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第69話 瑠星を巻き込みたくなかった(淳之輔SIDE)

 暴れるストーカー女は、泉原と滝くんが押さえ込んでくれた。そのおかげもあって、美羽ちゃんや梨乃さん、それと他の客に危害が及ぶことはなかった。けど、どう考えても警察の介入は免れない。

 こんなことに、瑠星を巻き込んでしまった。

 フォークで刺された腕の痛みよりも、怯えた顔を思い出す方が、ずっと胸が痛んだ。


 遊園地に入った時から、気になる人影はいた。もしかしたら、あの女がついてきたんじゃないか、警戒もしていた。そのことに、瑠星が感づいていたことも、わかっていた。

 だけど、美羽ちゃんが勘違いされたのかと思っていた。滝くんと仲がいい様子を引き出せば、あの女も勘違いに気付くだろうと。

 だから、四人が俺たちから離れた時、少し気が緩んだのが、そもそもの間違いだったんだ。


 ミラーハウスで瑠星が見たたお化け──あの女だとすぐ気づけばよかった。

 帰ろう。そういえばよかった。


 後悔の念が渦巻き、今日の楽しかった時間が飲み込まれていくようだ。


 病院での手当てが済み廊下に出ると、真っ青な顔をした瑠星が待っていた。俺の腕を見て、じわじわと目に涙を浮かべる。

 泣かせたくなかった。巻き込みたくなかった。──どうして、上手くいかないんだ。


「先生……」

「大したことないよ。念のため、感染症予防の薬とか化膿止めが出された」


 何事もなかったように、俺は笑えていただろうか。

 延ばされた瑠星の指が震えていた。俺の腕に触れようとして、途中で止まる。


「俺のせいだ……ごめん、なさい」

「なんで瑠星のせいなんだよ? 悪いのはあの女だろ」 

「だって……俺、変だって、気付いてた……もっと、早く、先生に……」


 ぼろぼろと零れる涙を拭いながら俯く瑠星の言葉に、そうじゃないんだといいかけ、唇を噛んだ。

 今、どんなことをいったところで、優しい瑠星は自分のせいだと言い張るだろう。俺が悪いんだといったところで、きっと、その気持ちを救ってやることは出来ないんじゃないか。


「……いいんだ。瑠星を守れたんだから」

「──!?」


 どうしたらいいか。考えても答えはなく、泣いている瑠星を放っておくことも出来ず、その頭を引き寄せて抱きしめた。


「俺は、瑠星の家庭教師だろ。守らせてくれよ、な?」

「……でも、もっと酷かったら……先生がいなくなったら、俺……」


 冷たくなった瑠星の指先が、包帯の下で熱を持つ腕にそっと触れた。


「いなくならないから、心配すんな」


 涙を止めてやりたいのに、俺を見た瑠星はさらに顔をくしゃくしゃにした。困り果てていたその時、少し離れたところから「瑠星!」と呼ぶ声がした。振り返ると、血相を変えた瑠星のお母さんが、大股で近づいてきた。


「母さん……仕事は?」

「仕事なんてしてる場合じゃないでしょ! 瑠星、大丈夫? 怪我はないの!?」

「俺は大丈夫だよ。先生が庇ってくれたから。美羽も……皆もなんともない」


 俺の腕から離れて顔を擦った瑠星は、母親に泣き顔を見られたくないのだろう。きまり悪そうな顔をして視線を逸らした。

 お母さんは、心底安堵したように深いため息をこぼした。


「……襲われたって聞いて、寿命が縮んだわよ」


 その言葉に、胸が痛んだ。大切な一人息子になにかあってからでは、遅い。

 俺は、自分の状況を分かっていた筈なのに……巻き込んでしまった。


「申し訳ありません。瑠星くんを巻き込んでしまいました」


 頭を下げ、謝罪を口にする。

 それだけでは足りないだろう。出来ることなら、土下座をしたい。いいや、するべきだ。そんな俺の気持ちに気付いていたのだろうか。罵倒されても仕方のない俺に、優しい声が「先生、頭を上げてください」といった。


「詳しいことはわかりませんが……先生、瑠星を守って下さって、ありがとうございます」


 顔を上げると、今度は瑠星のお母さんが頭を下げた。俺は、感謝せれることなんてしていないのに。


「いや、あの……元は、俺をつけ回していたストーカーなんで、俺が刺されるのは当然、いや当然じゃないですが」

「……先生、なにいってんの?」

「いや、だって、ほら……あの、お母さん、頭上げてください。本当に、俺の責任なんで」


 俺が慌てたのに驚いた顔をした瑠星は、すっかり涙が引いたみたいで、少しだけ笑ってくれた。でも、まだ少し苦しそうな顔だ。


「先生、責任を感じてくださるなら、瑠星の成績をもっと上げてくださいね」

「……え?」

「なにいってんの、母さん?」

「あら、だってこんなことが起きて、二人そろって遠慮しあって勉強に支障が出たら大変でしょ?」


 顔を上げた瑠星のお母さんは、ふふふっと笑った。なんて強い人なんだろう。


「それに、相手は先生のストーカーなんですって? 実害が出たんだから、警察だって動いてくれるわよ」

「……母さん、すげー前向きだな」


 呆れたようにいう瑠星だけど、俺は、ありがたすぎる言葉に涙が出てきた。


「ありがとうございます。……これからも、頑張らせていただきます。それに、なにがあっても……瑠星くんを守ります」


 俺の決心に、二人は一瞬、驚いた顔をした。だけど、お母さんは朗らかな笑みを浮かべて「よろしくお願いします」といい、瑠星は……少しだけ眉をひそめて笑っていた。それは、照れ笑いなのだろうか。それもとも、やっぱり罪悪感を抱かせてしまったのだろうか。


 瑠星の気持ちが知りたい。だが、その思いを口にするのは、まだ、無理そうだ。

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