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第61話 クレノの軍服とシンダーナ神聖帝国の野望②


 皇帝は立ち上がり、報告書を床に叩きつけた。


「貴様らにはどうやら目玉というものがついていないようだ。同じものを目にしていながら、なにゆえそのようにのんびりと腰かけていられるのだ!」


 臣下たちは慌てて椅子から立ち上がり、その場に平伏する。


「答えよ。もしも我がシンダーナとヨルアサ王国が牙をまじえたとき、帝国が取るべき作戦は何か!!」

「——はっ。シソー公国と同盟を締結ていけつし、シンダーナ神聖帝国と公国の両軍を同時にヨルアサ王国に進軍させる二正面作戦がふさわしいと存じます!」

「して、二正面作戦の弱点とは何か!」

「そ、それは……二国間の連携がうまくいかないことにより……」

「その通りだ。いかに強大な軍隊を用意したところで、各個撃破されてしまえば意味はない! 報告を見よ! ——ヨルアサの新しい魔法兵器開発部門は、木馬を軍馬に変え、高速で飛翔する絨毯じゅうたんを開発しているという!」


 重臣たちは大慌てで報告書に再度目をとおす。

 そこにはクレノが書いた馬鹿馬鹿しい珍兵器と、それが引き起こした信じられないような大騒動がある。しかし、シンダーナ神聖皇帝の慧眼けいがんは、それらの大騒動の中に別の意図を読み取ったようだ。


「しかし陛下。いずれも試験に失敗し量産化をあきらめたとありますが……」

「馬鹿者! 報告書に書かれているのはしょせん口先だけのこと!! ヨルアサ王国軍は確実に、高い機動力を武器とする戦略を立てているに違いないのだ!!」

「そ、そんな、まさか……」

「考えてもみよ、木馬が軍馬に化けるのだぞ。それすなわち、現存するヨルアサ王国の歩兵がすべて騎兵として襲いかかってくるということ。空を飛ぶ絨毯じゅうたんから爆薬を降らされたならば、帝都は瞬く間に火の海ぞ。おそらくヨルアサ王国は、我がシンダーナが秘密裡ひみつりに立てた対ヨルアサ戦略を見抜いておるに違いない」

