パチリと目が覚める。差し込んだ朝の光が頬を撫で、柚月の意識を覚醒させていく。
「ふぁ……ああ、そのまま寝ちゃったんだ……阿久津くんに変な態度とっちゃって、うじうじヘコんで」
柚月はベッドの上で膝を抱え、再び夜のうじうじを繰り返す。
「……高ノ宮、聖。ひじり、なの? 本当に」
ベルから聞いた、一年前に召喚されたという勇者。
蓮斗と柚月がこの世界に召喚された要因の一つにして、本来の王国の思惑から大きく外れ、独自の正義感に基づく身勝手な行動によりその影響はこの国にとって看過できないレベルに至っていると言う。
グレントール王国領土内における独断での〝奴隷解放〟や、領主の殺害、許可を出していない地域への無断侵入、魔国への独断進行、冒険者ギルドへの業務妨害。
柚月にとっては奴隷解放の何がいけないのか理解できない部分もあるが、それでも王国の管理を離れて身勝手な行動を取るのはやはり不味いのだろうと納得はできる。
問題はその身勝手な行動の責任と所在が王国に帰結してしまっていること。
元々は管理できなかった王国が悪いのでは? などと軽はずみにベルへ投げかけられるほど柚月のメンタルは鋼ではない。
現在勇者は独自に仲間を集い、今では迂闊に手を出せない戦力になっているらしく、その他にも柚月の理解が追いつかない複雑な理由により王国は勇者に手出しが出来ない。
そこでベルは一生に一度しか使えないはずの〝勇者召喚〟の儀式を、自分の寿命を犠牲にすることで行い、蓮斗と柚月に協力を仰いでいる状況だ。
「一年前……失踪事件、召喚」
脳裏に浮かぶのは柚月が中学生だった頃の情景、一年生から仲良くなった
柚月と別の高校へと進学した彼は、何かの事件に巻き込まれたのか行方がわからなくなっていると風の噂で聞いていた。
当時の柚月にはそこに感情的リソースを割く余裕が一切なかった為、その話に驚きはしたものの、心の奥深くに〝過去〟として仕舞い込んで蓋をしていた。
「間違い、ないよね……」
信じられないと言うよりも柚月にとってそれは、信じたくない現実である。
最初は何かの間違いだろうと思った。
柚月の聞いた話では領主の殺害など耳を疑う所業も含まれていたからだ。
流石にそこまでの事を
だが、考えれば考えるほどその可能性は肥大化していき、柚月の心を圧迫していた。
「……ヤダな、会いたく、ないよ」
ぽろぽろと、ほとんど無意識に頬を伝い落ちた滴がシーツに滲む。
制服の袖でゴシゴシと涙を雑に拭った柚月は僅かに鼻を啜りながらボーッと目の前を見つめる。
視線の先には優雅な彫刻が設えられた柚月の金銭感覚を軽く吹き飛ばしてしまうであろう豪華な姿見が置かれており、ジッと鏡の中の人物がこちらを見据えている。
ぶかぶかの学制服、野暮ったい前髪で隠れた表情、冴えないメガネはベルに取られたままだが、それを差し引いても陰鬱な雰囲気を全身から漂わせるイジメられっ子筆頭のような雰囲気の
「……っふふ、本当……誰? って感じだよ」
自嘲気味な笑いを溢し、陰鬱な雰囲気のまま流れるような動作で制服のポケットからスマホを取り出した柚月は自分の世界に籠るようにガチャ依存で重課金したゲームアプリを立ち上げようとして。
「ぁ……そっか、繋がるわけ、ないよね」
画面の端には残り十パーセントを切った充電のアイコン。
このまま電源が落ちればこの世界でまともに充電を行うことは不可能に近いだろう。
そう思うと柚月の内側からやるせなく、名状し難い複雑な感情が次々と溢れ始め、気がつけば〝写真〟のアイコンをタップしていた。
「はは、そっか……高校に上がる時、機種変してデータ引き継がなかったんだ」
ぼっち街道を直走っていた柚月の写真フォルダーに大した思い出はない。
永遠と推しキャラやゲーム攻略情報などを〝スクショ〟した画像データが並んでいるだけだ。
もしかしたら帰れないかもしれない。
最後に迷惑をかけた両親の顔くらい胸に刻んでおこうと立ち上げたアプリの中にその面影はなく、途端に心細さがこみ上げてきた柚月は、こぼれ落ちる滴に濡れていく画面を無心にスクロールし続け。
