帰り道、首筋を焼く陽射しの中、滝と並んで駅に向かった。
「谷川の落胆ぶり凄かったな」
「まさか、あそこまでなるとは思ってなかった」
「東にも話が行くだろうし、スマホに悲鳴が届くんじゃないか?」
俺がそういった時、滝はズボンに手を突っ込んでスマホを引っ張り出した。画面を確認して「来た」と呟く。
「東と谷川、美羽を美化しまくってるからな。高嶺の花だっていってたし」
「そうなのか?」
「クラスでも、熱視線注いでたたことあるだろ。気付かなかったのかよ」
「……悪いことをしたな」
スマホをポケットに戻した滝は、少し困った顔をしてため息をついた。
思い返してみれば、部活バカな滝は教室に来るのが始業ギリギリだし、昼休みも教室にいないことが多い。放課後は当然さっさと部活に行ってしまうから、東と谷川が騒いでいるのを、あまり見ていないのかも知れない。
まあ、付き合っていることを隠す必要もないといえばない。別に、男女交際禁止なんて時代錯誤の校則もない訳だし。
「滝は、美羽に会うから伝えるっていっただけだろ? そこに反応して、どういうことだって騒いだのは谷川だし」
「いや……マウントを取る気だった。だから、俺が悪いんだ」
「マウント?」
「大沢さんに片思いしてるヤツがいるって話は聞いたことがあった。だから……」
言葉を濁した滝は、申し訳なさそうな顔で「俺が彼氏だっていいたかった」といった。
信号がタイミング悪く赤に変わった。立ち止まって訪れた微妙な沈黙の中、汗を拭って少し考えた。
マウントをとりたいって、恋愛をしたこともなく、恋人がいたこともない俺にはわからない感情だ。
もしかしたら、滝は不安でもあったのかな。自分が相手に相応しいかとか、考えたのかもしれない。だから、美羽が他に惹かれないように、他が近づかないように威嚇したとか。
再び、美羽とぎこちなく手を繋いでいた姿を思い出す。それと、淳之輔先生のことを。
形は違うけど、俺だって先生の横に並ぶのが恥ずかしいと思ったり、相応しかとか考えるもんな。恋愛となったら、もっと色々考えるものなのかも。
「なあ、滝、不安なのか?」
「当たり前だろ。大沢さん、可愛いんだから」
「……可愛いか?」
「若槻は近いからそんなこといってんだよ……そんなんだから、こうして相談できるんだけど」
「相談? 愚痴の間違いだろ。俺、女子と付き合ったことないし、何もアドバイスできないぞ」
「そうなのか?」
「なんでドン引きすんだよ」
「いや……いそうだと思ってたから」
「いねぇよ。今は成績上げるのに必死だし」
目標は美浜大だ。でも、底辺にいた俺が目指すには、まだまだ勉強が足りないって領域だ。淳之輔先生だって、渋い顔していたもんな。
でも、美浜大に合格したら先生だって喜んでくれるだろうし、喜ばせたい。まだ一年以上時間があるんだ。やってやれないことはない……と、信じたい訳で。勉強以外に悩む暇なんてない。
「成績か……大沢さん、成績良いよな」
「腹立つくらい、あいつは昔から器用なんだよ」
「そうなのか? どこの大学志望なんだろう」
「さあ?」
「聞いたことないのか?」
「なんで俺が知ってると思うんだよ。本人に訊けよ」
ため息交じりにいえば、滝はそうかと呟いて、短髪頭をガリガリとかいた。
「なあ、若槻……相談なんだが」
「だから、恋愛相談は無理だ」
「……恋愛かは判断が難しいが……どうやったら、大沢さんを名前で呼べるだろうか」
「は?」
「クラスメイトにマウントをとりたくなるくらいには、不安だ。大沢さんを名前で呼ぶ勇気もないんだ」
「普通に呼べばいいじゃん」
「できたら苦労しない……」
まあ、男って苗字で呼ぶことの方が多いよな。俺も若槻って呼ばれることの方が多いし、下の名前で呼ぶってのはそこそこ付き合いが長い連中だ。
女子と名前を呼び合うなんて、俺にも経験はない。美羽は別枠だしな。
首を傾げていると、ふと淳之輔先生のことを思い出した。先生は、最初から俺を名前で呼びたいっていってたな。あれがあったから、俺も先生のことを、淳之輔先生って呼ぶようになった。
「素直に名前で呼んでいいか訊くのが早いと思うけど」
「……それができたら」
「できなきゃ、いつまでも変わらないだろ。そりゃ、他人を名前で呼ぶのも呼ばれるのも、恥ずかしいのはわかるけどさ」
「わかるのか? 若槻、彼女いないって──」
「いなくて悪かったな。そうじゃなくて、家庭教師に名前で呼ばれてるんだ。顔合わせた最初の日に、名前で呼びたいっていわれたんだ」
「家庭教師か……」
「慣れたら変えるのって大変だろ? 最初が肝心だと思うよ」
「最初か……大沢さんと、話してみる」
「そこは、美羽っていっとけよ」
「うっ……みっ、美羽ちゃん、と話してみる」
ぎこちなく名前を口にする滝は耳まで真っ赤だ。それを見て、思わず「純情かよ!」と突っ込むと、さらに赤くなった。
これが恋愛してるってやつなんだな。なんか、いいなと少しだけ思えた。
東や谷川が「彼女欲しいなぁ」とか「大沢さんが彼女になってくれたら」とか、度々いっていたのを思い出して、そう口走る気持ちがわかった気さえした。──まあ、俺は勉強が最優先だし、恋愛は大学に入ってからでも出来るし。
ちらりと淳之輔先生のことを思い出した。
恋愛なんかしたら、そんな暇あるのかって笑われそうだよな。