長いようで短かった新婚旅行が終わった。
アマティ公爵領に帰るリベリオたちに、アルマンドとビアンカとジェレミアが見送りに来てくれた。国王陛下と王妃殿下は忙しくて見送りに来られないので、代理らしい。
「エドアルド、秋になったら学園でまた会おう」
「うん、アルマンド」
エドアルドとアルマンドは従兄弟同士の親しい会話をしている。
「つぎ、おうとにきたら、あそんであげますからね」
「あい! あいがちょ!」
「わー! アルマンドおにいさま、アウローラがかわいいですー!」
ちょこんと頭を下げるアウローラに歓声を上げているのはジェレミアだ。
「リベリオ様が学園に通うころにはわたくしも通います。そのときにはよろしくお願いしますね」
「は、はい、ビアンカ殿下」
同じ年のビアンカに微笑まれて、リベリオはエドアルドと似た黒髪に青い目にドキドキしてしまった。アルマンドもビアンカもジェレミアも黒髪に青い目だが、エドアルドの目は少し色合いが違う。エドアルドの目は感情によって紫色にも見えることがあるのだ。
紫色の目をしているときにはエドアルドは凍て付いた顔でも感情が高ぶっているときだとリベリオは少しずつ分かってきていた。
「アウローラ、馬車に乗せてあげよう」
「やーの! わたくち、おうじたまにのててもらうの!」
駅に向かう馬車が来たのでジャンルカがアウローラを抱き上げようとすると、アウローラは抵抗してするりと逃げてしまった。指名されてアルマンドがアウローラの手を恭しく取る。
「どうぞ、お姫様」
「おうじたまなの! わたくち、おしめたまなの!」
アルマンドにエスコートしてもらって馬車の高いステップを上っていくアウローラに、ジャンルカがショックを受けている。
「わたしはお義父様なのに……」
「アウローラは王子様に憧れているのですわ。リベリオに王子様の絵本をたくさん読んでもらったようですから」
「わたしも王弟でかつては王子様だったのに……」
「子どもはいつか親離れするものですわ。ジャンルカ様にはわたくしがいます」
「レーナ」
子どものように拗ねているジャンルカをレーナが笑って慰めている。リベリオのこともそのまま一緒にエスコートしようとしたアルマンドに、横からエドアルドが割って入る。
「リベたんは、ぼくが!」
「エドアルドは嫉妬深いね。かわいい弟妹をぼくに渡したくないみたいだ」
「それはもちろん」
また「リベたん」と言っているが、エドアルドは時々リベリオの名前を噛んでしまうようなのだ。噛んだことを指摘したら恥ずかしいだろうからリベリオはそれに関して言及しなかった。
それにしても、エドアルドがアルマンドに対抗してまでリベリオのエスコートをしたがるだなんてなんとなく嬉しくなってしまう。アルマンドもエドアルドと同じ血が流れているので体格がよく背が高いのだが、エドアルドよりはやや小柄である。エドアルドに手を取ってもらうとリベリオは安心して馬車に乗り込めた。
レーナのエスコートはジャンルカがした。
全員で馬車に乗って見送りに来てくれたアルマンドとビアンカとジェレミアに手を振りながら馬車が発進する。
馬車の中でアウローラがうっとりと呟いた。
「あーたん、おうじたまとけこんちる」
「え!? アウローラ!?」
「アルマンドと!? 王太子妃になるつもりか?」
「あらあら、アウローラ、結婚なんて単語を知っていたのですね」
リベリオとジャンルカが驚いているのに、レーナは穏やかに笑っている。
「おうじたまのはなよめたんになるの! ママみたいに、きれーなドレスきるの!」
レーナの結婚式を見たせいか、アウローラは三歳にしてアルマンドに初恋をしてしまったようだ。王子様と結婚してお姫様になりたい。結婚式のきれいなドレスを着たい。それだけのつもりなのだろうが、ジャンルカは大いに動揺している。
「アウローラが王太子妃になるとすれば大変だぞ。アマティ公爵家から王太子妃が出るのはめでたいが、わたしとしてはアウローラは嫁に行ってほしくない」
「パパ、おうじたまとけこんちたら、め! なの?」
「アウローラ、結婚とはそんなに簡単に決められるものではないのだよ」
小さな娘がお嫁に行ってしまうというのは相当ショックなようで、ジャンルカはアウローラに言い聞かせる。
「アウローラ、アルマンドは……」
「おうじたまがいーの!」
「アウローラ……」
