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第13話 それを温度と呼ぶのなら


 旅の疲れも相まってか、いつもよりも酒の周りが早く食事をしっかり堪能して早々に部屋に戻った。望郷の念に駆られたと思われたのか女将は仕事の合間ができるとカウンターの向こうで一緒に呑んでくれた。女将の夫こと大将は刺し身の端っことかちまちまおまけを持ってきてくれた。この優しさがくすぐったくて申し訳なくて嬉しかった。


 そんな思いを少しごまかしたかったのもちょっとある。


 実家ってあんな感じなんだろうか……。


 転がったベッドの上。持ち上げた所で鳴きもしなければ抵抗もしない抹茶ベースのマーブル毛玉あびぃちゃんを掲げて見上げる。


 「あびぃちゃん、家族ってあんな感じなのかなぁ。温かくてぽかぽかする。」


 そら豆のような黒い瞳がじっと天結を見ている。気がする。


 「角煮すごく美味しかったよ。あびぃちゃんも一緒に食べれたら良かったのにね。」


 旅に出てよかったことの一つは好きなものを適した温度で食べれることがどれほど幸せかわかったことだった。


 実家にいたときは物心つく頃には修行の日々で、日の出前から始まる行水に始まって朝食はお下がりの冷えたものがほんの少ししかないのにそれを修行する者たちで分けて食べる。昼は食べることなく瞑想だ祈祷だと時間が進み日が傾く前に座学が始まって日が暮れてから帰宅する頃には家族はとっくに食事を終えて残り物の鍋底をさらって1人厨で残り火の明かりで食む。


 今思い出しても、もうあんな生活に戻りたくない。


 300年一族は優れた巫女を殺魔に戻すこと。一族の者たちが何かの実験のように繰り返した交配とも思われる血を重視した一族形成と教育。その結果毎世代優れた巫女が誕生するが殺魔に辿り着いたとの知らせは届かない。


 それはそうだろう。窮屈な檻の中から解き放されて言いなりになるものなどいない。どの巫女も旅の間に死亡と判断されてはいるが、中には死亡を装って一般人に紛れて平和な日々を安穏と送っている者もいるのだ。実際そうした中年の女性と老婆、そして一つの墓を天結は見た。始めこそ衝撃を受けたものだが、その気持ちもわからなくはない。そうしてまた次の世代の育成が急がれる。


 やっと解放された日々に温かな食事は青天の霹靂。中でも初めて食べた焼きたてのパンに何を思ったか店にあるもの1個ずつ買い占めて3日間食べる羽目になったことは苦い思い出である。もっといいもの食べれただろうに。


 しかも3日目には冷えて固くなる。


 これまでの食事を考えたらお腹いっぱい食べられるだけでありがたいと満足したものだが、今なら言えるあれは初めての外の世界で完全に浮かれていた。


 今ならあんなことしない。もっと地のものをしっかり見聞きしてゆっくり味わったものを……。いかに故郷を早く離れるかしか考えていなかった。


 それに比べて今日の角煮ときたら!


 ずっしり、ドカン!のボリューム感。さぁ、かかってこいやと言われているかのような。これぞ肉!という塊。飴色に輝く照り。箸を入れればすっと切れる。お肉はしとしと柔らかで脂のプルプル感がたまらない。


 ぎゅっと噛みこむとお肉の旨味がとろぉーり溢れて、濃密なタレと交わりながら重たい味わいがゆったりと舌の上を舐めてほろほろと崩れる身と、尻上がりに増していく力強い猪豚肉の味。喉を落ちていくまで持続する濃厚な美味しさに真っ白いほかほかご飯の甘みも相まって箸が止まらない。


 空腹が落ち着いたところで喉にもたつく脂をきゅっと流す芋焼酎。これが飲まずにいられるか。


 胃も心も暖かく満たされて酔うなというのが無理というものだ。


 そのうえ心地よい寝床もあるのだから、あびぃちゃんを掲げたた両手をそのまま体ごと横に向け寝たことに気づくこともないまま天結は眠りについた。



 いつの間にか陽も登って、鳥のさえずりも収まった頃。


 新たな寝床に丸まって惰眠を貪る娘がいた。                                                                            淡い花紺青の毛色、白群から薄い露草色へと変化していく波打つ髪はどこまでも長い。ピンとたった三角の耳に来るんと丸まった尻尾は柴の証。豆柴獣人の天結である。


 5年かかった旅路は集結を迎え念願の殺魔に到着したのはつい昨日のこと。


 目的を果たした安堵か旅のす彼が出たのか、それとも温かな歓迎に力が抜けたのか、はたまた昨夜の食事と酒の入りどころが良かったのか。


 まぁ、そんなわけで普段は朝の早い天結も今朝ばかりはいつまでもまどろみから抜け出せずにいた。いい加減起きなければと思いはするものの体は一向に言うことを聞いてくれない。


 「あ〜。起きなきゃいけないのはわかってるのにぃ〜。布団が私を離してくれないぃ〜。」


 そんな筈はない。ただの比喩である。それでもそう表現したくなるくらいにはまだここにいたい。と切実に思う程にはまだ寝ていたいらしい。


 抹茶色にベースにマーブル模様の毛玉。天結の絵画生物あびぃちゃんをがっしり抱き込んで丸まっている。そもそもきちんとした生き物ではなく天結の絵から飛び出してきたあびぃちゃんに睡眠何ぞ必要ないのだが、こうして天結が眠っていると静かに寄り添っている。


