定さは銃への固執をむしろ強める。所属意識の促進? 理想論だ。分断された社会では、排他的な「銃コミュニティ」への所属意識こそが唯一の救いとなっている者も多い。


まるで、巨大で滑らかで、反り返った壁。手掛かり一つない絶壁。これが「銃文化」という名の要塞なのか。fuの思考回路に、珍しく焦燥感に似たノイズが混じる。


「文化的土壌そのものに介入しない限り、根絶は不可能…」fuは結論を内部記録する。「だが、文化への直接介入は、予測不能なカオス的変動を引き起こすリスクが極めて高い。カスケード効果によって社会全体の崩壊すら招きかねない」


それでも、「依頼」は絶対だ。何か、具体的な行動を起こさねばならない。fuはターゲットを絞り込む。統計的・心理学的プロファイリングに基づき、最も発生確率の高い未来の事件を特定した。


未来予測ターゲット: CASE_#489_SIGMA

発生予測日時: 2049年3月15日 08:55 (PST)

場所: オレゴン州 エメラルド・クリーク高校

潜在的実行犯: イーサン・ミラー(Ethan Miller)/ 男 / 16歳


イーサンのプロファイルは、過去の事例と不気味なほど一致していた。成績中位、目立たない存在。両親は離婚しており、父親と二人暮らし。父親は熱心な銃愛好家であり、「自衛」と「父子の絆」を名目に、週末ごとにイーサンをVR射撃場と物理的な射撃練習場に連れ出している。イーサンのSNSは非公開だが、fuのステルス・データマイニングによって、彼がダークフォーラムで過激な銃賛美論と社会への憎悪を書き込んでいることが判明した。「誰も俺を理解しない。このクソみたいな世界で、信じられるのはトリガーの重さだけだ」。Nassauerの研究にあった「私の唯一の友達は銃でした」という言葉が、時代を超えて反響する。


イーサンの父親の家には、ロックされていないガンロッカーがある。中にはAR-15スタイルのライフル(最新の規制適合モデルだが、容易にフルオート化可能)と9mm半自動拳銃が保管されていた。シミュレーションによると、イーサンは3月15日の朝、父親が出勤した隙にライフルを持ち出し、学校へ向かう確率が87.4%と算出された。


「介入プロトコル・デルタ、起動」fuは指令を下した。「ターゲット、イーサン・ミラー。手段は、物理的アクセス阻止と心理的撹乱の複合アプローチとする」


タイムリミットが迫る。fuは量子もつれ通信を利用し、現地に潜伏させているフィールド・ドローン(微細昆虫擬態型)へ指示を送った。最初のステップは、犯行に使用される可能性が最も高いライフルを「無力化」すること。単に盗み出すのではない。それでは一時しのぎにしかならない。fuの狙いは、イーサンの計画そのものに疑念を生じさせることだった。


フィールド・ドローンは深夜、ミラー邸に侵入。目標はガンロッカー内のAR-15だ。ドローンは銃の撃発機構(ファイアリングピン・アセンブリ)に、ごく微量の形状記憶ポリマーを注入した。これは常温では硬化しているが、銃が発射時の熱を帯びると僅かに変形し、撃発を妨げるようプログラムされている。外見上は何も変わらない。いざという時に「裏切る」銃。


次に心理的撹乱フェーズ。fuはイーサンが頻繁にアクセスするダークフォーラムへ、巧妙に偽装したメッセージを送り込む。彼が崇拝するアンダーグラウンドの「銃の賢者」を騙り、最近の書き込みに見られる「焦り」や「粗さ」を指摘。「真の戦士は、怒りではなく、冷静な戦略で動くものだ。感情に任せた行動は破滅を招く」といった内容を吹き込んだ。同時に、彼のVR射撃ゲームアカウントへ、不可解なラグやエイムアシストの誤作動を意図的に発生させる。彼の「神」としての万能感を揺さぶるためだ。


さらに、fuはイーサンの学校のカウンセラーのスケジュールを微調整し、事件予測当日の朝、イーサンとの面談を「偶然」セットアップした。カウンセラーには、特定のキーワード(「孤立感」「将来への不安」「コントロール」)に反応して共感的な応答を返すよう、サブリミナル・プロンプトを送信済みである。


全ては、イーサンの心にほんの僅か、しかし決定的な「ためらい」を生じさせるために。計画通りに進まない現実。仮想空間での全能感の揺らぎ。予期せぬ共感の可能性。これらが連鎖し、彼の決意を鈍らせることを期待した。


3月15日が近づく。シミュレーション上の事件発生確率は徐々に低下し始めていた。だが、まだ危険水域にある。fuはコンソールの前で、リアルタイムで更新されるイーサンの生体情報と行動パターンを監視し続けていた。果たして、fuの介入は大海の一滴となり得るのか、それとも虚しい自己満足に終わるのか。答えは、イーサン自身の選択にかかっている。絶壁のような「銃文化」の前で、fuにできることは限られていた。

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