ガラス張りの向こう、岩場を模して造られたペンギンのプールには、たくさんのフンボルトペンギンがいた。
「フンボルトペンギンって、絶滅危惧種なんだよ」
「へえ、そうは見えませんね」
「日本では繁殖しすぎなんだって。わざわざ、偽物の卵とすり替えて、繁殖させないようにするとかもあるらしいよ」
「そんなに?」
「うん。ペンギンって子煩悩なところがあってさ。基本的には一夫一妻なのに、子育ては集団でやるんだって。まるで幼稚園みたいらしいよ。おもしろうだろ? それに、頭も良くてさ」
淳之輔先生が、プールを指差した。丁度、餌やりタイムだったらしい。
ぽこんっと透明のカプセルがプールに投げ込まれた。紐のついたそれの中には餌が入っている。一羽のペンギンがぐんぐんと追っていき、器用に紐を引っ張ると、カプセルが開いた。
「ほらほら、あっち見て」
先生に促されて見た先にいたのは、カプセルを開けようとしたペンギンに近づく他のペンギンだ。そいつは、カプセルが開いた瞬間に横取りをしていく。
「ずる賢いのもいるんですね」
「攻防戦が面白いよな」
「あ、岩場でも魚もらってる」
「ほら、ちゃっかりバケツに気付いて顔突っ込んでるのもいるよ」
「でも飼育員さん、ちゃんと気付きましたね」
ペンギン同士の攻防に、飼育員との攻防。ペンギンの餌やりショーを食い入るように見ていると、淳之輔先生が「ペンギンってさ」と、また別の豆知識を話し始めた。
「雄カップルがいるんだよ。雌の卵を奪って二人で育てたとか、各国の水族館で報告されてるんだ」
「へー。今時ですね」
「今時?」
「あー、ほら、最近はジェンダーレスだ何だって、言う人も多いっていうか。話題が今時だなって」
「なるほど。今時だからそういった報告も知られるようになったのかもな」
「そもそも、雄雌なんて見た目わからないですし」
「ははっ。──どこの国だったかな。ペンギンが同性婚運動のシンボルにもなったこともあるよ。それを考えたら、確かに今時だな」
さすが淳之輔先生、博識というか雑学の幅が広いな。と思いつつ、つい俺は笑ってしまった。
だって、ペンギンからしたら同性婚とか関係ないだろう。その雄のペンギンズは意気投合して楽しかっただけとか、一緒に育てるのが都合よかったとか、そんなとこじゃないのかな。
それを結婚だ何だって人間の価値観に当てはめることを考えたら、おかしくて仕方ない。
「どうしたんだ、瑠星。何か面白いとこあった?」
「ペンギンにはそんなの関係ないよなって考えたら、おかしくないですか?」
「……ペンギンに?」
「だって、育てたいから育てただけかもしれないし、雄だ雌だ関係なく、その方が都合よかったとか、一緒にいるのが楽しいかったのか。人にはわからないじゃないですか」
「まあ、そういう考えも出来るな」
「だからペンギンからしたら、俺たちがこんな話してるのだって、くだらないって思うかもしれないですよ」
「くだらないか?」
淳之輔先生は一瞬、驚いたようだったけど、面白いといいたそうな顔になって俺の顔を覗き込むように見た。
相変わらず、綺麗な顔にまじまじと見られるのは恥ずかしいな。
「くだらないですよ。そもそも、同性婚を忌み嫌うのって、宗教観念から来たものでしょ?」
「あー、まあ、そうなるのか」
「歴史から見ると、そうですよ」
「なるほどな。確かに、ペンギンに宗教観念はないだろうな」
「だから、雄同士のペンギンは一緒にいて居心地が良かっただけで」
話しながら、ふと美羽のいっていた「水族館デート」というワードが浮かんだ。
男女でなくても楽しければデート。つまり、それって雄カップルのペンギンからしたら、自然なことってことか?
いやいや、でも、人間社会で言えばやっぱりデートっていうのは遊びに行くのとは違うわけで。待てよ。谷川と東だったらべったりくっついていても違和感がない気もする。脳裏でペンギンに変換された二人が羽根をばたつかせて体を寄せ合う姿を想像し、おかしくなった。
あいつらが付き合ってるとかないだろうけど、二人で出掛けるのは普通にやってそうだ。それなら、俺と淳之輔先生の今日は──
「どうした、瑠星?」
「えっ!?」
「いや、急に黙り込んだからさ」
「あー……なんていうか、ペンギンから見たら、俺たちってどう見えるのかなって」
「俺たち?」
「ほっ、ほら。女の子同士で仲良くしてるグループに、家族連れ、男女のカップルもいるし」
まさか、自分と淳之輔先生がどう見えるか考えていたと、悟られるわけにもいかない。しどろもどろに答えると、首を傾げた先生は「なんとも思わないんじゃない」といった。
「なんとも?」
「そう、なんとも。敵意を向けられたら気にするだろうけど、客は皆、好意的に見てるからね。そこまで気にしてないんじゃない?」
「気にしないのか……」
「ペンギンから見たら、俺たちはサイズ感も服装も違いすぎでしょ?」
大人に子供、髪や服装も人それぞれ。確かに、統一感のあるペンギンたちから見たら、人間は個体差が激しいかも。
「だからさ、俺たちが観察しているつもりでいても、逆に観察されてるかもしれないよ」
「ペンギンに?」
「ほら、アイツなんて、さっきからずっと瑠星見てるぞ」
「マジで!?」
淳之輔先生が指し示す方を見ると、ちょっとぽっちゃりしたペンギンがこっちを見ていた。
「ペンギンにも、瑠星の可愛さがわかるみたいだな」
「また、俺のこと可愛いって……子ども扱いしすぎ」
少しだけムッとして先生を見上げると、スマホのレンズがこっちを向いていた。シャッター音が響く。
「不意打ちは卑怯です!」
「ほらほら、あのペンギンとのツーショットが撮れたよ」
笑い声を上げた淳之輔先生にスマホの画面を見せられる。確かに、少し拗ねたような顔をした俺の後ろには、こっちを伺うペンギンの姿があった。
「俺も一緒に撮りたいから。ハイ、こっち見て!」
ぐっと先生の顔が寄り、カメラが構えられる。
「それじゃ、ペンギンと撮れないじゃないですか」
「俺は瑠星と撮りたいんだよ」
何を当たり前のことを。そういうように目をぱちくりさせた先生が、ほらほらと俺を急かした。