 静かと言っても鳴かない食べない地面に転がらないだけが利点の人口生物である。何を考えているかわからないそら豆の瞳がじぃっと見つめているが、寝ている天結には暖簾に腕押し、糠に釘ってもんである。


 しかし、いつまでもそうしているわけに行かないので、目覚ましと酔い覚ましを兼ねて風呂にでも入ろう!と……決意してしばらく。


 ようやく体をお越し大きなあくびをしてぼんやりとあびぃちゃんを見つめる。


 「あびぃちゃん……お、ふぁあ〜、よぉ〜〜。」


 あいさつなのかあくびなのか。傾いた体とぼやけた思考でしばらく人工生物を眺めてさらにしばしの時間を要したが枕を抱えて倒れ込まなかっただけマシというものだろう。


 気だるさの残った体を引きずって着ていたものを歩いた道筋そのままに脱いで落とせば浴室につく頃にはその生まれたままの姿となり、足元へのかけ湯もそこそこに浴槽に見を沈めた。


 文字通り。


 それはもう頭までどっぷりと。


 なみなみとした湯が溢れて波のような音を立て排水溝へと勢い良く流れていき、ひとしきり落ち着くと水面にぶくぶくと気泡が舞い上がる。


 「ぷはぁ!」


再び水面が揺れて天結の身体が空気を求めて浮上する。


 「あ〜目が覚める。」


 バシャバシャと顔を洗って目をかっぴらく。


 「いつまでもこんなことしてたってしょうがないよね。商人ギルドに行って移住届けと物件紹介してもらわなきゃ。それから冒険者ギルドにいって同じく移住届けとこのあたりの地域地図の購入をしなければ!


 備え付けのベンチにすわって髪を絞る。獣人は短毛長毛はあるが等しく全身毛むくじゃらで一度濡れば乾くまで時間がかかる。


 他國であれば水事情も相まって表面を湿らせたタオルで拭くだけの者も珍しくないのだが、ここは温泉で溢れていて水が豊かだ。


 おまけに温泉の効果なのか洗い上がりも良ければ水切れも良いのでベンチにすわってタオルで水気を吸ってそよ風に吹かれればスッキリ乾く。


 流石に長い髪の毛はそうもいかないので大きなタオルを2枚使って乾かしていつものように2つのおさげにするすると編んでいく。


 脱ぎ散らかしたものを集めて洗面したの籠にまとめ身支度をすませればもうすっかり正午が近い。


 「こりゃ朝ごはん食いっぱぐれたなぁ。」


 大抵の宿は朝食の時間が決まっていて、その時間をすぎると問答無用で片付けられる。食べていなくても事前申告がない限り宿側から返金なども発生しないのだ。


 ひとまず出かける用意をして階段を降りていくとちょうど女将が食堂の暖簾から顔を出したとこだった。


 「おはよう、天結ちゃん。よく寝れた?そろそろ起こしに行こうかと思ってたからちょうどよかったわ。お出かけ前にご飯済ませていってね。」


 「え、ごめんなさい。とっててくれたんですか?次からは気をつけます。」


 「あらあら、いいのよ。旅の疲れだってあるんだし。うちは食事に時間は関係ないから食べるときは厨房に声をかけてね。」


 急に女将が女神に見えてきた天結である。手を惹引かれるままに食堂に入ると二人の気配を察した大将がベーコンとソーセージに目玉焼きとスープとごはんにサラダを出してくれた。女将はゆっくりでもいいと言ってくれたが片付けや昼の邪魔になってはいけないので早々に胃に納めて宿を飛び出した。


 昨日関所でもらった地図を確認しながらツネヨシに教えてもらった商人ギルドを目指す。


 広い通りは小舟用と歩行用に別れていて歩行者の中には人が乗れないほどの小さな舟に手荷物を載せてたり子供を乗せて紐で引いている人もいる。


 これは他國では見れない光景なので絶対絵に残そうと強く思いながらザブザブと歩く。


 交差点の角に前文明の巨大建築は壁面緑化という工法だと旅の空で聞いたことを思い出す。てっぺんの角が崩れて上の階2つ分が下から見てもわかるし、そこから湯気を立てた温泉が外へと流れ出ているから侵食されたんだろうと推測する。


 「あんなにお湯が流れ出してて建物使えるのかな?突然崩れたりしないよね?」


 ちょっと入るのを躊躇したくなる天結である。


 しかし、商人ギルドだろうと冒険者ギルドだろうと街を移動する際は消息確認のために届け出が必須のためここで手続きを怠れば天結は最後に転出届け出を出した肥後から目的地の殺魔に至るまでの間で魔物か野党により死亡扱いとなってしまう。


 そうなれば幼い妹が次の巫女世代の年長者として教育される。それだけは阻止せねばならない。天結にとって唯一故郷に残る良心は妹だけ。あの子のためにもなんとしてでも自分が殺魔に到着した痕跡だけは残さなければならない。


 なぜならその記録はある程度立場のあるギルド職員なら形跡を追うことができる。つまり、旅だった巫女の消息は一族に筒抜けなのだ。だからこそここで天結は引くわけに行かない。


 この建物がてっぺんの階から崩れて潰されないことを祈りつつ、1階の角を1か所だけ切り取ったような入り口から足を踏み入れるのであった。


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