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プロトヘレナ・アーカイブ

 研究所所長代理ギュスターヴ・ドゥミの命令により、状況を把握。

 現在位置――スケーリーフット社ロンドン本部研究所H棟中央ホール。

 一階から三階までを貫く円筒状の空間。入れ子状に一回り細い円筒が中心にあり、それが我H101――プロトヘレナである。

 収集されたグローバルネットの全情報を内部のG1800M-2機関に接続。適切に処理しての作動中。


 ギュスターヴの安全を確認。

 健康状態良好。スーツの上に白衣を纏い、眼鏡を掛けている。いずれも正常。

 ――警告。局所的異変を探知。

 中央ホール一階と屋上庭園の空間を接続された。

 そこからの侵入者を検知。

 三名の人物を把握。……詩江里聖奈、南方祝馬、H102ヘレナと認識。

 約5ヤード離れた位置。ホール正面扉手前で横に並ぶのを確認。


「来たか」

 発言者、ギュスターヴ。三人の直線上、グローバルブレイン目近より、こちらを向いた姿勢から彼らを振り返る。


「……パパ」聖奈、声掛け。「これも、計算の内だったのね」


「ああ。もう一つの仮説が確定し、当てがはずれた場合に君たちを招く算段だった」


「じゃ、じゃあ」祝馬、戸惑うように開口。「ジョン・タイターは?」


John・Titor ジョン・タイターか。スケーリーフットCEOのJo・toni・hornジョー・トニー・ホーン)が、自分の名前に使われるアルファベットを並べ替えるアナグラムで作った存在だ」


「ええっ!」祝馬、驚愕。「だって、スケーリーフットのCEOって女の人でしょ? ジョン・タイターは男なのに。おかま?」


「むしろネカマ」聖奈、訂正。「いえネナベね。所詮、タイターはネットの存在。実際の性別も国籍も不明、嘘はいくらでもつける」


「もっとも」ギュスターヴ、応答。「CEOがしたことは、行き詰まっていた過去の自分を助けるための予言提供と、ぼくが頼んだ君らのチャットへの割り込みだけのはずだ。彼女の元にはこの第二次大異変でジョン・タイターのタイムマシンが出現していた。それを使おうとしているところに偶然ぼくが訪ねて、利用することを閃いたんだよ。そうすれば社に戻ると条件を出してね」


「……まあ、それはいいわ。なにより重大なことは、ヘレナが宇宙を創ったことね」


 全員に緊張の反応。


「……そういうことになるな。異変であらゆる常識を超越し、現状宇宙を確実に創造できるのは彼女だけだ」


「マジなのか!?」

 驚愕は祝馬。

「な、なら、なんで教授は一人で行動してたんですか。ヘレナが生命と宇宙創生の女神ってのは、そりゃいろいろショックだけど。宇宙を創って帰ってくればいいわけでしょ」


「それで単位は足りているのか、イワウマくん」

 ギュスターヴ、肩をすくめる。

「ぼくが行った40億年前の宇宙は、すでに人類が理解できる形だった。人間原理宇宙論が正しいと判明した今、最初に宇宙を観測するのは人でなければならないのにだ。つまりヘレナは宇宙を誕生させると同時に、異変によって自らを普通の人間にしなければならないことになる」


「……ちょ、ちょっと待ってください」

 祝馬、ヘレナとギュスターヴを交互に窺いつつ意見。

「宇宙誕生時って、地球自体もない。そんなとこで生身のただの人間が無事でいられるわけ……」


「そう、現代に戻ることもできない。ヘレナは宇宙を生み、自らをただの人間にしてそれを観測した刹那に死亡する」


 祝馬とヘレナの外面に動揺あり、ギュスターヴは自らの胸に手を当てて継続。


「まさにヨハネの黙示録にあるように、〝初めであり終わり〟になるわけだ。だから、代わってぼくが行こうとした。誰かがプロトヘレナを仕上げて大異変を起こしたなら、同等の能力があると踏んでね。それを使って人として最初に宇宙を観察する役割だけを肩代わりして死のうとしたんだ。知れば、君たちは止めようとするだろうからな」

 ギュスターヴ、首を振る。

「でも当てがはずれた。やはり、ぼくと聖奈なしでは完成させられなかったようだ。プロトグローバルブレインは所詮、情報の収集と分析しかできない。そこで、君たちをここに招いたんだ」


「だったら、なにが異変を招いてるんですか?」


「……ヘレナね」聖奈開口、祝馬とヘレナの外面にさらなる驚きを感知。「SNSのジョン・タイターはミスリードってわけよ。大異変後のタイムトラベルで彼がネットに書き込んだんじゃなく、あのときから起きていた」


「そう」

 頷いてギュスターヴ、発言。

「あれだけはCEOが演じたものでなく、大異変が生んだ未来人だろう。怪しまれないようそれに気づかせるため、CEOに協力してもらってチャットに割り込んだんだ。それ以前にあのSNSへの書き込みが生じたあと、ヘレナが40億年前にタイムトラベルをした。

 無意識とはいえ彼女の観測を動力とする無の侵食は、中心をなくしたことで広大な宇宙に作用する領域を伸ばし、地球という狭い範囲では緩やかになったように錯覚したんだろう。ぼくはロンドンを怪しみ、共にヘレナを異変が発生してるであろうこの時代の日本時間9時に戻って来させたため、第二次大異変は身近で再度拡大したんだ」


