暴れるストーカー女は、泉原と滝くんが押さえ込んでくれた。そのおかげもあって、美羽ちゃんや梨乃さん、それと他の客に危害が及ぶことはなかった。けど、どう考えても警察の介入は免れない。
こんなことに、瑠星を巻き込んでしまった。
フォークで刺された腕の痛みよりも、怯えた顔を思い出す方が、ずっと胸が痛んだ。
遊園地に入った時から、気になる人影はいた。もしかしたら、あの女がついてきたんじゃないか、警戒もしていた。そのことに、瑠星が感づいていたことも、わかっていた。
だけど、美羽ちゃんが勘違いされたのかと思っていた。滝くんと仲がいい様子を引き出せば、あの女も勘違いに気付くだろうと。
だから、四人が俺たちから離れた時、少し気が緩んだのが、そもそもの間違いだったんだ。
ミラーハウスで瑠星が見たたお化け──あの女だとすぐ気づけばよかった。
帰ろう。そういえばよかった。
後悔の念が渦巻き、今日の楽しかった時間が飲み込まれていくようだ。
病院での手当てが済み廊下に出ると、真っ青な顔をした瑠星が待っていた。俺の腕を見て、じわじわと目に涙を浮かべる。
泣かせたくなかった。巻き込みたくなかった。──どうして、上手くいかないんだ。
「先生……」
「大したことないよ。念のため、感染症予防の薬とか化膿止めが出された」
何事もなかったように、俺は笑えていただろうか。
延ばされた瑠星の指が震えていた。俺の腕に触れようとして、途中で止まる。
「俺のせいだ……ごめん、なさい」
「なんで瑠星のせいなんだよ? 悪いのはあの女だろ」
「だって……俺、変だって、気付いてた……もっと、早く、先生に……」
ぼろぼろと零れる涙を拭いながら俯く瑠星の言葉に、そうじゃないんだといいかけ、唇を噛んだ。
今、どんなことをいったところで、優しい瑠星は自分のせいだと言い張るだろう。俺が悪いんだといったところで、きっと、その気持ちを救ってやることは出来ないんじゃないか。
「……いいんだ。瑠星を守れたんだから」
「──!?」
どうしたらいいか。考えても答えはなく、泣いている瑠星を放っておくことも出来ず、その頭を引き寄せて抱きしめた。
「俺は、瑠星の家庭教師だろ。守らせてくれよ、な?」
「……でも、もっと酷かったら……先生がいなくなったら、俺……」
冷たくなった瑠星の指先が、包帯の下で熱を持つ腕にそっと触れた。
「いなくならないから、心配すんな」
涙を止めてやりたいのに、俺を見た瑠星はさらに顔をくしゃくしゃにした。困り果てていたその時、少し離れたところから「瑠星!」と呼ぶ声がした。振り返ると、血相を変えた瑠星のお母さんが、大股で近づいてきた。
「母さん……仕事は?」
「仕事なんてしてる場合じゃないでしょ! 瑠星、大丈夫? 怪我はないの!?」
「俺は大丈夫だよ。先生が庇ってくれたから。美羽も……皆もなんともない」
俺の腕から離れて顔を擦った瑠星は、母親に泣き顔を見られたくないのだろう。きまり悪そうな顔をして視線を逸らした。
お母さんは、心底安堵したように深いため息をこぼした。
「……襲われたって聞いて、寿命が縮んだわよ」
その言葉に、胸が痛んだ。大切な一人息子になにかあってからでは、遅い。
俺は、自分の状況を分かっていた筈なのに……巻き込んでしまった。
「申し訳ありません。瑠星くんを巻き込んでしまいました」
頭を下げ、謝罪を口にする。
それだけでは足りないだろう。出来ることなら、土下座をしたい。いいや、するべきだ。そんな俺の気持ちに気付いていたのだろうか。罵倒されても仕方のない俺に、優しい声が「先生、頭を上げてください」といった。
「詳しいことはわかりませんが……先生、瑠星を守って下さって、ありがとうございます」
顔を上げると、今度は瑠星のお母さんが頭を下げた。俺は、感謝せれることなんてしていないのに。
「いや、あの……元は、俺をつけ回していたストーカーなんで、俺が刺されるのは当然、いや当然じゃないですが」
「……先生、なにいってんの?」
「いや、だって、ほら……あの、お母さん、頭上げてください。本当に、俺の責任なんで」
俺が慌てたのに驚いた顔をした瑠星は、すっかり涙が引いたみたいで、少しだけ笑ってくれた。でも、まだ少し苦しそうな顔だ。
「先生、責任を感じてくださるなら、瑠星の成績をもっと上げてくださいね」
「……え?」
「なにいってんの、母さん?」
「あら、だってこんなことが起きて、二人そろって遠慮しあって勉強に支障が出たら大変でしょ?」
顔を上げた瑠星のお母さんは、ふふふっと笑った。なんて強い人なんだろう。
「それに、相手は先生のストーカーなんですって? 実害が出たんだから、警察だって動いてくれるわよ」
「……母さん、すげー前向きだな」
呆れたようにいう瑠星だけど、俺は、ありがたすぎる言葉に涙が出てきた。
「ありがとうございます。……これからも、頑張らせていただきます。それに、なにがあっても……瑠星くんを守ります」
俺の決心に、二人は一瞬、驚いた顔をした。だけど、お母さんは朗らかな笑みを浮かべて「よろしくお願いします」といい、瑠星は……少しだけ眉をひそめて笑っていた。それは、照れ笑いなのだろうか。それもとも、やっぱり罪悪感を抱かせてしまったのだろうか。
瑠星の気持ちが知りたい。だが、その思いを口にするのは、まだ、無理そうだ。