まだまだ誤解はされているし、違うとどれだけ主張してもエドアルドは先見の目を持っていると思われている。
アウローラが剣技を習いたいと主張したときにエドアルドが賛成したのには訳があった。
(アウたんは今の時点で天使かと思うくらいかわいいんだよ! レーナ様に似ていたら将来はものすごい美少女になるに決まってる! アウたんを狙って男たちが襲い掛かりかねない! そのときのために、アウたんは護衛の手段くらい持っていた方がいいと思うんだ!)
それも先見の目で予言したことになってしまったが、もはやそれに対してはエドアルドは諦めの境地に入っていた。どれだけ否定したとしても、リベリオもジャンルカも聞いてくれない。義理の親子のはずなのにどうしてこういうところはそっくりなのだろう。
ジャンルカがこういう性格だったなんてエドアルドは知らなかったし、リベリオとアウローラがやってきて、レーナとジャンルカが結婚してからエドアルドはジャンルカと話す機会が多くなった。
それまではジャンルカは忙しく、エドアルドと関わる時間が持てずにいたのだ。
父と関われるようになったのは嬉しいが、誤解されているのは困ってしまう。
(どうして! リベたんと! お父様は! そんなにもそっくりなの? なんなの? 二人は運命の親子なの? もう、誤解がひどすぎるんだけど!)
心の中で困りきっていても、リベリオにもジャンルカにも届かない。
だが、リベリオはエドアルドのことを「大好き」と言ってくれたし、アウローラもエドアルドのことを「だいすち」とかわいく言ってくれた。
エドアルドも二人に「大好き」と返した。
(リベたんの「大好き」とアウたんの「だいすち」いただきましたー! なんて幸せなんだ! しかも、ぼくの「大好き」も誤解なくリベたんとアウたんに届いたー! 今日はなんていい日なんだ! ぼくは生まれてきてよかったよ! 命を懸けてぼくを産んでくださったお母様、本当にありがとう!)
亡き母に感謝しつつ、心の中で天を仰ぎ見て祈りのポーズをするエドアルドだが、その表情はいつもの通り全く変わらず、祈りのポーズすら取れていなかった。
お茶の後にはリベリオの部屋を訪ねると、アウローラも来ていて、アウローラが魔法を教えてほしいと言ってきた。まだアウローラの魔力核も魔力臓も未発達なので魔法を使えるとは思えなかったが、ひっくり返って駄々をこねるアウローラを見ていると、教えてやりたいという気持ちがわいてくる。
(アウたんがそんなにしたいなら、お兄ちゃん、教えてあげる。アウたんができる範囲で魔力制御を覚えていこうね!)
膝の上にアウローラを抱き上げて魔力の制御を教えていると、妙なことに気付く。
アウローラは三歳という年齢にしては魔力核が発達していて、魔力臓も大きいのだ。そのため体中に行き渡らせる魔力の量が多い。
(アウたんは天才だった!? こういうのを天才って言うんだよね? 神が与え給うた才能ってやつだよね! すごい! これならアウたんは本当に魔法を使えるようになるかもしれない!)
感動していると、リベリオが部屋の端で突っ立ってどこか寂しそうにしている。その表情にエドアルドは衝撃を受けた。
「リベリオ、心配?」
「え……? はい、少し」
こんな小さなアウローラに魔力の制御を教えるのは常識に外れている。魔力の制御は十二歳になって学園に通うようになってから教えられるのが普通だ。リベリオには魔力を無意識に使って魔力が枯渇状態になって苦しまないように少し早いが魔力の制御を教えたが、アウローラに教えるのはやりすぎたかもしれない。
優しいアウローラの兄のリベリオはエドアルドを責めようとして、エドアルドが兄だから責められずにいるのかもしれない。
「ごめん……」
「いいえ、エドアルドお義兄様が決めたこと。わたしはエドアルドお義兄様を信じてる」
(ぼくがアウたんかわいさに魔力の制御を教えたことをリベたんは責めているんだね。リベたん、ごめんなさい。ぼくは三歳の女の子に何をしているんだろう。本当に申し訳ない。リベたん、物分かりよくならなくてもいいんだよ。お兄ちゃんを責めていいんだよ!)