エドアルドも止めようとしているが、三歳のイヤイヤ期のアウローラが聞くはずがない。完全にアルマンドと結婚する気でいるアウローラに、リベリオも説明する。
「王太子殿下との婚約は難しいし、アウローラとアルマンド殿下は九歳も年が離れているんだよ。アウローラ、もっと年が近い方はいないの?」
「やーの! おうじたま、いーの!」
どれだけ言葉を尽くしても全く聞く気のないアウローラに馬車の中の男性陣は説得できずに困りきっていた。
「三歳の子どもの言うことですから。ジャンルカ様もそんなにお気になさらずに」
「レーナ、わたしはアウローラを自分の娘だと思っている。王太子妃になるということはいずれ国母になるということだ。そのような茨の道をアウローラに歩んでほしくないのだ」
「アウローラはジャンルカ様が思っているよりもずっと逞しいですわ。それに三歳ですから、絵本の王子様に憧れているだけです。そのうち興味が変わります」
「そうだろうか……」
落ち着いてジャンルカをとりなしているレーナに、リベリオもそうであってほしいと思うのだが、アウローラの頑固さも知っているのでなんとも言えない気分だった。
列車に乗ってアマティ公爵領には昼食までには戻ることができた。
広い庭のあるお屋敷に戻って、リベリオは自分の部屋で荷物を解くと、洗濯物を出し、他の荷物も片付けていく。買ってもらった万年筆はインクを入れて勉強用のペンケースの中に入れた。小さなクマのぬいぐるみは机の上に飾っておく。
「楽しい新婚旅行だったな」
湖畔の別荘ではエドアルドと同室になって、一緒に寝起きした。早起きのエドアルドはリベリオが起きるまでベッドで本を読んで待っていてくれた。
魔力の制御も習った。エドアルドの脚の間に座って背中から抱き締められて体という器の大きさを教えてもらったときには、胸が騒がしかった。
しみじみとしていると、片付けている荷物の奥にリベリオは見覚えのあるハンカチを見つけた。この屋敷に来たすぐのころにエドアルドから借りて、自分で洗って返すと言い張って洗ったものの、返す機会がなくてそのままになっていたものだった。
「エドアルドお義兄様に返しに行こうかな」
ハンカチを手に取って呟いてから、リベリオはなんとなくそのハンカチを手放すのが惜しいような気分になっていた。ハンカチを返していなくてもエドアルドは気付いていないようだし、このハンカチはエドアルドがリベリオに見せてくれた最初の優しさの証のようで持っておきたかった。
「エドアルドお義兄様、ごめんなさい。わたしにこのハンカチをください」
記念に持っておきたいと思う気持ちが強くて、リベリオはそのハンカチをそっと自分の机の引き出しにしまった。
引き出しを閉めたところで部屋のドアがノックされてリベリオは飛び上がってしまう。
「ひゃい!?」
裏返った声が出てしまったが、ドアをノックした相手は気にしていない様子だった。
「ぼくだよ、リベリオ」
「エドアルドお義兄様!」
ドアに駆け寄って、ドアを開けるとエドアルドが廊下に立っている。リベリオの部屋の隣りがエドアルドの部屋で、逆の隣りがアウローラの部屋なので、新婚旅行前も薬草菜園の世話のためにエドアルドはリベリオに声をかけに来てくれていた。
「今日の夕方から薬草菜園に」
「薬草菜園のお手伝いをするんだね。分かったよ」
「アウローラにも」
「うん、アウローラにも伝える」
昼食後でアウローラは今はお昼寝をしている時間だ。アウローラが起きるころに声を掛ければいいだろう。
「リベリオ、部屋に入っていい?」
「もちろん、いいよ。エドアルドお義兄様、どうしたの?」
リベリオに許可を取って部屋に入ってきたエドアルドに、リベリオは勝手にもらってしまったハンカチのことを考えて罪悪感で胸がチクチクしたが、ソファに座ったエドアルドはハンカチのことなど気付いていないようだった。
「抱き締めて」
「エドアルドお義兄様、お母様の日記を読んでいたの? 亡くなった方を思うのってすごくつらくて悲しいことだよね。わたしは小さくて父のことはあまりよく覚えていないんだけど、それでも、父のことを考えると悲しくなっちゃう」
「リベリオ」
座ったエドアルドの前に立ってリベリオはエドアルドを抱き締める。体の大きなエドアルドだが、亡き母のことを思う心は十二歳の少年のものだ。エドアルドが少しでも癒されることを願ってリベリオはエドアルドの前に立ってエドアルドの頭を抱き込むようにして抱き締めた。