「――五時に現れるんでしょ? こんなに早くからわたしが張り込んでる必要ある?」
場違いな高い声が深夜二時の街に響いた。
あくびを堪えながら、周囲を見回すのはナディア・ピオーネ・ルオ。
怪盗アルテミスのルオ家の令嬢だ。
「だから、ヤツらはもう何かしらの手段に出ているかも知れないです。遅いくらいですよ」
その隣にはカイン・リー刑事の姿があった。
「っていうか、ずっと気になってたんだけど……どうしたの、その髪型? 誰かの影響でも受けた?」
リー刑事の頭髪を指し、ナディアは尋ねた。
前回会ったときは、さして特徴のないナチュラルなワンブロックヘアだったが、今日はボリューム感のあるアフロヘアになっている。
「影響……影響といえばそうですね。だけど、これはボクの意志じゃない」
「意志じゃないってどういうこと? 賭けに負けとかで、髪型を変えさせられたってわけじゃないわよね?」
「違いますよ! あのヅラが爆発したんです!」
「……は?」
「だからこの間……置き土産というか、残して行ったでしょ? 怪盗アルテミスがあのヅラを。ヤツの気持ちが分かるかもしれない……次こそ先手を打てるかもしれないと……被ってみたんです。そうしたらこのザマですよ」
「………」
何故そんな考えに至ったのか、さらにはどういう仕組みで爆発したのか――などの、ツッコミを入れる気が失せたナディアは黙って俯いた。
「な、なんで黙るんですか? 熱かったでしょとか、痛くなかった? とか、びっくりしたでしょう? とかなんかないんですか⁉」
ナディアは呆れたように嘆息した。
「――びっくりはするわよね。なんせ爆発したんだから……でも、頭が吹っ飛んだわけじゃあるまいし、個性的な髪型になるくらいで済んでよかったじゃない」
「たしかにヅラが消失しただけで、爆発のエネルギーとしては弱かったです。多少熱かったものの、髪以外にダメージは受けていない。おそらく、残留品隠滅のために爆薬が仕組まれていたのでしょう。タイミング悪く、ボクが装着した直後に……ああ、殺意のある爆弾だったらと思うと、身の毛がよだちます。そして……あろうことか、その衝撃の所為でボクの自慢の嗅覚も二割ほどに落ちてしまった……! これじゃ、目の前にアルテミスが現れても特定できませんよ‼」
自らの身体を抱き、リー刑事はふるふると震えた。
「うん……まあ、いろいろ残念だけど……無事でなによりよね」
「そう、思ってますか?」
リー刑事が探るようにナディアの方を見た。
「ええ……一応は怪盗アルテミスを捕らえるって目標を持つ同志みたいなものだし――」
――この人、この上なく利用しやすいから、何かあっても困るんだけど。
「ど、同志? 同志なんてそんなよそよそしい! ボクたちはツーカーの仲じゃないですか! 怪盗アルテミス確保の目標を持つ――夫婦探偵を目指すのもありですよ! 結婚式は海辺のチャペルで……ああ、いいなあ。きっとナディアさんのウエディングドレス姿は息を呑むほど美しいに違いない……」
うっとりと指を組んで目を潤ませるリー刑事を後目に、ナディアはゲンナリと、額を押さえた。
「だから、どうしてそこまで話が飛躍するのよ? で? ヅラを被って怪盗アルテミスの意志に近づいたっていうのなら、どういう手段で攻めてくるかちょっとは読めるようになったわけ?」
「う~ん、やはりヤツは変装の名手。誰かに姿を変えてこの敷地内に潜入してくるに違いありません」
「……だいたいの手口がそうじゃない。わたしは向こうの方で張ってるわ」
「ああっ、こっちが有力なんですって」
「別の場所もチェックした方がいいでしょ。手分けするのが一番だわ」
そう言い残し、ナディアは足早に走り去った。
「……今日は新しい執事とやらが不在の上、ライ警部がインフルエンザで休養中。現場の指揮を任されてるから、ふたりっきりになりやすいと思ったのに……」
などと不満を漏らすも、リー刑事はすぐに表情を引き締めた。
「なんてね。ボクが指揮を執る日に失態があっちゃまずい……仕事に集中――と」
一応はプロの警官らしく、周囲に目を光らせながら、建物の周辺を歩き始めた。