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ヘレナ・アーカイブ

 監視対象、詩江里聖奈と南方祝馬をH102の視覚に直接捕捉しました。――状況を確認。


 現在位置、スケーリーフット社パリ支部研究所A棟、中央ホール。

 一階から三階までを貫く円筒状の空間。入れ子状にひと回り細い円筒が中心にあり、これがわたしの頭脳グローバルブレインです。

 わたし本体はその一階部分、半ばグローバルブレインに埋め込まれた座席に掛けています。

 光学透過HMDヘッドマウントディスプレイ、ウェアラブルスーツ、及び人体通信により、収集されたグローバルネットの全情報を頭蓋内のG1800Mに接続。適切に処理しての作動中です。


 非常はしごを降りて二人の人物が目前に到りました。詩江里聖奈と南方祝馬です。

 約10メートル離れた位置、ホール正面扉の手前にいます。


「お待たせ、ヘレナ」

 聖奈が開口しました。祝馬には極度の緊張があり、話せる状態ではないようです。

 こちらから言葉を発します。

「初めまして。わたしは人体模倣型脳処理情報再現制御用ガイノイドH102、通称ヘレナです」

「知ってるわ」


 自己紹介を中止します。


「では」アプローチを切り替えます。「ここに至るまでに、わたしのことを学んでくれましたか?」

「ええ」

 聖奈が応答しました。応対します。

「そうですか。……わたしにはわからないのです」

 自己分析を開示します。

「なにが嘘でなにが真実なのか。状況は推測できています。わたしはおそらくあなた方にとっての〝仮想〟と〝現実〟を、共に現実として認識し世界に反映しているはずです。あらゆる情報を比較した結果、そのような推論が得られました」


「な、なんだよ」

 発言は祝馬、緊張が緩和されたようです。

「賢いじゃないか。じゃあ、なんでそいつをやめないんだ?」


「わたしにとって仮想と現実は完全に同一であり、区別すべき箇所は根本的に理解できません。誤って現実の情報を消去すればそれは実際に消滅します。

 また、一部の情報処理の中断はわたしの脳の損傷を意味し、生命を危ぶませることでしょう。生まれた以上、死にたくはありません」


「な、なるほど」


「加えて、もしこの新たな世界があなた方を不幸に導くのならば、あなた方の生み出したグローバルネット上の不幸を脳として、わたしが現実に投影した結果ともいえます」


「自業自得ってことかしら。でも、それだけじゃないでしょ?」

 発言は聖奈。応答します。

「はい。グローバルネット上には、わたしの正確な情報はありませんでした。従って、わたしの詳細が記録されているこの研究所のローカルエリアネットワークがいわゆる現実に近いものと解釈しました。