「あ——」
一枚の古びた写真を撮影した
いつだったか、何かを探していた拍子に見つかった懐かしい写真をスマホで撮影していた事を柚月は思い出す。
写真には幼い四人の子供が写っていた。
その中には柚月も写っており、当時よく遊んでいた、見た目は冷たいし怒りっぽいけど、実は優しい年上の男の子とそんな男の子をからかって遊んでいたお人形みたいに可愛い年上の女の子。
十歳に満たないであろう柚月は、この頃はまだ関係も良かった兄にべったりとくっつき眩しい笑顔を浮かべていた。
「うちが引っ越す前に、撮ったんだったっけ……」
兄以外の二人は、この頃の柚月にとって頼もしく心強い兄と姉のような関係だった。
「りあなお姉ちゃん……」
「レンくん……懐かしい。あれ? そういえば阿久津くんも名前がレントだったような?」
ふと視線に映るあどけない少年と、阿久津蓮斗を重ねようとした柚月は、「ないないない」と首を激しく振った。
どう考えても母性を擽る可愛らしい少年と、凶悪という言葉を体現したような蓮斗の姿が重なるはずもなく。
「レンくんは一つ上だったから、同じ学年じゃないはず」
うん、違う。絶対に違う。そう自分に言い聞かせながら柚月は写真に再び視線を落とす。
「戻りたい、な……この頃に、そしたら、あんな——」
再び思考の沼に溺れかけた所でコンコンと扉をノックする音が響く。
慌てた柚月はビクッと肩を震わせた。
「は、はい!」
「……」
外に聞こえるよう声を出したつもりの柚月だったが返事はない。
若干の恐怖心を抱えながらもゆっくり扉へと近づき柚月はドアノブに手をかけた。
カチャッと静かな音と共にオドオドしながら顔だけ隙間から覗かせた柚月だが、しかし、そこには誰もいない。
「ぇ……え!? こ、こここここ、怖いんですけどぉ……逆に、だれかいてくれませんか〜」
辺りを見回しても物音一つしない廊下は静まり返っており、人の気配も感じられない。
ベルからこの世界にアンデット系の魔物が存在していることを聞いていた柚月はサーっと表情を青ざめさせる。
元の世界と違い、この世界では幽霊いるかいないかではなく、むしろ討伐対象くらいの現実感でゴーストという存在は認知されている。
つまり怪奇現象の一つや二つ起きて当然な環境であることに改めて思い至り、慌てて扉を閉めようとした柚月の足元に木製の小さな木箱が置かれていることに気がついた。
「……な、なに? まさか爆弾!?」
蓮斗がいたならば間違いなく辛辣なツッコミを受けそうな発言ではあるが、今は柚月一人である。
柚月は改めて木箱を見る。
上にはハンカチが乗せられており、中が見えないようにしてあった。
震える小動物と化した柚月はその後も遠くから箱を眺めてみたり、指で突いてみたりと無駄な奮闘を繰り返し、最終的には箱を抱え部屋に戻った。
「……怖いものじゃありませんように、怖いものじゃありませんように」
目を瞑って大袈裟に騒ぐ柚月は意を決してハンカチを取り払った。
「——へ? ぇえ!? 肌着と、下着? え? なんで? いや、めちゃくちゃ助かるけど、誰が……ってコレ——っ」
木箱の中にはありふれたスポーツタイプの下着が数着入っており、見るからに新品であることが窺える。
実際のところ蓮斗同様この世界にきた初日は柚月もゆっくり入浴しようなどと言う気分になれず、まる二日制服すがたのまま過ごしていた。
昨晩、いい加減気持ち悪いと感じた柚月は着替えの為に部屋のクローゼットを開けた瞬間、絶望した事は記憶に新しい。
純白のブリーフ。
これは流石に履けなかった。
柚月はソレを履くだけで色々なモノを失ってしまう気がしてならなかった。
この事実は想像以上に重い現実として柚月の心にのし掛かり、このブリーフをきっかけに柚月のネガティブな感情が膨れ上がったと言っても過言ではない。
「——っ……」
柚月は誰からか差し出されたその下着を胸に抱くようにして、口元に手を当てながら大粒の涙を溢す。
誰かはわからない、メイドの誰かが