新婚旅行が終わって帰る馬車の中でアウローラが重大発言をした。
曰く、「王子様と結婚する」
王子様というのはアウローラにとってジャンルカとレーナの結婚式でお姫様扱いしてくれて、馬車に乗り込むときもお姫様扱いしてくれたアルマンドのことだ。アルマンドはエドアルドと同じ十二歳。王太子なのに奢ったところがなく気さくでアウローラにも優しくて性格がいいのは分かっているが、エドアルドはその結婚に賛成できなかった。
(かわいいアウたんが結婚してしまうなんてー!? うちの妹はやらーん! 誰にもやらない! ずっとアマティ公爵家にいて、ぼくとリベたんとアウたんで楽しく暮らすんだ! 王太子妃になんてなったら、アウたんは苦労の連続だよ!? 絶対に反対!)
そう思ったのだがアウローラはジャンルカの説得にもリベリオの説得にもエドアルドの説得にも応じない。
王子様に憧れる三歳の幼女なのだと分かっているが、アルマンドとの結婚は避けたくてエドアルドはむきになってしまった。
アマティ公爵家に戻ってからもエドアルドはアウローラの重大発言について考えていた。
(アウたんはいつかお嫁に行ってしまうの!? リベたん!? リベたんもいつか、お婿に行ってしまうの!? そんなの無理! 二人を愛でて一生暮らしたいと思っていたのに、そんな現実を突きつけられても、お兄ちゃん、納得できない!)
アウローラだけではなく、リベリオも大人になれば相応のところに婿に行くかもしれない。一生リベリオとアウローラと暮らせると思っていただけにエドアルドは衝撃を受けていた。
何より、秋からは王都に行かなければいけない。リベリオとアウローラと離れて、一人学園に通わなければいけない。
それを考えると気持ちが落ち込んで、リベリオの部屋を訪ねて弱音を吐いてしまった。
(お兄ちゃん、リベたんとアウたんと離れるなんて無理! リベたん、お兄ちゃんを慰めて! お兄ちゃんを抱き締めて!)
欲望のままに抱き締めてほしいと懇願すると、リベリオは優しくエドアルドの頭を抱き込むようにして抱き締めてくれた。
洗濯された清潔なシャツの匂いと、リベリオの体温に包まれて、エドアルドは恍惚とする。
(リベたんのハグ! お兄ちゃん、天に召されそうです。ずっとこうしていたい! リベたん大好き! お兄ちゃんはリベたんと離れられない!)
実際、リベリオにエドアルドが毎朝魔力を注がなければリベリオは魔力が枯渇してまた寝たきりの生活になってしまうので、エドアルドとリベリオを引き離すことはできないはずだ。しかしエドアルドが王都のタウンハウスで暮らすのに、リベリオも連れて行くことが可能なのだろうか。
リベリオの命がかかっているとなると、ジャンルカも仕方がないと決断してくれるだろう。
リベリオに抱き締められて少し落ち着いたエドアルドは王都のタウンハウスでの生活について思いをはせていた。
レーナが怪我をしたという知らせが入ってきたのは、翌日の昼間のことだった。ジャンルカの視察について行っていたレーナは、橋の建設現場で崩れてきた資材にぶつかって、深い傷を負ってしまったということだった。
すぐにジャンルカがレーナをアマティ公爵家に連れて帰り、医者を呼んだのだが、レーナの性質が問題だった。
「癒しの魔力を持つ方は、他の癒しの魔力を受け付けないのです。自分とほとんど同じ癒しの魔力ならば受け付けるかもしれませんが、魔力が合う相手を探すことは難しくて……」
レーナが癒しの魔力を持っているがために、他の癒しの魔力を受け付けず、魔法で癒すことができない。その事実にジャンルカもエドアルドもリベリオもアウローラも打ちのめされた。
「ママ! ちなないで!」
「お母様!」
レーナに縋り付いて泣いているアウローラとリベリオに、エドアルドはかける言葉がない。薬草菜園に走って収穫してきた薬草で煎じた薬も、意識のないレーナは飲むことができない。
絶望していると、リベリオが涙を拭いてエドアルドを見た。
「エドアルドお義兄様には、このことが分かっていたんだね」
「え?」
(いやいやいや、リベたん!? 分かってるはずないよ!? お兄ちゃん何もしてないからね!?)