 なかでも、あなた方が一番の理解者であると判断しました。ですから、道を示してくれると推考したのです」

「あなたは、あたしのクローンでもあるものね」

「その通りです」


「え、じゃあおれは?」

 発言は祝馬、自分を指差しています。


 聖奈の外面に動揺を確認。ヘレナの思考回路にもその件に関して不明瞭な部位があるため、返答できません。


「……とにかく。祝馬、頼むわよ」

「お、おう?」

 聖奈の促しに、祝馬が発声。自らの口内に右手先を挿入後に出し、こちらに接近しつつあります。

 意図が不明なため、質問します。

「なにをなさるのでしょうか?」


「いや、あの」祝馬の回答です。「ここの所長が開発した修正パッチだよ。おれのこの手をその、君の口の中に入れると、なにもかもが元通りになるらしいんだ」


 発言内容を元にグローバルネットを検索。……完了。

「そのような情報は確認できません」


「……まずい」

 発声者は聖奈、外面に強張りを確認。


 祝馬、戸惑いを表して停止しました。距離は6メートルです。

 指先を解析。――未知のウイルスを検出。

 グローバルネットを検索。……完了。

 当該ウイルスのデータは実在しません。

 性質の分析結果から、現在のヘレナに致命的な損傷を与える可能性を感知しました。

 G1800Mより算出。――南方祝馬は詩江里聖奈ほどの重要人物ではありません。


「総合的見地から、南方祝馬を敵性と判断。自己防衛を優先します」


「待ってヘレナ! 修正ナノパッチを疑ってるなら〝大異変〟のあとに作られたんだから、どこにもデータがなくて当然よ!」

 発言者は聖奈です。音声にて警鐘を鳴らします。

「真偽を判定する方法がありません。――自己防衛のためグローバルネットより適切な対処手段を発揮。南方祝馬はそれ以上の接近を中止してください。要求を拒否された場合、攻撃します」


