狛犬家へ初訪問をした日を境に三日に一度は狛犬邸に赴きデッサンをするという習慣ができたものの、そればかりに集中してはいられない。ひとまず住む場所、落ち着いて絵を描く場所の確保は急務なので毎日せっせと通い詰めている天結である。
今日も今日とて午前中は家の整備をちまちまと勧め、午後はたりなったものや明日必要な素材を取りに出かけていく。
対獣人であれば、さすがに護身術程度でどうすることはできない天結であるが、相手が魔物であれば話は別。
対魔物兵器と言っても過言ではなく鍛えられた巫女としての能力があるため、魔獣が出るといわれる山に入ることに躊躇はない。
欲しい素材を求めて山の頂に向かって奥へ奥へと分け入ってゆき、足を止めてはしゃがみこんだり見上げたりとしながら必要な素材をどんどん集めていく。山に入ってどれくらいしたのか、そうして夢中になっていた。
その時。
背後から低い男の声で「危ない!」と聞こえた。
声に驚いて振り向けば、ドッと鈍い音にギュアァァァァと空気を震わす魔物の鳴き声。
しばらく状況を飲み込めずに呆気にとられるばかりであったが、どうやら素材採取に夢中となっている間に背後に迫っていた魔物に気づかなかったらしい。
一抱えありそうな角兎が首を縫い留めた矢に抵抗しようと藻掻くが一向に外れる様子はない。その正確な腕前に妙に関心してしまう。
ひとまず気配を探り他に魔物はおらず安全になったことを確認し、どこからか飛んできた矢の主はいないかと周囲を見渡す。
一体どれほどの距離から狙いを定めたのか。しばらくしてカサカサと茂みが動き、そちらの方を見ると1人の男が立っていた。
頭に乗せた ウエスタンハットさらりと揺れたうなじのウルフカットは鉄紺、腰に下げた刀、動きやすさとスマートさを重視した服装からみるにる冒険者であろうことが予測されるが、殺魔に冒険者を生業にしているものがいるのだろうかと天結がくびをかしげる。
男はそんな天結に呆れたような表情を浮かべてたまま、事切れた魔獣へと足を向ける。
さして苦労することもなく矢を引き抜いて、その亡骸を腰の後ろに下げた空間鞄の中へと詰め込んだ。
そこまでしてやっと天結に視線を向けてピタッと動きを止めた。
「あんた……。」
と、一言だけつぶやくと眉間にシワを寄せ帽子をかぶり直した。
天結は一体なぜこの男が自分を見つめ動きを止めているのかわからなかったが、ひとまずこの状況がこの男に助けられたというのだけは理解ができた。
素材採集で汚れた手をパタパタと払い、男の方にかける。
「あの!助けていただきありがとうございました。採取に夢中になってて気づかなくて。」
「みたいだな……。だが礼はいらない。おれは獲物を狩っただけだからな。」
あまりにも無防備な天結に最初は呆れていたような男であったが、そのぶっきらぼうな物言いの割に防止で影になった奥にある瞳はひどく優しかった。
「あんた、こんな山奥に一人で何してんだ?」
引き抜いた矢を強く振って魔獣の血を落とすとカバンの横に下げた矢筒へと戻す姿に先程の矢を射た正確性を見てこの男、黒柴犬獣人がいかに優秀な狩人かわかるというものだ。
「えっと植物の採取……。」
「ん〜なの見ればわかるってぇの。そうじゃなくてこんな山奥に一人……。一人だよな?」
「はい。一人です。」
「堂々と言うことじゃねぇだろう……。」
なぜか男はがっくりと肩を落としてしまう。
「このあたりは普通中級難度の魔物の生息粋だ。一人じゃ何かあったとき危ねぇだろ。」
「そう……ですね?」
「何で疑問文なんだよ。危ねぇに決まってんだろ。」
「でもあなたも一人ですよね。」
「俺は男だからいいんだよ。」
「危ない場面で男とか女とか関係ありますかね?」
「いいんだよ慣れてるから。」
危険性と慣れがどう関係するのか理解できず、天結は男を見上げたままキョトンと首をひねる。
「んで?何を探してたんだ?」
「なんでしょう?」
「はぁ!?おまっ!自分が何を見つけたいかも考えずにこんなとこ来たのか!?」
「あ、いえ、明確なも目的はあるんですが、殺魔に来たばかりなので植生が分からないので手当たり次第にやってるといいますか。」
「はぁ。」
どうも話の要領がつかめない男はほとほと呆れているように見えるがだからと言って危険地帯に置いていく気はないようだ。
「こんなちっこいの置いとくわけにもいかねぇしなぁ。」
「あの、私豆柴種で確かにあなたに比べれば小さいですけど、18のちゃんと大人なので心配ないです。」
「じゅうはちぃ!?や、まぁそれでも十分城ちゃんじゃねぇか。大体、ちゃんとした大人は魔物の接近にも気づかないくらい採取に夢中になったりしねぇんだよ。」
「なんかすいません。」
(それって自分が悪いのか?悪いのか……な?)
