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第74話

 十数分ほど経った頃――


「交渉できたわよ」


と、そわそわしながら受付の付近で待っていたラウルに、控室から出てきたナディアが言った。


「交渉? なんの……ですか?」

「閉館したあと、もう一度来るようにって」


 ドンとは緊張感のあるやり取りをしたのか、疲労感を漂わせる。


「????? え?」


 続いて控え室から姿を現したハン会長が、嘆息した。


「しかし、従者のためにそこまでするとはネ。そこいらの令嬢とは一味違う。なにより肝が据わってる――ますます気に入ったネ」


 ぜひ、うちの息子の嫁に欲しいネと続け、微笑んだ。


「え……?」


 何がなにやら分からないまま呆然とするラウルの傍らで「感謝いたしますわ、ハン会長。ではのちほど」と言い、恭しく礼をしたナディアが踵を返した。


「お嬢様⁉」


 戸惑いながらハン会長に会釈をすると「よほどユーは気に入られてるネ? しっかり尽くさなきゃダメネ」と、肩を叩かれた。



 会場を出てホテルの駐車場に着き、車に乗り込んだところでナディアが放心したような顔で正面を向いていた。


「お嬢様、車をお出ししても……?」

「っ……わ……かった……」

「え?」

「怖かったんだから! ハン会長との交渉なんて。いままであんな大物と一対一で話したこともほとんどないし!」


 急に胸倉をつかまれ、ラウルは「ちょ、ちょっと落ち着いてください」と慌てふためいた。


「交渉とはいったい……?」

「ダメ元で譲ってほしいっていったのよ、あの絵を」

「え⁉」


 さすがにそんなことを言い出すとは思っておらず、ラウルが驚愕の表情で固まった。


「でもね、さすがに譲れないって。だから、レンタルしてもらうことにしたの。――明日の開館前までに戻してくれるなら……貸せるって。ほんの短い時間だけだけど」

「レンタル……」


 思いもよらない提案に、思考停止する。

 レンタルということは、目的のものが手に入るわけではない。

 だが、それは一時的に手にするこができる、ということではないか……。


「ここまで譲歩してもらったけど、いまはこれが精一杯よ。どうしても手に入れたいんだったら、もう少し粘るしかないかな……難しいかもしれないけど……」


――レンタル期間中にロジエ氏に見せる……あとはどうにか誤魔化すようにボスにも協力を仰いで……


 さすがにそのままネコババするのは身に危険が……というより、ナディアを巻き込んでしまうことになる。

 なんとか解決方法を考えなくては。


「いや、充分です! 私のためにそこまでしていただけるとは……」

「別に。……あなたには借りがあるしね。今後もわたしのために働いてもらわなくっちゃ」


 微かに頬を紅潮させたナディアは、ぷい、と横を向いて「車出して」と不機嫌そうに言った。


      ★


 午後10時を回った頃――


「――驚いたな。どんな魔法を使ったんだ?」


 アルテミスの拠点地である、場末のバーに三枚の絵画を持って現れたラウルに、ローザが言った。

 屋敷を抜け出すときに苦労したのか、彼の表情には疲労の色が見えた。


「魔法とはいっても、ひと晩限り……明朝までの効果しかないです。それまでに解決しなければ、俺の首はありません」

「ハン会長絡みでここまで鮮やかにこなすとは思わなかった。だが、期限付きというのが引っ掛かるな……どういうカラクリだ?」

「まあ……俺がこの絵を気に入ったと思った令嬢が、貸してくれるよう話を付けてくれたんですよ、ドンに。最初は譲ってくれと交渉したらしいんですが、レンタルという話で落ち着いたと」

「……ということは、この絵の贋作を急ピッチでこしらえて、ロジエさんに渡ったあとに入れ替えるとかそういう作戦か?」

「理想はそうですが……一瞬でそんなもの用意できるわけがないですからね……」


 解決方法をボスであるローザに相談しようと思っていたラウルは、いいアイデアを提示してもらえなかったことで――期待が外れたと人知れずため息を吐いた。


「まあいい。こんな時間帯に応じてくれるかは分からんが……非常識と言われようとも、一刻も争うときだからな……」


 ローザはカウンターの端に置かれた電話の受話器を取ると、メモに書かれた番号をダイヤルした。



「――ここが、ロジエさんの住まい……」

「聞いた住所だと、ここだがな……まさか……」


 店番をアルテミスメンバーのひとりに任せ、ローザがラウルに付き添う形でそこへ訪れ、メモした住所と目の前の建物とを交互に見比べている。


「……病院のようですが……」


 レンガ造りの美しい建造物で、街で一番大きな病院で、名をアルストロメリア・ホスピタルという……はずだが……。


「入院中ということですか? しかし……」


 ラウルが怪訝そうに眉をひそめる。


「そう、電話は通じたんだ。病院に入院しているというのなら、病院に繋がるはずなのに……」


 どういうことだ? と、病院の閉じた門の前に立ち尽くすふたりの前に「お待たせしたわね」と、依頼人の老女――ロジエが姿を現した。


「ロジエさん、こちらを指定されましたが……いったい……?」

「あなたがた、どこかへ忍び込むのはお手の物なんでしょう? ちょっと、行って欲しい場所があるの」

「忍び込む……?」

「まさかとは思いますが……」


 三階建ての病院を見上げ、ラウルが顔をひきつらせた。


「その前に持ってきた絵を見せてくれる?」


 病院の塀に沿って脇のほうへ移動しながら、ロジエが言った。


「あの……実は、候補となる絵が三枚ありまして……」


 人気のない場所に移動すると、ラウルは懐中電灯を灯し、躊躇いがちに三枚の絵を広げた。


「ふふふ……同じような絵ばかりで笑っちゃう」


 ロジエの反応に対し、ラウルは驚いたように目を見開いた。

 自分を描いたように、別の人物が描かれた絵が存在することで、ひどく落胆する……あるいは怒るかのどちらかと思っていたのだ。


「でも『わたし』が見たのは――これね」


 三枚のうちの一枚を抱え上げ、ロジエが頷いた。


「わたしが『見た』?」

「あのとき――ホールにあった絵よ」


 ロジエはなんとも言えないような表情で微笑んだ。


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