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第42話 夏休みの水族館は、想像の何倍も混雑してる

 大きなタコの水槽の前で立ち止まった淳之輔先生が「たこ焼き何人前できるかな?」といいだした。カニやエビを見ても、そんな調子で、カニコロッケ何個作れるかなとか、エビはフライが一番好きだなとか。


「先生、食べることばっかり」

「え? 魚見たら食べたくならない?」

「ならないかな」


 相美湾を再現したという大水槽を前にして、淳之輔先生はマイワシに大軍を指差して「美味そうじゃん」っていう。


 大きなエイやサメが泳ぐ中、マイワシの大群が一斉に方向転換してキラキラと輝いた。


 そういえば、幼稚園に通ってたくらいだったかな。ここで、ダイバーが潜って水槽内の説明をしてくれるショーを見たんだよな。空気の泡がいっぱい出て昇っていく様子が綺麗で、潜ってみたいって思ったんだ。潜りたいっていったら、泳げないと無理だからって──奇しくも、水泳教室に通い始めたきっかけを思い出し、口許が緩んだ。


「何か、面白いものあった?」

「えっと……水泳教室に通うきっかけを思い出してました。水槽に潜ってショーを見せるダイバーに憧れたんですよ」

「水槽のショー? ああ、魚の紹介とか相美湾の説明するやつか」


 館内の案内パンフレットを開いた淳之輔先生は、これだろうといって指し示す。今でもやっているんだと、少し嬉しくなりながら頷き、思い出を掻い摘んで話した。


「イルカショーじゃなくて、ダイバーなんだ」

「その日、雨降ってたんですよ。だから、イルカショーは見てなくて」

「そうなんだ。じゃあ、今日は行かないとな。でも、大水槽のショーも久しぶりに見たいとかある?」

「うーん……」


 パンフレットを覗き込み、ショーの多さに少し悩んだ。

 大水槽の相美湾の魚と楽しむダイビングショー、イルカショーは二種類あるし、他にもペンギンや白クマのご飯タイム、クラゲ水槽のプロジェクションマッピング──幼い頃の記憶はおぼろげだけど、こんなにたくさんあったかな。


「全部見るのは大変そうですね」

「また来ればいいし、今日はいくつかに絞れば良いんじゃない?」


 さらっという淳之輔先生の顔を、思わず振り返ってしまったのは、俺の中にまた来るって選択肢がなかったから。それって、また一緒に来ようってことなのか。

 目が合い、にこりと微笑まれる。


「とりあえず、ペンギンと白クマのエリアに行こうか。俺、ペンギン好きなんだよね」

「可愛いですよね」

「動きも可愛いけどさ、その生態も面白くってさ」

「生態?」


 南極の氷で身を寄せ合って生きているくらいのイメージしかない。どのあたりが面白いのかさっぱり想像がつかなかった。

 首を傾げるように淳之輔先生を見上げた時、横を女性が勢いよく通り抜けようとした。それを交わしきれなかった俺は、見知らぬ彼女とそろってバランスを崩し、そろって「ごめんなんさい!」と謝った。


 危うく倒れかけた俺は、背中を淳之輔先生の身体に預けるような形になった。両脇には、先生の両手が差し込まれている。正直、なんともみっともない格好だよな。


 女性はつと先生に視線を向けた。薄暗い館内でも、その頬が赤くなったように見えるのは、気のせいじゃないだろう。そりゃ、こんなイケメンを前にしたら頬を染めるよな。もしも、ぶつかった相手が俺じゃなくて先生だったら、きっと、先生は彼女をさっと庇って抱き留めたんじゃないかな。俺がいて申し訳ない。


「館内では走らない方が良いですよ」

「は、はいっ。本当にすみません」


 わたわたと謝る女性が、何かいおうとした時だ。遠くから彼女を呼ぶ声がそれに気付いた先生は「お気をつけて」というと、俺の手を握って歩き出した。

 女性が、あのって声をかけようとするけど、先生は振り向かない。


 あれ。もしかしなくても、あの人、先生を逆ナンしようとしたんじゃないのかな?

 ちょっと後ろを見ると、数人の女性が彼女の元に集まって、何か話しながらこっちを見ていた。


「淳之輔先生、あの……」

「やっぱり夏休みだから混んでるね。またぶつかったら大変だから、側離れないでね」


 手がぎゅっと握られる。


「……俺、小学生じゃないですけど」

「まあそうだけど。瑠星にケガさせたら、ご両親に申し訳ないし」

「ぶつかったくらいでケガしませんって」

「薄暗いから、どうだが」


 離れない手の意味がわからない。

 横を通り過ぎた女の子たちが手を繋いで歩いているのを見て、自分たちの手に視線を向けた。


 女の子同士で手を繋ぐのは普通みたいだけど、男同士でこうして歩くのって変じゃないのかな。高校でも女子の方がスキンシップ多い気もするけど、男子ってどうだったか。あー、谷川と東だったらくっついてそうな気もするけど。

 ぐるぐる考えていると、俺よりも大きくてごつごつした手と繋いだ指先が、ぐんぐんと体温を上げていくような気がした。


「ペンギンのプールは、この先みたいだな」


 淳之輔先生に促されて顔を上げた瞬間、足元の小さな段差に爪先を引っかけた。

 ぐんっと引っ張られるようにして、先生に抱き締められる。


「ほら、やっぱり危ない」

「……すみません」


 握られた手を離すタイミングを失い、気恥ずかしさに耳が熱くなる。

 水族館の中が薄暗くて良かったと心底思った。

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