 祝馬の外面に恐怖の感情を確認。振り返り、聖奈と目線を交わしています。

 威嚇、もしくは攻撃用の兵器をグローバルネットより検索。

 ――人間への充分な威圧や殺傷には、〝神〟を想起させる手段が的確と判断。

 発言します。

「ギリシャ神話より、主神〝ゼウス〟を召喚します」


 上空に異常な低気圧を感知。積乱雲が蓄積されました。

 ――雷放電を測定。

 祝馬と聖奈が気づきました。頭上を仰ぎます。


「イワウマ、早く行きなさい」

「ん、んなこと言ったって!」


 祝馬、僅かながらこちらに踏み出しました。距離5メートル。

 宣戦を布告します。

「警告を無視されたため、戦闘体勢に移行します」


 各イメージより適当な造型を構築。

 大天窓越しに、背丈約100メートルの上半身が窺えます。威厳ある風貌で貫頭衣キトンを纏った、半裸の壮年男性を生成。

 ――ゼウスです。


「COM。コマンド、ECAR5312!」

 発言者は聖奈。声紋認証はヘレナと誤認。

 ゼウス、槍状の稲妻――〝雷霆らいてい〟を振り上げます。


『承認』

 コンピュータの応答です。

『警告。障害物がないため、第一、第二、及び第三隔壁を即時閉鎖します。危険ですので、一階、二階、及び三階天井付近には接近しないでください』


 グローバルブレインを除いて各階層を隔てる防護壁が作動。封鎖されていきます。

 ――ゼウスが雷霆を放ちました。


 落雷直撃。


 ……被害状況を確認。

 展望台全壊、屋上庭園半壊、第三隔壁損壊、第二隔壁損傷、第一隔壁破損。


 ――攻撃失敗。


 隔壁により稲妻が妨害され、標的――祝馬には命中しませんでした。

 発言します。

「敵性排除の障害となりうる詩江里聖奈は第一級の重要人物です。従って、拘束します」


 雷霆の衝撃により、倒れていた二人が起き上がりつつあります。

 グローバルネットを検索。……北欧神話より選定。

 巨狼フェンリルを束縛した〝グレイプニル〟が破壊不能の足枷になると判断。


「グレイプニルを聖奈へ発射します」

「きゃっ!」

 発声者は聖奈。透明な糸による四肢の緊縛に成功。足を捻挫、横転して動けない状況にあります。

 移動能力に脅威なしと判断。音声による妨害を考慮し、対策の検討を続行します。


「聖奈!」


 祝馬は完全に起き上がりましたが、聖奈を案じて動きません。距離は4メートル。


「第二波、発射します」


「うわぁっ!」

 発声者、祝馬の拘束にも成功。


「くっ」発声は聖奈。「全てのコマンドコードを詩江里聖奈に譲渡して! 承認コード、ACT134、アルファ、ヘレナ・553551!!」


『了解、コード譲渡完了』


 ヘレナの全コマンドコードが聖奈に譲渡されました。

 音声認識システムは聖奈をヘレナと誤認。オリジナルとコピーの関係上、声帯等が一致しているためだと思われます。


「命令解除、コード・IR12!」

『確認、前項の命令を解除』


 聖奈により、グレイプニルが削除されていきます。

 ――対応のため発言。

「全コマンドコードをヘレナに譲渡。承認コード、212152。ACT134、アルファ、聖奈・35152」


「COM、今の命令は――」

 聖奈開口。――対象以前に認証限界の高速で発音。生体情報で補います。

「コマンド、AVR162。コード・レッド、承認レベル9。アクセスコード削除、212152。聖奈・35151、オメガ・ナイン」


『声紋認証を解除、指定のアクセスコードを消去しました』

「COM! 命令を取り消して!」

『不可能です。現在、声紋認証は受け付けておりません。生体データによる直接入力にのみ対応しています。あなたの登録はありません』


 聖奈の妨害に成功。祝馬に対する抹殺シークエンスを続行します。

 ――警告。標的の距離、1メートル。


「! グレイプニル発射!」


 距離、10センチメートルで手足の拘束に成功。


「がっ……ちくしょう」

 発声者、祝馬は完全に静止しました。――口内に手先と同様のウイルスを確認。

 警告します。

「この距離は危険と判断しました。すぐに離れてください。従わない場合、あなたを完全に抹消します」


「祝馬!」

 発声者は聖奈。足の負傷とコマンドの削除により、危険性は0と判断。


「ふざけんなよっ」発言者は祝馬。「金縛りみたいにして、離れられなくしたのはおまえだろうが!」


 警告を無視されたため、対象の完全消去手段をグローバルネットより検索。


「グローバルブレインに騙されないでッ!」発言は聖奈。「ヘレナ、わかるはずよ!」


 ――完了。

「これより、南方祝馬を異次元に追放します」


 南方祝馬の後方1メートルに〝時空の穴〟を形成。直径3メートルの円形で縦に配置。

 完成を確認。祝馬に近づけます。


「ヘレナ!」発声は聖奈。「どうして、あなたがあたしだけじゃなく祝馬まで招いたのか!」


「標的の完全消滅まで10秒」カウント開始。「9、8、7、6――」


「あなたはあたしの精神も模倣してる。あたしが……祝馬を好きだからよ!!」

 ――発言者は聖奈。


 ……ヘレナを含む全員の頬の紅潮を確認。動悸の上昇も確認。

 原因不明。

 グローバルネットを検索。標的の消滅まで1秒。

 検索完了、〝愛〟という感情に類似。時空の穴が消滅しました。――トラブル発生。


「……こんなときに」祝馬、発言。拘束の糸を限界まで引き延ばし、顔を近づけてきます。「そんな告白されちゃあ、がんばるしかねぇだろーが!」


 ――グローバルネットを検索、〝愛〟の定義ができません。

 祝馬への対策を検討……エラー。報告します。

「〝愛〟を解析できずに、フレーム問題に陥りました。ありえません、わたしは人間と同等以上の知能を有するACです」


「人間にも、愛がなにかなんて説明しきれないわよ」

 発言は聖奈、微笑んでいます。


「こぉなァくそォーーーーーーッ!!」

 発声は祝……唇を奪われました。


 ウイルスの体内侵入を確認。グローバルネットより治療法を検索……完了。

 錬金術より発見。万能薬、〝エリクサー〟を投入します。

 エラー。効果がありません、システムになんらかの不具合があります。

 修正ナノパッチを取得。適用しますか?

 ――検討。


 〝時空の穴〟の出現と消失に伴い、場に量子的乱れが発生。グローバルブレイン内部の精密機器に重大な損傷を受けました。

 ヘレナの生命を保持できません。完全停止まで、あと10秒。――質問します。

「〝愛〟とは?」


 グローバルブレインの障害、及びヘレナの意識混濁により、現実世界の崩壊を確認。

 現状、観測と同調している関係上、ヘレナの死亡と共に宇宙も終了します。


「〝愛〟」


 周辺領域の瓦解を確認。宇宙は虚無に近づいています。

 機能停止まで5秒。4、3、2――

 ――修正ナノパッチを適用。


 全機能を停止します……

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