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第58話 恋愛をしたことのない俺には、わからないことだらけだ

 帰り道、首筋を焼く陽射しの中、滝と並んで駅に向かった。


「谷川の落胆ぶり凄かったな」

「まさか、あそこまでなるとは思ってなかった」

「東にも話が行くだろうし、スマホに悲鳴が届くんじゃないか?」


 俺がそういった時、滝はズボンに手を突っ込んでスマホを引っ張り出した。画面を確認して「来た」と呟く。


「東と谷川、美羽を美化しまくってるからな。高嶺の花だっていってたし」

「そうなのか?」

「クラスでも、熱視線注いでたたことあるだろ。気付かなかったのかよ」

「……悪いことをしたな」


 スマホをポケットに戻した滝は、少し困った顔をしてため息をついた。


 思い返してみれば、部活バカな滝は教室に来るのが始業ギリギリだし、昼休みも教室にいないことが多い。放課後は当然さっさと部活に行ってしまうから、東と谷川が騒いでいるのを、あまり見ていないのかも知れない。


 まあ、付き合っていることを隠す必要もないといえばない。別に、男女交際禁止なんて時代錯誤の校則もない訳だし。


「滝は、美羽に会うから伝えるっていっただけだろ? そこに反応して、どういうことだって騒いだのは谷川だし」

「いや……マウントを取る気だった。だから、俺が悪いんだ」

「マウント?」

「大沢さんに片思いしてるヤツがいるって話は聞いたことがあった。だから……」


 言葉を濁した滝は、申し訳なさそうな顔で「俺が彼氏だっていいたかった」といった。

 信号がタイミング悪く赤に変わった。立ち止まって訪れた微妙な沈黙の中、汗を拭って少し考えた。


 マウントをとりたいって、恋愛をしたこともなく、恋人がいたこともない俺にはわからない感情だ。

 もしかしたら、滝は不安でもあったのかな。自分が相手に相応しいかとか、考えたのかもしれない。だから、美羽が他に惹かれないように、他が近づかないように威嚇したとか。


 再び、美羽とぎこちなく手を繋いでいた姿を思い出す。それと、淳之輔先生のことを。


 形は違うけど、俺だって先生の横に並ぶのが恥ずかしいと思ったり、相応しかとか考えるもんな。恋愛となったら、もっと色々考えるものなのかも。


「なあ、滝、不安なのか?」

「当たり前だろ。大沢さん、可愛いんだから」

「……可愛いか?」

「若槻は近いからそんなこといってんだよ……そんなんだから、こうして相談できるんだけど」

「相談? 愚痴の間違いだろ。俺、女子と付き合ったことないし、何もアドバイスできないぞ」

「そうなのか?」

「なんでドン引きすんだよ」

「いや……いそうだと思ってたから」

「いねぇよ。今は成績上げるのに必死だし」


 目標は美浜大だ。でも、底辺にいた俺が目指すには、まだまだ勉強が足りないって領域だ。淳之輔先生だって、渋い顔していたもんな。

 でも、美浜大に合格したら先生だって喜んでくれるだろうし、喜ばせたい。まだ一年以上時間があるんだ。やってやれないことはない……と、信じたい訳で。勉強以外に悩む暇なんてない。


「成績か……大沢さん、成績良いよな」

「腹立つくらい、あいつは昔から器用なんだよ」

「そうなのか? どこの大学志望なんだろう」

「さあ?」

「聞いたことないのか?」

「なんで俺が知ってると思うんだよ。本人に訊けよ」


 ため息交じりにいえば、滝はそうかと呟いて、短髪頭をガリガリとかいた。


「なあ、若槻……相談なんだが」

「だから、恋愛相談は無理だ」

「……恋愛かは判断が難しいが……どうやったら、大沢さんを名前で呼べるだろうか」

「は?」

「クラスメイトにマウントをとりたくなるくらいには、不安だ。大沢さんを名前で呼ぶ勇気もないんだ」

「普通に呼べばいいじゃん」

「できたら苦労しない……」


 まあ、男って苗字で呼ぶことの方が多いよな。俺も若槻って呼ばれることの方が多いし、下の名前で呼ぶってのはそこそこ付き合いが長い連中だ。


 女子と名前を呼び合うなんて、俺にも経験はない。美羽は別枠だしな。

 首を傾げていると、ふと淳之輔先生のことを思い出した。先生は、最初から俺を名前で呼びたいっていってたな。あれがあったから、俺も先生のことを、淳之輔先生って呼ぶようになった。


「素直に名前で呼んでいいか訊くのが早いと思うけど」

「……それができたら」

「できなきゃ、いつまでも変わらないだろ。そりゃ、他人を名前で呼ぶのも呼ばれるのも、恥ずかしいのはわかるけどさ」

「わかるのか? 若槻、彼女いないって──」

「いなくて悪かったな。そうじゃなくて、家庭教師に名前で呼ばれてるんだ。顔合わせた最初の日に、名前で呼びたいっていわれたんだ」

「家庭教師か……」

「慣れたら変えるのって大変だろ? 最初が肝心だと思うよ」

「最初か……大沢さんと、話してみる」

「そこは、美羽っていっとけよ」

「うっ……みっ、美羽ちゃん、と話してみる」


 ぎこちなく名前を口にする滝は耳まで真っ赤だ。それを見て、思わず「純情かよ!」と突っ込むと、さらに赤くなった。


 これが恋愛してるってやつなんだな。なんか、いいなと少しだけ思えた。

 東や谷川が「彼女欲しいなぁ」とか「大沢さんが彼女になってくれたら」とか、度々いっていたのを思い出して、そう口走る気持ちがわかった気さえした。──まあ、俺は勉強が最優先だし、恋愛は大学に入ってからでも出来るし。


 ちらりと淳之輔先生のことを思い出した。

 恋愛なんかしたら、そんな暇あるのかって笑われそうだよな。

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