「ミスター・ハンの推し★絵画展? これに行くの? これから?」
執事に差し出されたチケットを怪訝そうに見つめ、ナディアが訊いた。
「ご興味がおありではありませんでしたか……?」
富豪の娘ならば、当然芸術に関心があるだろうと見当をつけたが、早計だったか。
「そうね……」
――そうなると、独自で調査するべきか。『務め』を果たしながら、探ることが出来れば一石二鳥だと思ったが……。
どう隙を見て現地へ向かうか、思いを巡らせていると――
「ラウル、あなたが連れて行ってくれるなら、行ってもいいわよ」
「え?」
ナディアがチケットを見たときの反応からは予想できなかった回答に、意外そうな表情をする。
「なによ、そっちから誘っておいて、どうしたの?」
「あ、いえ……ご興味がなさそうでしたので……驚いたといいますか」
「興味がまったくないってわけじゃないし……そうね、こういうのって、どこに行くのかってことより……誰と行くかが重要じゃない」
「え……? いま、なんと」
最後のひとことがぼそぼそと小声で呟かれたため、聞き取れなかったラウルが尋ねた。
「暇だから行ってみるのも悪くないって言ったの。じゃ、マリー、ラウルお薦めの絵画展に行ってくるわ。わたしの外出に付き合ってもらうんだから、ラウルにやたら雑用を押し付けたり苦手なものを食べさせたりすることのないようにね」
「……承知しておりますわ」
あの『茶会』の一件以来、マリーはラウルに対して少々敬うような態度を見せるようになった。
以前から気になっていたラウルの脱走癖(怪盗としての業務をこなす、アジトに戻るなども含めた行動)についても、おおよそ不問にしてくれるようになってきている。
「あ、申し訳ありません。また業務を中途半端に――」
ラウルが気まずそうに頭を掻いた。
「こうなってくると、慣れっこですから……構いませんわ。もはや、ナディアさまお
付きのお世話係という認識ですから」
「そんなに世話を掛けているわけじゃないでしょ。ひとを幼児みたいに言わないでもらえる?」
「幼児であれば、夜通し外出するようなことがありませんから、お嬢様よりよほど扱いやすく利口だと思いますわ」
「な、なによ……ここのところ、アルテミスも不活発だし、最近はそんな時間に外出なんてしてないじゃない」
「では、いってらっしゃいませ」
言い合いをしている暇はないので、さっさと出かけいただきたい、とばかりにマリーが頭を下げた。
★
ピカン・セントラル・ホテルの白虎の間は一階にある展示会などが催される広間だった。
「ようこそようこそ~、ミーの推し展覧会へ。ミー、イチオシの絵画がたくさん飾られているから、ゆっくり観て行ってほしいネ」
受付のそばにはスーツ姿の恰幅のいい紳士が立っていた。
「え……あの、ハン会長が自らお越しになっているとは思わず……」
ナディアが恐縮そうに、身を縮こまらせた。
「いやいや、いくらミーが多忙だといっても、自分主催のイベントの初日くらいには顔をだすネ。そんなことより、ユー、どこかで見たことあると思ったら、ルオ家の令嬢だよネ?」
「まあ、覚えてくださったのですか? 光栄です」
令嬢らしい振る舞いでお辞儀をするナディアを眺め「こういった仕草もできるんだな」などと、ラウルはひそかに感心していた。
普段のガサツな様子とは違っていて、気品に満ちている。
「いつぞやのパーティーで挨拶してくれたネ。ユーがひと際目立っていたからネ。お父上は変わりないかネ?」
「え、ええ……離れて暮らしていますので、あまり会うことはないですが……元気だと思います」
「そうか、それはよかったネ。ユーのような素晴らしい淑女がミーの愛息の妻となってくれたら、嬉しいと思うネ。ユーは三男坊の嫁候補に入ってるからネ、次回のパーティーにはぜひ参加して欲しいネ」
その台詞にぎょっとしているラウルを尻目に、ナディアは嫣然と微笑んだ。
「……まあ、わたしなど、ハン会長のご子息には勿体ないですわ」
内心ふざけんな、と思っているだろうに、案外こういった場面での立ち振る舞いに関して心得ているようで、そこにもラウルは驚いていた。
――それがどうして普段はああなんだ?
それは変装中の彼を知っている者であれば「おまえもな」と同じツッコミを入れているだろうが、ラウルには彼女の様子が新鮮に思えた。
「いまの、社交辞令じゃあないからネ。考えておいて欲しいネ? せっかくルオ家の令嬢が来てくれたんだ。ミーが少し、案内しよう」
「まあ、会長自ら……恐縮ですわ」
ラウルは自身の存在感を薄めるように、後方に回った。