エドアルドがそう思っているのに、リベリオは悲しそうな顔でエドアルドを信じていると言った。エドアルドの良心が罪悪感でちくちくと痛む。
「エドアルドおにいたま、またおちえてね!」
元気に嬉しそうに部屋に戻って行くアウローラに、エドアルドはもう教えないなんてことは言えないのだった。
二人きりになるとリベリオがソファに座るエドアルドの横に座ってくる。体をぴったりとくっつけるようにしてくるリベリオに、エドアルドは胸がドキドキする。
(どうしたの、リベたん! お兄ちゃんにくっついて! ものすごくきゃわいいんだけど! なにこれ!? お兄ちゃん、役得じゃない?)
心の中で大興奮しているエドアルドが鼻血が出ないように鼻を押さえていると、リベリオはエドアルドの手を握って意を決したように口を開いた。
「エドアルドお義兄様は、母のことをどう思っているの?」
「レーナ様とお父様の結婚は祝福している」
(そんなの決まってるでしょう! レーナ様がお父様と結婚してくださらなかったら、お兄ちゃんにもなれなかったし、リベたんとアウたんと出会うこともなかった! お兄ちゃんはレーナ様に感謝してるし、最高にハッピーなんだよ!)
その気持ちを込めて微笑んだつもりだったが、僅かに口角が上がっただけでエドアルドはリベリオに儚げな悲しい笑みを浮かべたように思われているなんてことを知るはずがない。
「エドアルドお義兄様が母を受け入れられない気持ちは分かるよ。でも、少しずつでも歩み寄ってくれたら嬉しいとわたしは思っているんだ」
「受け入れられない……」
「今はそうでも、仕方がないよね」
リベリオの言葉にエドアルドは驚いてしまうが、リベリオはエドアルドの口から出た言葉に、納得して悲し気な笑みを浮かべている。
(ない! そんなのない! ない! ない! 受け入れられないとか、ないよ! ぼくはレーナ様のことを受け入れてるつもりだし、お義母様と思って……そうか! ぼくが「レーナ様」とよそよそしい呼び方をするから誤解されちゃうんだね! 分かった! リベたん! 次からはお兄ちゃん、レーナ様を「お義母様」ってちゃんと呼ぶからね! もう馴れ馴れしいかもしれないなんて言ってられない! リベたんにこんな悲しい顔をさせちゃいけない!)
心に決めたエドアルドは次にレーナに会ったら、「お義母様」と呼ぶことにしたのだった。
自分の部屋に戻ると、エドアルドは部屋のローテーブルの上にノートの束ようなものが置かれているのに気付いた。手に取ってみると、上に乗っていた紙がはらりと落ちる。その紙を拾うと、ジャンルカからの伝言が書いてあった。
『これは亡くなったお前の母、カメーリアの日記だ。カメーリアのことを忘れられず、わたしは心が苦しくなって読めないのだが、エドアルドが母のことを知りたいと思ったときにでも呼んでほしい』
ジャンルカはジャンルカなりに、エドアルドとレーナの関係性に気を配っていて、エドアルドが心の整理をできるように亡き母、カメーリアの日記を渡してくれたのだろう。何冊もある日記の一つを手に取ってエドアルドはページを開いてみる。
「エドアルドお義兄様、明日のことなんだけど」
そのとき、部屋のドアがノックされてリベリオの声がしたので、エドアルドは日記を閉じてローテーブルに置いた。
ドアのところまで移動してドアを開けてやると、リベリオが廊下に立っている。
「明日は朝食後にアマティ公爵領に帰るけど、朝食前にエドアルドお義兄様が魔力を注いでくれるときに、魔法の使い方も教えてほしいんだ。わたしも、いつまでもエドアルドお義兄様に守られてばかりじゃいけないから」
「分かった」
「わたしが起きるのが遅かったら時間がなくなるから、起きて来なかったら、エドアルドお義兄様、起こしてくれる?」
「いいよ」
