28.Aout 2015
ヘレナはだいぶ局所的異変を制御できるようになったが、まだ暴走させることもある。
彼女を創造した当初のコンセプトである、人工生命を人間のようにしなければならない、というのも高慢に思えて、もう異変の対処にも困らないほどになってきたので、このままでもいいのではないかと彼女と話した。が、ヘレナ自身も人のようにはなりたいらしい。
というより、どうもイワウマくんに近づきたく、そのためになりたいそうだ。彼に対する反応が聖奈とどことなく似ているので、おそらく恋しているのだろう。
あの大異変には恋愛感情も無意識的に絡んでいたそうだし、もしかしたらイワウマくんへの想いが重要な鍵かもしれない。
修正ナノパッチはあくまで意識した情報を既存の科学法則に当てはめ、思考しきれない場合に除外するソフトだ。成長することで、人間が理屈でなくてもどんなものかわかってくることで対処できるようになってきたわけだが、無意識的な悩みには、それが深くなれば対応しきれない可能性もある。
……三人の関係が崩れる前に、あのことを打ち明けたほうがいいのだが。
新たな終末論の日も間近だ。なにかあるなら前回大異変を起こしたきっかけは危うい。
急がねばならないが、それ自体が引き金になるのではという危惧もある。
奥手だからかどこかぬけているからか、彼女たちが三角関係をよく自認してないらしいのが救いかもしれない。
29.Aout 2015
今日も言い出せなかった。
口にしたいのだがしたらどうなるか怖くもあるジレンマだ。いっそ、ここにでも書いておこう。
――以前レポートにもしたためたように、人間原理宇宙論はそれを正しいとする前提で開発された修正ナノパッチが効いた時点で証明された。
すると、人が観測することで現宇宙があるわけで、人間が誕生する以前は宇宙がなかったはずだ。ならば、どのように宇宙は観測され創造されたかということになる。
ここに、一つの仮説を導き出せるのだ。
かつてぼくはヘレナについてのレポートで、こんなことを書いた。
〝彼女の外見を少女にしたのは女性と子供が古来より霊感が強いとされ故に少女が最高の霊媒になるから〟と。また、〝世界中の神話を眺めれば女性神を原初の神として重視するものが多い〟と。
ならばそもそも、なぜ原初の神が女性であり少女が最も優れた霊媒なのか。
タイムパラドックスを解決する仮説の一つ。〝時間移動の結果も史実〟が正しいとすれば、現時点で理屈をつけることができそうなのだ。
――即ち、本当に原初の神が少女であったからではないだろうか。
……密かにヘレナか聖奈がこの記録を盗み読みでもしてくれたら、相談の手間も省けるのだが。
30.Aout 2015
……今夜の我が家の食卓はある意味地獄だった。
なんの変哲もないダイニングキッチンで、家族四人でテーブルについての食事中にそれは起きた。
聖奈がイワウマくんと過ごす時間の楽しさを長々としゃべりだしたのだが、隣の椅子のヘレナがむすっとしていたのである。そして唐突に箸を置き、「わたしのファーストキスは彼ですけどね」などと囁いた。
そしたら聖奈も、「あたしだって事故みたいなもんだけど、そのくらいのことしたわよ」などと張り合った。するとヘレナは「わたしのキスは彼から進んでしたのです」などと返す。もちろん聖奈は「彼の体内に宿った体液を動力にする修正ナノパッチを注入して、大異変を治めるためでしょうに!」と怒鳴る。
かくして、口論はエスカレートしていった。
主に同居時代の話題を持ち出し、「彼に裸をさらしたことがある」だの、「彼に抱きしめられたことがある」だの、「彼に胸を触られたことがある」だの、ほぼイワウマくんのラッキースケベ体験を語るものだから、父親としてはたまらない。
妻は隣で「あらあら、うふふ」と穏やかに聞いていたが、ぼくは何度ご飯とワインを噴出しかけたことか。
挙げ句、興奮したヘレナは局所的異変を暴走させた。
――おかげでダイニングキッチンはポルターガイストでめちゃくちゃである。あとでヘレナが我に返って制御したので治まったが。
目撃者も、大異変関係者以外は理解ある(というより天然な)妻がいただけなので不幸中の幸いだった。
……それにしてもイワウマくん、――君はぼくの娘たちになにをしてるんだ!
じゃなく。やっぱり、彼への恋愛感情は危惧へのきっかけになりうる。
こうなったら、明日にでも相談したほうがいいだろう。
31.Aout 2015
まずいことになった。
自分も妻と男女の関係になったときはいささか軽率だったが、娘がキスするのを意図せず目撃するのは衝撃だ。
イワウマくんはそれなりの男だが……。などと書いている場合ではない。
あの場面に遭遇したのはヘレナのほうがショックだったろう。かくなる上は準備をしなくてはなるまい。
妻も娘も大切だ。けれども、ヘレナは真の意味で一からぼくらが創造した生命だ。
彼女を不幸にはしたくない。
まだなにが起きるかわからない、なにもないかもしれない。あっても、今日の出来事とは関係のないなにかに起因するのかもしれない。
いずれにせよ、ヘレナの危惧が実現したら哀れだ。ぼくらはそのために彼女を生んだことになる。
酷い話だ。あれだけ人間の愚かさを憂いていたぼくが、最大の愚者だったとは。
1 .Sep mb e 2015
……イヤ、アルイハボクナラ