「瑠星? 顔色が悪いな」
「あ、いや……ちょっとぼーっとしただけです」
「いつまでもここにいるのも、よくないな」
「ジュース飲んじゃいますね」
ははっと笑って、もう一度ドリンクのストローを咥えた。
さっき感じた胸が締め付けられるような感覚は、何だったんだろう。淳之輔先生には、気付かれなかったよな。これ以上いろいろと心配かけるのも申し訳ないし、平気な顔をしないと。
ドリンクを飲み干すと、少し気持ちが落ち着いた。
黙っている淳之輔先生が気になって、ちらっと横を見ると、先生は少し厳しい眼差しを人混みに向けていた。なんだか、警戒しているようにも見える。
何を見ているのかと思って、視線の先を探ってみる。だけど、そこにあるのは人混みだけだ。
「先生?」
「……え? あぁ、飲み終わったか。じゃあ、行くか」
ハッとして俺を見た淳之輔先生は、立ち上がりながら手を差し出した。
それがどういう意味なのか分からず、戸惑った。手を掴めということなのか、飲み終わったドリンクのカップを渡すようになのか。
ほんの数秒悩んでカップを渡すと、先生は一瞬きょとんとする。直後、噴き出して笑った。そうして、もう片手が俺の手を掴んだ。
「まだふらつくだろ?」
「え、あの──」
「ほら、行くぞ」
まるで、美羽と滝のように手を繋いで、ベンチを離れた俺たちは人混みの中へと入っていった。
しばらくして、誰かが強く肩にぶつかってきた。それによろめき、危うく転びそうになると、淳之輔先生がしっかりと抱きとめてくれた。
「こめんなさいっ!」
「いや、俺は平気だけど。ぶつかって来たヤツはどこに行ったんだ?」
「これだけ混んでるんですから、仕方ないですよ」
「それはそうだけど……」
淳之輔先生の訝しむような視線が、人混みに向けられる。だけど、ぶつかってきた人はもう見えない。
先生の手が、少し強く俺の手を握った。
「さっきより、混んできましたね。何かあるのかな?」
「ああ、これから、この通りでパレードがあるらしいよ」
「それを見るのに集まってるのか」
「参加型で、水鉄砲で水かけたりするみたいだね」
「水は……いいかな」
水族館のことを思い出して苦笑すると、淳之輔先生も同じことを思い出したのか「真水だろうけどね」といって笑った。
人混みを抜けた先に、ミラーハウスはあった。中は、全面鏡張りの迷路だ。
「これはなかなか」
「うわっ、通路かと思ったら、こっちも鏡だ」
「上手いこと反射を使ってるね」
いくつもの鏡に姿が映し出され、淳之輔先生と手を繋いでいたことに、はたと気付かされた。
男同士なのに、まるで恋人のような姿が、いたるところに映っている。
急に恥ずかしくなった。先生の手をぱっと放し、鏡に興味津々なふりをして、何も映っていない鏡を目指して走った。
「瑠星?」
「出口、どこでしょうね? こっちかな?」
探すふりをして、先生から視線を外す。横を見れば、鏡に赤い顔をした俺が一人、映っていた。
これは外でのぼせたから、頬が赤くなってるだけで、別に先生と手を繋いでいたのが恥ずかしかったからではなくて。──胸が苦しくなっていく。バクバクと鼓動が早くなるのを感じながら、振り返った。
「先生、こっちは行き止まり……あれ?」
振り返った先に、淳之輔先生の姿はなかった。
鏡に見知らぬ客の姿が代わる代わる映り込むけど、先生の姿は見当たらない。がやがやと、楽しい声が聞こえるけど、俺を呼ぶ声もしない。
もしかして、俺、はぐれた!?
一瞬、焦った。でも、出口は一つなんだから、そこを目指せば会えるよな。──バクバクと早くなる心拍数を落ち着けようと、無意識に手が胸元を握りしめた。
歩き出したその時だった。異様な視線を感じた。
鏡の中に、こっちを見ている黒髪の女がいる。
「──えっ!?」
一瞬、ここはお化け屋敷だったかと思ったくらい、その眼差しには憎しみがこもっていた。
足が震え出しそうだった。気力を振る搾り、後ろを振り返ってみるけれど、そこには誰もいない。
まさか、お化けなわけないよな。そう思いながらも、不安で汗が冷えていく。
リュックの肩ひもを握りしめて後ずさると、背中が鏡にぶつかった。息を飲み、ひやりとした鏡に手をつきながら歩き出す。
気のせいだ。きっと、何かの見間違いだ。不安な気持ちが、勘違いしただけだ。──自分に言い聞かせながら淳之輔先生を探すけど、どうしてか、不安は消えない。
なんだろ、この違和感は。
そういえば、ここに来るまでも変なことがあった。ジェットコースターで感じた視線と舌打ち。広場では先生が、警戒するような眼で人混みを見ていた。それに、すごい力でぶつかられて。
背筋を悪寒が走った。
振り返った先にある鏡から、黒髪の女が消える。
「──ひっ……せ、先生! どこですか!?」
思わず声を上げて駆けだす。するとすぐに、鏡の角から淳之輔先生が姿を現した。
「瑠星。やっと見つけた」
「せ、先生っ!」
「いやぁ、鏡を侮ってたね。すっかり迷子になるところ……瑠星?」
先生と会えた安堵感に、思わずその胸に飛び込んでいた。
「おっ、お化け……」
「お化け?」
「黒髪の、お化けがいて!」
「ここはお化け屋敷じゃないよ?」
「で、でも、俺のこと物凄い睨んできて」
「……鏡の反射で、そう見えたのかな? 大丈夫だから」
淳之輔先生を見上げると、その綺麗な目が鏡張りの周辺を睨むようにして、なにかを探っていた。
俺の視線に気付いたのだろうか。先生はこっちを見て、安心させるようににこりと笑う。
「とりあえず、外に出ようか。もう、手を離しちゃダメだよ」
ぎゅっと手を握られ、引っ張られるようにして鏡張りの迷路を二人で進んだ。