返事をするとリベリオは安心したように微笑んだ。その微笑みにエドアルドの心が癒される。
「エドアルドお義兄様は何をしていたの? お邪魔じゃなかった?」
「母の日記を……」
「亡くなられたお母様の日記を読んでいたの? そんな大事なときにごめんなさい」
謝るリベリオにエドアルドは手を取って部屋の中に招く。
うまく自分では説明できそうになかったので、ジャンルカが添えてくれていた手紙をリベリオに見せた。
「お義父様は、エドアルドお義兄様にお母様の日記を読んで心の整理をしてほしかったんだね」
「リベリオ、そばにいてくれる?」
「わたしでいいなら、いつでもそばにいるよ」
亡き母の日記を見るときに少なからず動揺してしまうかもしれない。それを思ってリベリオに甘えたようなことを言えば、リベリオはエドアルドの横に座って一緒にいてくれると言ってくれた。
日記を手に取ってページを捲ると、カメーリアの筆跡なのだろう、力強い文字が書かれている。
『ジャンルカ様に! 気持ちが! 通じない! どうして動いてくれないの! わたくしの! 表情筋!』
力強く書かれた文字からは叫びが聞こえて来そうだった。
(母よ、あなたもそうだったのですか!?)
エドアルドは氷の公子様と呼ばれるくらい表情が動かない。その件に関してはエドアルドにも自覚があるのだが、動かないものは仕方がないので諦めていたが、それはどうやら母であるカメーリアからの遺伝のようだった。
『みんなが! わたくしを! 「氷の淑女」なんて! 言うんですけど! わたくし、そんな大層なものじゃなくて! ただ! 表情筋が! 仕事しないだけなんですけど!』
(なんということだ! 母もぼくと同じ、表情が乏しい方だった!)
衝撃のあまり椅子から滑り落ちて床に膝を突いて崩れ落ちたエドアルドに、リベリオが肩に手を添えて心配そうに顔を覗き込んでくる。
「悲しい内容だったんだね……エドアルドお義兄様、無理にお母様のことを忘れる必要なんてない。エドアルドお義兄様はそのままで素晴らしい方なんだから!」
慰めるようにエドアルドを抱き締めて来るリベリオに、エドアルドは衝撃のあまり何も言えなかった。
表情が動かないのが母の遺伝で、母もそのことに悩んでいただなんて全く知らなかった。
『ジャンルカ様はわたくしを誤解している。わたくしはジャンルカ様一筋で、お慕いしていて、ジャンルカ様と結婚できるのが嬉しいのに、幼いころに婚約を決められたから仕方なく結婚するとか思われてしまっている。「それでもこれから愛を築くことはできる。カメーリア、わたしはあなたを愛している」って言ってくれたのは嬉しいんだけど、わたくしの気持ちが全く伝わってない!』
と、嘆く日記や、
『ジャンルカ様の子どもを授かった。なんて幸せなのだろう。でも、医者はこの子を産むとわたくしの命が危ないかもしれないなんて言う。わたくしは絶対にこの子を産んでみせる。ジャンルカ様との間に授かったこの子を諦めることはできない』
という母親らしいことが書いてある日記を読みながらも、エドアルドはどうしても衝撃が抜けなかった。
(お父様の誤解癖はお母様のころから変わっていないわけ!? ぼくは一生お父様に誤解されたまま生きていかないといけないの!? あぁ、お母様、ぼくを産んでくださったことには感謝しますが、表情が動かないこの遺伝子はちょっと恨みます!)
日記をそれ以上読んでいられなくて閉じてローテーブルに置いたエドアルドは、日記を読んで母を悼んでいると勘違いしたリベリオに抱き締められていた。
(ショックは受けたけど、リベたんのハグをいただいたから、それはそれでいいとしよう。ぼくは中身は伯父様に、顔はお母様に似てしまったのか……。遺伝子を恨みます)
新たな事実を知ってショックを受けつつも、抱き締めてくれるリベリオの温かい手にエドアルドは幸福を感じていた。