瑠星と別れてから、俺は夜のバイト先でもある兄貴の店へと向かった。
土曜の夜はかき入れ時だ。それこそ馬車馬のようにホールを行き来しなきゃならない。ホールではどんなに疲れていても笑顔が必須。たとえ相手が、俺目当てで来ている勘違い女子だろうとも、嫌な顔をしてはいけない。
いつもなら、胃が痛くなるその相手が今日も来ていた。彼女はいつものように、帰り際に声をかけてきた。
「淳之輔くん、今日はご機嫌ね。何かいいことあったの?」
「分かりますか?」
「ええ。いつもより、いっぱい笑顔なんだもの。私に会えて嬉しかった、とか?」
お前に会えたことが嬉しいなんてことは欠片もない。とはいえ、客にそんなことを突きつける訳にもいかないため、笑って「実は」といいながら、口角を上げた。
たぶんこの時の俺は、相手が誰であれ、瑠星のことを話したくて仕方なかったんだと思う。
「今ちょっと気になる子がいて、その子と夏休みに会う約束したんですよ」
「……え、淳之輔くんって恋人いたの?」
「いやいや、俺なんかが恋人にはなれないですよ」
「じゃあ、片思いなんだ」
勘違い女子はほっと安堵したように笑った。それに「そうなりますね」と相槌を打てば、彼女は目を輝かせて「いつでも恋の相談してね!」と返してくる。
間違っても、お前に相談することはないけどな。言葉にはせず、ありがとうございますと心にない返事をして、丁度入ってきた新しい客に「いらっしゃいませ!」と声を張り上げた。
それからラストオーダーが過ぎ、一段落した厨房でグラスを拭いていると、同じくバイトをしている泉原が俺を呼んだ。
「お前、気持ち悪いくらいやに下がった顔してるぞ」
「そうか?」
「勘違いちゃんに笑顔向けてたし、どうしたんだ?」
「あー、あれは関係ない」
「だろうな。けど、その顔は勘違いされるぞ。あの手は何をいってもねじ曲げるんだから、気を付けろよ」
付き合いの長い泉原は、俺がゲイだってことも知っているし、高校時代に一悶着あった充とのことも気にかけてくれている。同じ大学に受かったのも何かの縁だろうからと、よく相談にも乗ってくれている。瑠星の家庭教師をしていることを知っているのも、こいつだけだ。
「実は、夏休みに瑠星が俺のアパートに来ることになってさ」
「はぁ!? 瑠星ちゃんって高校生──おまっ、高校生を連れ込むのはヤバいだろう」
「何を勘違いしてんだ。勉強しに来るんだよ」
声を上げた泉原にジト目を向けると、逆に「紛らわしい!」とキレられた。
「……てっきり俺は、お前が瑠星ちゃんに本気になったのかと思ったんだが?」
「バカいえ。瑠星は弟みたいなもんだって」
「ほーん、弟属性に弟ねぇ」
「何だよそれ」
「要領よしの甘え上手。そのくせ頑固で負けず嫌い。出来の良い兄貴の下で育った弟あるあるドンピシャだろ」
「俺ってそんなんか?」
「そんなんだよ。そういや、瑠星ちゃんって兄弟いんの?」
「一人っ子だって。でも、兄弟みたいに育った従兄妹がいるらしいよ」
「ほーん。もしかしたら、瑠星ちゃんは兄属性かもな。でも、一人っ子だと甘えたがりか?」
「甘えてれくれたら嬉しいんだけどな」
頑張り屋な瑠星のことだから、いたる所に気を遣っているに違いない。学園祭の出し物だって、結局、周囲に気を遣って引き受けていたしな。親にお金を使わせてるとか考えたり、俺にだって家庭教師の日以外に申し訳ないとか思っていそうだ。
グラスを拭きながら、そこに瑠星の顔を思い浮かべる。
適当に生きてるみたいに装ってるけど、本質はすごい真面目な子だ。やると決めた以上、頑固に曲げないそんなところがあるから、心配なんだよな。
頑張りに見合った結果を出してやりたい。その為にも、やっぱり夏休みは重要だろう。来年は遊べないから、今年は遊びたいってのもわかる。わかるからこそ寄り添いたいというか。
悶々と考えていると、泉原がため息をついた。
「……もう、手遅れだな」
「何が?」
「お前が気付いてないだけだ」
「だから、何が」
「俺にも弟がいるが、甘えさせたいなんて一ミリも思わないぞ。つーか、あの甘ったれはどうしようもないからな!」
「お前が厳しいだけじゃないの?」
拭き終わったグラスを所定の位置に戻し終えると、店長から「そろそろ閉めるぞ」と声がかかった。