「んで?何に使いたいんだ?」
「絵の具とガラスを作りたくて。」
「絵の具はまぁわからんでもないが。ガラスは普通山にないだろう。」
「え?」
「なんだ?何も知らずにこんなとこまで登ってきたのか?」
「ダンジョンの魔物からまれに落ちてきたりは……。」
「そんなご都合主義持ってると思うか?あいつらが。」
「ですよね。」
「この辺だったらシラスか珪砂か石英だな。使うのは窓か?」
「はい。あとは食器としても仕えたらって思うんですが。」
「おまえさんもししかして他所から移住か?討伐のために出稼ぎじゃなくてか?」
「あ、討伐にも参加する予定ではありますが、定住希望で最近入國しました。今家を整えてる最中で。」
「入國?わざわざ他所からこんな魔境に流れ着くなんざぁ物好きだなぁ。」
「あ〜。ご先祖様が殺魔の出身で……。」
「それでこんなとこまできたのか。ご苦労なこった。」
会話の八割呆れっぱなしの男である。
「おめぇさんそんなんで討伐とか大丈夫か?街で祭りに酸化したほうが向いてるんじゃねぇか?」
つんつんと頭を小突かれて子供のようにむぅっとなる天結である。
「これでも一応戦えるんですぅ〜。ちょっと油断してただけですぅ。」
「その油断が命取りなんだよ。」
「わかってますぅ。」
「ほんとかぁ?」
初対面にも関わらず最初が助けられたからなのか、相手に遠慮が見られないからなのか、この気軽な距離が話しやすく感じてふと男を見上げた。
「あん?」
「いえ、何でもないです。」
「ふぅ。ガラスならまぁ、心当たりがあるが。」
「本当ですか!?」
「だがまぁ、必要な大きさがわからねぇことにはどうしようもねぇだろう。食器は何が欲しいんだ?コップか器か?」
「コップです。……そうか、たしかに大きさがわからないと頼みようがないですよね。あ、でも何と交換したらいんだろう?ガラスと同じ価値のものってなんだろう……。」
しばし考えてからゴソゴソと絵を入れている空間鞄を漁りだす。
「これなんてどうでしょう?」
取り出したのは星の細工がされた盾の絵である。
「絵はいらねぇだろうなぁ。」
「でもでも、こうやって神通力を込めると……。」
お手本を見せるように絵に神通力を込めると自分の前に半透明の盾が宙に浮く。
「こうやって見を守れます!」
「それはスゲェと思うけどよ。どっちかっていやぁ、お前さんに必要なものじゃねぇのか?」
「自分の分はいくらでも描けるからいいんです。」
「へぇ、それはお前さんが描いたのかすげぇ能力だな。……だがまぁいらねぇだろうなぁ。」
「そうですかぁ。私絵ぐらいしか交換できそうなものがなくて。」
「ふぅん。」
どうしたものかと考える天結を置いて、男は山を下り始める。
「ほら、何してんだ行くぞ。」
「え?」
「ここにいたってしょうがねぇだろ。ほら、案内しろ。」
「いいんですか!?」
「俺の気が変わらねぇうちならな。」
「ありがとうございます!私小柴天結です。」
「あゆう?」
「天を結ぶって書きます。」
「そりゃぁ、立派な名前じゃねぇか。」
「お兄さんのお名前聞いてもいいですか?」
「あん?そんなの聞いてどうすんだ?」
「ガラスの取引してくれるってことはまた会うってことじゃないですか。名前を知らないのは不便です!」
「おぉ、そうか。俺は蓮犬大介だ。」
「蓮犬さん、よろしくお願いします!」
「おぅ。」