「陛下、恐れながら、それは考えすぎかと……」

「愚か者めが!」


 シンダーナ神聖皇帝は一声叱責すると御簾みすの内から出て、ひざまずく臣下の元に駆けより、服をむんずと掴んで宙に吊り上げてしまった。


「このような愚か者は我が家臣にはいらぬ。存在だけで帝国への反逆である! 衛兵、連れていけ!」

「陛下、そんな、お助けを~~~~っ!」


 ひとりが無理やり連れて行かれたのを見て、会議はさらに冷たくこごえた空気になる。


「誰でもよい、魔法兵器開発者を呼べっ!」


 皇帝の一声で、すぐさま魔法兵器開発省の長官が呼び出される。

 齢六十歳頃だろうか。

 すでに髪は銀色に染まり、落ち着いた物腰ながら切れ長の鋭い瞳をしている。

 周囲の者たちが古風な民族衣装を着ている中、彼はヨルアサ王国やシソー公国で一般的な、袖に余分な布のないシンプルな上着を着ていた。


「クレノ・ユースタスという魔法兵器開発者に聞き覚えはあるか!」

「はい皇帝陛下。ヨルアサ王国北部地方軍所属のまだ若い技官であると聞いております。一時は局長の椅子を争ったそうですが……失態をおかし左遷されたという噂です」

「ふむ。失態とな」

「はい、作成した魔法兵器が爆発事故を起こしたそうです」

「その魔法兵器については知識があるか」

「いえ、寡聞かぶんにして……」

「密偵が送ってきた情報がある。目を通してみよ」


 長官に巻物が渡される。

 彼は時間をかけて、その灰色のまなざしで巻物の内容を丹念に精査する。

 そのあいだ、彼よりもはるかに身分の高い臣下たちは、生きた心地もせずに床に伏している。異常な事態であった。


 報告書に目を通した長官は、断言する。


「陛下、報告が正しければ、この者は——不世出ふせいしゅつの天才ですな」

「間違いないか」

「はい。間違いございません。十年……いや百年にひとりの傑物けつぶつでございます」


 皇帝は叫んだ。


「今すぐヨルアサ王国に選りすぐりの密偵みっていを、これまでの倍の数を放つのだ! なんとしても魔法兵器開発局に潜入し、その動向を探らせよ!」

「しかしヨルアサ王国は、いまのところシンダーナ神聖帝国に敵意は見せておりませんが……」

「反意があってからでは遅いのだ!」

「……御意に!!」


 家臣たちはまるで天災にでも見舞われたかのように、あちこちに散らばっていく。

 皇帝が下した決断に従わない、能力がないと思われればすぐにでも職務を失うことになる。

 それどころか牢屋送りになり、一族郎党殺されてもおかしくない。


 シンダーナ神聖帝国は、ヨルアサ王国とはリアリティレベルが違うのである。


 混乱の中で、長官は静かにこうべを垂れ、退室した。



 *



 王宮の長い廊下を歩いていくと、中庭で呼び止められた。

 そこには数人の女官たちがおり、呼び止めたのはうっとりとするような蜂蜜色の肌を民族衣装につつみ、女官たちを従えるひときわ高貴な女性——シンダーナ神聖皇帝の第一皇女であった。

 18歳という若さでありながら、すでに、いくつもの詩歌にうたわれるほどの美貌である。


 彼女は侍女たちから離れ、長官に近づく。


「ごきげんよう。ちょうど宮中を散歩していたところです」

「ご機嫌麗しゅう、殿下。本日はまことお日柄もよく……」

「あいさつはよい。後宮に戻るところですから、共に参りましょうぞ」


 ふたりは並んで歩き始め、侍女たちが少し離れて後に続く。

 そのとき、知性に満ちた皇女の瞳がきらりと光った。


「長官殿、さきほど会議の場を通りがかったのですが、わたくし、そこで思わぬことを耳にしました」

「まさか盗み聞きとは人が悪いですな」

「いいえ、窓を開けて話すほうがよほど悪いのです。長官殿——お父様が言っていらした報告書については、わたくしも目を通しました。まるでオモチャ箱をひっくり返したようなありさまで、とてもまともな研究開発とはよべませんわね。しかし貴殿が議場であのように言えば、心配性な神聖皇帝は人を使い予算を削り、無駄な対ヨルアサ王国二正面作戦という架空の争いごとに没頭しかねません」

「皇帝陛下のお考えもあながち的外れなものではありません、殿下」

「あら。あなたも、態度では恭順の意を示しながら、実際は帝国の国益を少しでも損なおうとふるまう、潜在的な売国奴なのかしら」


 長官は少し微笑むと、議場から持ち出した巻物を手にとり、広げた。


「殿下。私は嘘は申しません。とくに魔法兵器開発のことに関してだけは」

「どうかしらね」

「こちらをご覧ください。クレノ・ユースタスという技術者が開発したものです」


 美貌の姫君は、差し出された巻物を手に取る。


「もちろん私にも、くだらないオモチャの数々は見えております。しかし無数のオモチャがあふれる箱の底には、何か意外なものが眠っているやもしれません。私が思うに彼は見ておりますな」

「何をじゃ?」

です」

「未来……?」

「殿下、心なさいませ。この男は本当に恐ろしい人間ですぞ。彼が広げる未来絵図は、絵図は絵図でも、とんでもないです」


 姫君は、アクアマリンのように澄んだ瞳を巻物に向ける。

 そこには模擬試合の際、クレノが持ち出した現代兵器があった。


 ————『鉄条網』である。

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