必死に心の中で否定したのだがリベリオはきりりと眉を吊り上げて凛々しく言った。
「魔力が自分とほとんど同じ、つまり、それはわたしのことだ。お母様、今助けます!」
「リベたん、いけない!」
「エドアルドお義兄様、止めないで。エドアルドお義兄様がわたしに魔力の制御を教えてくださっていたのはこのためだったのでしょう! わたしはやり遂げます!」
レーナの体に手を翳すリベリオから癒しの魔法が発動し、レーナに注ぎ込まれていく。
リベリオの魔力臓は壊れているので、エドアルドが注いだだけしか魔力はないはずだった。それなのに魔力核が反応して必死に魔力を作りだしているのを感じる。
「リベリオ……?」
「お母様!」
レーナとリベリオは親子なので魔力の質が限りなく近かった。そのためレーナはリベリオの癒しの魔法を受け入れられたようだ。
傷が癒えて意識を取り戻したレーナにジャンルカが泣きながら手を取る。
「痛いところはないかな?」
「はい。リベリオがすっかり癒してくれました」
「よかった……レーナ、わたしを置いていかないでくれ」
完治したレーナにエドアルドが安堵していると、リベリオの体がゆっくりと倒れていく。
倒れたリベリオをエドアルドは抱き締めて魔力を注ぎ込んでいた。
「エドアルド、おにい、さま……」
魔力をいつも通りに注ぎ込んでいるのに、リベリオの体から魔力が抜けていく。どれだけ注いでもリベリオの体に魔力が定着しない気配を感じ取って、エドアルドは医者に声を掛ける。
「先生、リベリオが」
「元々魔力臓が壊れているのに、無茶をしすぎましたね……。魔力臓の壊れ方がひどくなっている」
(リベたん!? お兄ちゃんを置いていってしまうの!? お兄ちゃん、リベたんのためなら、どれだけでも魔力を注ぐから、どうか死なないで! リベたんが死んでしまったら、お兄ちゃんは生きていけない!)
リベリオの体を抱き締めたまま、エドアルドは魔力を注ぎ続けた。
レーナも回復してリベリオに癒しの魔法をかけたので、リベリオはある程度は回復して、魔力の漏れ方も少なくはなったのだが、医者の話では、エドアルドの魔力を注いでも普通の子どものように過ごすことは難しくなってしまったとのことだった。
「わたくしのせいで……リベリオ、どうして……!」
「泣かないで、お母様。これはエドアルドお義兄様が予言してくれたことなんだ。エドアルドお義兄様がこのことを予言してわたしに魔力の制御を教えてくれた。これは必然だったんだよ」
(お兄ちゃんは! そんな予言は! してません! 必然って何!? リベたんがこれから普通に暮らしていけなくなるのが必然なの!? そんなの無理! お兄ちゃんがどうにかしてリベたんを癒してあげたい! リベたん、お兄ちゃんが助けてあげる!)
エドアルドは決心して薬草菜園に向かった。
温室の薬草菜園の一番奥には、「びぎゃ」「ぼぎゃ」と畝の中で声を上げている場所がある。そこに植えてあるのは、亡き母、カメーリアから引き継いだ特別な薬草だった。
その名も、マンドラゴラ。
生命を持つ植物として有名なマンドラゴラは、非常に薬効が高いのだ。引き抜くときには「死の絶叫」と呼ばれる叫び声をあげて、周囲を攻撃するために、扱いが非常に難しく、エドアルドもカメーリアが育てていたものを引き継いで育て続けていただけで、まだ引き抜いたことも使ったこともない。
(お母様、使わせてもらいます。お母様がマンドラゴラを育てていたのも、全てこの日のためだったんですね! このマンドラゴラでリベたんを治してみせる! 待ってて、リベたん!)
葉っぱに手をかけて引き抜こうとすると、土の中で踏ん張って抜けないようにしているのを感じる。
(負けるものか! 死の絶叫にも負けない! お兄ちゃんはリベたんのためなら何でもできる! リベたん、待っててね!)
どれだけ引っ張ってもびくともしないマンドラゴラに、エドアルドが一度手を放してため息をついていると、「びぎゃ」「ぼぎゃ」「びょえ」と土の中で何か話し合うような声が聞こえた。
じっと畝を見ていると、三匹のマンドラゴラが自ら土から出てきてくれている。
「びぎゃ!」
「ぼぎゃ!」
「びょえ!」
自分たちを使いなさいとでもいうようなマンドラゴラをエドアルドは土塗れになるのも構わず抱き締めた。
(さすがお母様のマンドラゴラ! ぼくの気持ちが通じたんだ! 自ら出て来てくれるだなんて! ありがとう! 君たちの犠牲は無駄にはしない!)
