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第12 話実は酒豪?

 「いい〜お湯だぁ〜。」


 一度湯船を立って体を洗ったついでに脱いだ衣服をしっかり洗う。浴場の上には竹竿が渡してあり、そこに洗濯物がかけれるようになっている。なんと備え付けの衣紋掛まであるのだから長期滞在の為に配慮されているとわかる。


 「ありがたいねぇ〜。」


 他國で長期逗留の扱いは割と雑だったりする。短期宿泊者は丁寧に扱いまた来てもらうようにするものだが、長期宿泊者を同じように扱うと仕事が増えて仕方ないので、ある程度自分で動いてもらう方針である。


 大和の格言に「3日泊まれば客じゃない」というのがあるので、まぁ、そういうことなのだろう。


 衣紋掛だってクローゼットに1つか2つはあるが、それ以上は街で自分で買ってくるし、酷いところは消耗品はすべて自前だったりするし、掃除にも入ってくれないので従業員の用具室から借りてきて掃除したりすることもある。


 中には小窓しかない部屋で湿気と戦わなければならないということもあるので、通された部屋は大きな窓もあるので天結にとっては大当たりの部屋である。


 じゃぶじゃぶと桶で服を洗うと桶の中が茶色がかった水になる。入れ替えのために洗い場に流すとタイル敷きに落ちて細い溝に集まる頃には透明の温泉に戻っている。


 「何度見てもすごいなぁ。」


 すすぎを何度か繰り返し、固く絞って干し、程よく冷えた体でもう一度湯船に浸かれば極楽カムバックである。 


 結界に守られた部屋で風通しが良くて露天つき。殺魔の宿の基準がどれほどのものかは知らないが、この部屋があの絵1枚で……。おそらく絵自体は2週間保つだろうと踏んでいるので、その間にこの部屋を自由に使えるならだいぶお得な話である。しかも……。


 「さて、さっぱりしたからご飯をいただきに行きますか!」


 2食つき。


 朝と夜は基本付いてくるという。不要の際は事前に伝えるようにとのことだったが、昼はどのみち外に行かねばならないのだから今の所わざわざ朝と夜に外に出て食べる必要性がない。よほどの不味い飯なら別だろうが。


 「あびぃちゃんは部屋で待っててね。他のお客さんが驚くといけないから。」


 わかっているのか、いないのか。天結の言葉を受けたあびぃちゃんはベットの上に着地するとその柔らかさを満喫するように上下にバウンドし始める。


 「じゃ、行ってくるねぇ。」


 なんだか楽しそうな(気がする)あびぃちゃんをその場に残し、勾玉とウェストポーチだけ腰に巻く。このポーチは貴重品入れ……ではなく、スケッチブックと鉛筆が数本入った普通の鞄である。


 階段を降りて食堂に行けば日が傾き始めたばかりというのにだいぶ賑わっている。食堂は宿泊客だけでなく食事のみの客も多そうだ。


 「おやっとさぁ、あいちょっけぇ〜。」


 カラカラと鳴った入り口から熊の獣人が何かの葉っぱにくるまれた物を手に持っている。あれがお代ということだろうか。


 食堂のカウンター向こうから女将が暖簾を持ち上げてひょっこり顔を出す。


 「おやっとさぁ〜。あいちょるよぉ今日は角煮やっけどよかけぇ?」


 「よかどぉ〜こいで3人頼んで!」


 「おおきになぁ。……天結ちゃん空いてるとこに座ってちょうだいな。」


 言葉の後半は食堂の入り口でどうしたものかと佇んでる天結に向けたものである。熊の男たちは小さな天結は目に入らなかったのか女将の視線を追いかけて佇んでる天結に驚いた様子だった。横を追い越して通っていったというのに。余程お腹がすいているのか。


 包を受け取ると女将はカウンターの中で包を開いているのか、視線を落としてカサカサと音を立てている。ちょっと興味があるのでカウンター席を陣取りに行ってみる。意外と図太い天結である。


