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第74話 先生お手製のスパニッシュオムレツ

 朝、目を覚ますと、床に敷いていた布団はすっかり畳まれていた。淳之輔先生の姿もない。

 スマホを手に取って時刻を確認すると、六時四十分、平日ならまだしも、夏休み真っただ中でこんな早く起きるなんて、もったいない気もするな。

 でも、昨夜の先生を思い出し、少し不安になりながら部屋を出た。


 階段を降りていくと、いい匂いがする。ダイニングに顔を出すと、母さんが「おはよう」と声をかけてきた。その横には、母さんのエプロンをつけていた。


「おはよう。そんな恰好で起きてきて。着替えなさい」

「いいじゃん。別にどこか行くわけじゃないし。先生、おはよう」


 まったくもうと呆れる母さんは、サラダボウルとパンが並んだ籠をもってキッチンを出た。入れ替わりでキッチンに入ると、先生が「おはよう」って、にこっと笑った。その顔を見て、ほっとする。


「先生、早起きすぎじゃない?」

「はは、一人暮らしだと自分でなんでもやるだろ。朝の用意も染みついてるというか」

「大学生は朝遅いのかと思ってた」

「御前の講義がない時は、そういう日もあるけどな」


 フライパンに大皿を被せた淳之輔先生は、それをひっくり返した。

 包帯の巻かれた腕が目に入り、怪我した腕で料理なんてして、痛くないのか心配になる。だけど、先生は平然とした顔だ。


 見守っていた皿の上には、まるでケーキみたいなまんまるのオムレツが現れた。フライパンのサイズそのままだし、ただのオムレツよりも芳ばしくいい香りがする。


「デカっ! なにこれ」

「スパニッシュオムレツ。ジャガイモとかベーコンを入れて焼くオムレツだ」

「美味しそう!」


 包丁でケーキみたいに切られたスパニッシュオムレツから、ほんわかと美味しそうな香りの湯気が立ち上った。

 皿をダイニングに持っていくと、丁度、スーツに着替え終えた父さんが洗面所から出てきた。


「いい匂いだな」

「淳之輔さんが、作ってくれたのよ。手際も良くてびっくりしちゃったわ」


 にこにこ笑う母さんは、いつの間にか先生を、息子みたいに名前呼びにしてる。俺が寝ている間に、なんの話をしてたんだろう。それを父さんも気にした様子もなく「それは凄い」なんていってるし。

 やっぱり、うちの両親ってなんか変だよな。


「私なんて、一人暮らしの時はインスタントとスーパーの総菜に頼りっぱなしだったよ」

「お父さんは、お米を炊くのも面倒だっていってたものね」

「ははっ、そうだったな。よく母さんに、まともなものを食べろって怒られたな」

「私が作りに行かないと、ろくなもの食べなかったじゃないですか」


 ほら、変だ。さらっと息子の前で惚気始めるし。

 二人のやり取りに呆れながら、席に着くと野菜スープの入ったカップが並んだ。

 横に座った先生が、そっと「ご両親いつもこんな感じなの?」と耳打ちする。それに苦笑して「仲良すぎですよね」というと「羨ましいな」と笑った。


「では、いただくか」

「そうね。でもお父さん、急がないと仕事に間に合わないですよ」

「大丈夫だろう。──ん、これは美味いな」


 早速オムレツを食べる父さんは、嬉しそうに顔をほころばせた。そういえば、父さんって芋が大好きだったっけ。母さんも美味しそうに食べて「ジャガイモ入れるのもいいわね」と呟く。


「気に入ってもらえて良かった」

「瑠星ももう少しお料理できるといいんだけどね」

「一人暮らしをしたら、嫌でも覚えますよ」

「そうかしら? お父さんみたいに、なーんにもしないと思うわ」

「そんなことないし。つーか、家に住んでたら作る必要ないじゃん。母さん、料理上手なんだし」

「いつまでも、親を頼らないでほしいわね」

「じゃあ、その時は先生に教わるよ」


 サラダを皿に盛りつけていた母さんは手を止めると「あらま」といって笑った。


「家庭科の授業もしてもらわないとかしらね」

「まったく、瑠星は先生に迷惑をかけてばかりだな」


 父さんもおかしそうに笑う。そんな二人を見て、先生は少し戸惑いを見せて「たいしたこと出来ませんよ」と苦笑した。

 和やかな朝食の時間はすぐすぎて、父さんは出勤した。家を出る時、淳之輔先生に「今度はお酒を飲みましょう」なんていってた。


「母さんは、今日、出社日なの?」

「本当は在宅の予定だったんだけどね。昨日、予定をずらしたから、今日も出てくるわ」

「すみません、自分のせいで……」

「気にしないでください。トラブルにはなれてますから」


 用意を終えた母さんは「ゆっくりしていって下さいね」というと、父さんを追うようにして慌ただしく家を出ていった。

 玄関で、淳之輔先生と並んで両親を見送ると、なんとなく二人で顔を見合った。


「いつも、朝はこんな感じなの?」

「今日は二人とも、少しゆっくりだったかな。でも、まあ、こんな感じです」

「そっか……なんか、いろいろ気を遣わせてしまったみたいだな」


 ははっと力なく笑う淳之輔先生は、さあ片付けようといって俺に背を向けた。その背中が少し遠いように思えたけど、キッチンに入った先生は「終わったら勉強しような」と、いつもの調子で笑った。

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