大根と人参と蕪に見えるマンドラゴラを水で丁寧に洗って、持って行こうと歩いていると、足元に青い花が見えた。亡き母のカメーリアが好きだった花で、ジャンルカはカメーリアが嫁いできたときに庭にその花の花壇を作ったのだ。
親指くらいの小さな青い花が咲いているそれを、エドアルドはお見舞いのつもりで摘んで花束を作った。
(リベたん、今行くよ! お兄ちゃんの愛、受け取って!)
リベリオの部屋に行くと、リベリオはベッドで休んでいて、レーナがそばについてずっと癒しの魔法をかけ続けている。心配そうにアウローラもレーナの足元にへばりついて、ジャンルカも部屋から出られないでいる。
エドアルドは生きのいい採れたてのマンドラゴラと青い花の花束を差し出した。
「これをリベリオに」
「エドアルド、リベリオの病が治る薬草を密かに育てていたのか」
「お母様が……」
「カメーリアが!? カメーリアにも先見の目があったのか!?」
ジャンルカがマンドラゴラと花束を受け取ると、マンドラゴラはジャンルカの手を逃れてリベリオの枕元で踊り始めた。
「この踊り、何か意味があるのか?」
「いえ……」
「エドアルドおにいさま……その青い花……わたしに?」
「リベリオに」
「そうか、リベリオに飲ませるのはマンドラゴラではなく、こっちの花か!」
(えぇー!? お父様、違いますー! リベたんに持ってきたのはマンドラゴラで、こっちの花は飾っていてくれたら……って、お父様がそんなことを言うから、医者が煎じているではないですかー!? 嘘ー!? ただのお見舞いの花なのにー!?)
心の中で悲鳴を上げたエドアルドに気付かず、青い花は煎じられてリベリオに飲まされた。
(そんな……。ただの花でリベたんが治るわけないじゃないですか! 早く! マンドラゴラを! リベたんに!)
心の中で必死に訴えるエドアルドに反して、青い花を煎じて飲んだリベリオの顔色が劇的によくなっている。
何事かと思っていると、医者がリベリオの体に手を翳して驚きの声を上げた。
「魔力臓が治っています」
(えーーーー!? 嘘ー!? お母様の好きだった花にはそんな効力があったの!? 嘘でしょ!? リベたんが助かったのは嬉しいけど!)
「エドアルドお義兄様には分かっていたんだね。この花がわたしのことを治してくれるって。そこまで分かっていて、わたしに魔力の制御を教えて、お母様を助けられるようにしてくれたんだ」
完全に誤解しているリベリオは起き上がってエドアルドに抱き着いてくる。マンドラゴラを煎じて飲ませてもらうつもりだったエドアルドは、見舞いのつもりで摘んできた花の方がリベリオの病の特効薬となっただなんて思わなくて、驚愕の悲鳴を胸の中であげていた。
(嘘でしょー!? どうなってるのー!?)
「この花は同じ病で苦しむひとたちの希望になります。花のサンプルをいただいてよろしいですか?」
「もちろんだ。エドアルド、先生に花を分けて差し上げてくれ」
「は、はい」
この季節の短い期間にしか咲かないその花が咲いていたのも偶然で、エドアルドがその花を摘んでリベリオに持ってきたのも偶然だった。
それなのに、それがリベリオの病の特効薬だっただなんて、エドアルドは偶然が重なりすぎて恐ろしかった。
「やはり、エドアルドお義兄様は素晴らしい先見の能力者なんだ。わたしはエドアルドお義兄様に命を救われました。エドアルドお義兄様に一生ご恩返しをします」
「そんなの……リベリオが生きていてくれるだけで」
色々と不本意な結果の末に最高の効果が得られたわけだが、リベリオがもう苦しむことはないのだと分かるとエドアルドは安心して抱き着いてきたリベリオを抱き返した。
「エドアルドおにいたま、このこたちは、わたくちとにぃににペットとちてくれたの?」
「ペット?」
「パパ、ママ、このにんじんたんと、だいこんたんと、かぶたん、かっていい?」
煎じて飲ませるはずだったマンドラゴラは、どうやらアウローラとリベリオのペットになりそうだった。