 カウンターからひょっこりと女将の手元を見れば予想どおり塊の肉がお目見えである。


 そんな天結の仕草に、女将はおや?というような顔はしたものの特に不機嫌だった様子もなければ注意もされなかったのでじぃっと観察してみる。


 ピンクの身に白い油が積雪のように乗っている。


 「山豚肉?」


 思わずこぼしてしまえば女将がニコニコと頷いてくれた。


 「ただの山猪豚じゃなくて黒毛の白靴下やっど。」


 「白靴下?」


 上から降ってきた言葉に思わず見上げて返せば熊顔の男がにかっと笑った。


 「黒毛だけでも珍しいんだが靴下は成獣前の僅かな期間しか色が出ん。じゃっどん、その僅かな期間の肉は繊維が柔らかくて歯切れもよか。柔らかかっせぇ、調理の時間が少なか。脂も甘かっかせぇうんまかどぉ。」


 もう説明だけで垂涎ものである。


 「おおきになぁ。ほいじゃ、こいで3人分すっでねぇ。」


 ポケットから手のひらサイズの手帳を出す熊と女将は互いに貸借帳を交わし、熊は4人席のテーブルに移って行った。


 もう一度カウンター向こうの女将に向き合った頃にはその姿はなく、奥の方でお盆を両手に持ってこちらに歩いてくるところであった。


 「はい、今夜は角煮よ。」


 カタンと置かれた黒塗りの盆にはででーんと真ん中に鎮座した角煮の深皿と白飯に漬物、味噌汁、3つに仕切られた長い皿には姫鰹のタタキとキビナゴンの塩焼きそれから……。


 「つっきゃげ!」


 「んーだもしたん。天結ちゃんつっきゃげ知っちょんのね?」


 「祖先が殺魔の出身でたまに家でも作ってたんです。」


 「そうなのね。これは他國から来た人向けに白身の逆なでしてるのよ。見た目もキレイだし舌触りもいいからなれない人でもすんなり食べれるし。」


 「実家では魚は全部混ぜてました。」


 「家庭では青魚で作ることが多いわね。混ぜちゃう人ももちろんいるけど。」


 天結につられて殺魔訛が出たもののすぐに調子を戻すのはさすがの女将である。


 「その様子だと殺魔料理もいけそうね。」


 「はい!これだと呑みたくなっちゃいますねぇ。」


 角煮なんて脂を酒でながせれば最高だ。


 「安酒でいいなら出してあげるわ。」


 「ぜひ!」


 なりは小さくても15を過ぎた立派な大人である。もちろん飲酒は問題ない。


 「殺魔おごじょっていうこの辺じゃ定番のお酒よ。いも焼酎なんだけどいけるかしら?」


 「お湯割りの5:5で!」


 「んなんな、お湯割りなんて通やっどなぁ。」


 そういって女将が振り向くとずんぐりむっくりの大狸が茶色の酒瓶と陶器の杯を持って立っていた。いつの間に……。恐らく女将の番だろう。向ける眼差しが優しい。


 とくとくと瓶を鳴らして黒の陶器に酒が流れて湯が注がれてふわりと酒の香りを混ぜた湯気が立つ。


 「ありがとうございます。」


 なみなみ継がれた酒を両手で受け取れば2つの杯がコン、コンと当てられた。


 「殺魔にゆくさおじゃりもうした。あ、でも祖先がこっちの人なら違うわね。ゆくさおかえり申せおやっとさぁじゃっど。」


 「おやっとさぁ。」


 それは故郷から遠く離れた人が久方ぶりに戻ったと気に掛けられる言葉。遠路を超えて戻ったことを労い、暖かく迎え入れる言葉だ。こんな労い両親にすら向けられた事はない。


 向けられた温かな眼差し、腹を刺激する香ばしい香り、手のひらのぬくもりに視界が滲む。


 「おおきになぁ、いまやったぁ。」


 実家でだって使った事ない、使えなかった言葉。


 それをこんな初めてあった夫婦に向けることになるなんて誰が想像できただろう。


 交わした盃をぐっと飲めば張り詰めた膜は雫となって落ちた。そんな様子に2人は騒ぐことなく女将はそっと涙を拭ってくれた。その夫は大きな手で労るように頭を撫でてくれたことが嬉しくて尻尾は揺れるし耳は下がる。


 (あぁ、好きだなぁ。)


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