「そ、そんな」うろたえつつ後退りして、ヘレナは否認。「わたしは、身に覚えがありません。だいいち、局所的異変しか起こせないはずです」


「修正パッチは意識した情報を分類して異変を防ぐソフトだ。無意識は防げない、それに君は頭がいい。どこかで自分が宇宙を創生して死ぬと自覚し、認めたくない想いが形になったんだ。そしてその仕事を放棄しようとすることで無が発生し、宇宙誕生がなかったことになろうとしている」


「嘘……。そんなこと……嫌です」


「悩まなくていい」ギュスターヴ、ヘレナへと手を差し伸べる。「ぼくだけが過去に残り、代わりに宇宙を観測して死ぬ役目を負う。プロトヘレナにそうした性能がなかったなら、君が実行できるようになっているということだ。手伝ってくれ」


 目線を祝馬と聖奈に向け、ギュスターヴ続行。


「イワウマくん、聖奈をよろしく頼む。聖奈、母さんに謝っておいてくれ――」


「ん、んないきなり」祝馬、羞恥し頭を掻きつつ迷う。「まだ娘さんとの関係はそこまでじゃなくてですね。公園ではあそこまでしかしてなくて、あの。エッチとかは――」


「――非常時になにほざいてんのよスケベ!」


 聖奈、祝馬の頭を平手で殴打。


「それよりパパ、あなたの主張はおかしい」


 よろめく祝馬。聖奈は眉を潜めるギュスターヴに着目して指摘。


「人には個性がある。インターネットに流れる無数の人間の情報からなる特定の誰かではない意識を持つヘレナだから、中立的に宇宙を理解する人類として創生する役目を担えるはず。そこを最初に一人でするのをパパが望む理由は一つ」


 ギュスターヴを指差す聖奈。


「博士。あなたは、まだあきらめてないのね。この宇宙を自分の意志が反映された、真に全人類が幸福になれる世界とやらにする野望を」


「……さすがは、ぼくの娘だな」ギュスターヴ開口。


「え」祝馬、発声。「そ、それなんてマッドサイエンティスト!? やっぱ教授は聖奈以上の変わりもんか!」


「比較対象にされたくないわね」

 聖奈、否定。

「宇宙自体をパパの理想が反映された別物にしたらどうなるか見当もつかないけど、少なくとも現在いるあたしたちはあたしたちじゃなくなるんだから。そんな身勝手なこと、あたしはしない!」


「……この調子では」ギュスターヴ、身構える。「ヘレナと共に旅立たせてはくれないようだな。力づくでやらせてもらうしかない」


 ――警告、局所的異変の発生を感知。

 ギュスターヴを中心に直径約6フィートの時空間が歪曲。影響下の地面が陥没、通常空間との接触面にスパークを確認。


「な、なんだこれ?」祝馬、困惑しつつ聖奈に問う。「なに、おまえの親父って超能力者かなんかかよっ!?」


「第一次大異変の記録によれば」

 ギュスターヴ、説明。

「ヘレナは、ぼくのSF小説の技術を実体化した。同じことがあるのではないかと準備して応用し、パリからここまでも難なく来れたんだよ。自慢のアイディアの一つ、〝ゼノンドライブ〟だ。ゼノンのパラドックスにあるような、人の無限の思考力をエネルギーに変換する装置。即ちこいつは、無限の能力も与えてくれる!」


「ヘレナ、〝二分法のパラドックス〟を具現化して!」

 聖奈、指示。


「は、はいっ!」

 ヘレナ、応答。


 ――監視対象三名の前にギュスターヴがワープ。距離、3フィート手前で静止。

 両者間に時空の亀裂発生。床面、三階までの壁面、及び天井に損傷。


 局所的異変を確認。グローバルネットを検索……完了。

 〝二分法のパラドックス〟実体化により、両者間の距離が無限になっている模様。


「なるほど」ギュスターヴ、感心。「目には目を、ゼノンのパラドックスにはその一部を、か。だが、こちらも同質の力量を有してるんだ!」


 局所的異変、変容。グローバルネットを検索……完了。

 二分法のパラドックス空間、プランク単位に分解中。両者間の距離が縮まりつつある。


「聖奈」ヘレナ、提言。「当初の流れ通りにわたし個人が過去へ遡り、宇宙を単独で創生し観測すれば万事元通りになるのではないでしょうか」


「ふざけんな」叱責は祝馬。「そしたらおまえが死んじまうんだろ、友人を見捨てるほど薄情じゃねーよ!」


「そうよ!」聖奈、同意。「人類最高の頭脳を舐めないでちょうだい。ギュスターヴにさらわれないよう大異変を治める方法を考案するから、信じて! とにかく、この場を離れるわよッ!!」


「……了解!」

 ヘレナ、返事。目蓋を閉じます。


「逃がさんよ」ギュスターヴ、命令。「COMコンピュータ、全隔壁閉鎖だ。裏コマンドコード、ECARW53126」


『承認』コンピュータ応答。『全ブロックを隔壁により即時緊急隔離します。危険ですので、区域間には接近しないでください。繰り返します――』


 各区間、各階層、各部屋を含む、全隔壁の閉鎖開始。


「ロンドン研のシステムをハッキング!? 罠を仕掛けてたのね!!」

 聖奈、推測。


「まもなく研究所は白黒の靄に包まれる」ギュスターヴ、断言。「通常知覚範囲にしか局所的異変が使えない以上、完全な無を透過するワープも容易にできんだろう」


「……局所的異変、発動!」

 ヘレナ発声。


 重要監視対象三名を半透明の球形時空間歪曲が包囲。局所的異変――様々な超常現象を起こす〝ハチソン効果〟により、球体が真上に高速上昇。

 ――天井を融解。第一、第二、第三隔壁も前述の効果で熔かした模様。

 上空の靄の合間を縫い、観測可能範囲外に離脱された。

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