朝、目を覚ますと、床に敷いていた布団はすっかり畳まれていた。淳之輔先生の姿もない。
スマホを手に取って時刻を確認すると、六時四十分、平日ならまだしも、夏休み真っただ中でこんな早く起きるなんて、もったいない気もするな。
でも、昨夜の先生を思い出し、少し不安になりながら部屋を出た。
階段を降りていくと、いい匂いがする。ダイニングに顔を出すと、母さんが「おはよう」と声をかけてきた。その横には、母さんのエプロンをつけていた。
「おはよう。そんな恰好で起きてきて。着替えなさい」
「いいじゃん。別にどこか行くわけじゃないし。先生、おはよう」
まったくもうと呆れる母さんは、サラダボウルとパンが並んだ籠をもってキッチンを出た。入れ替わりでキッチンに入ると、先生が「おはよう」って、にこっと笑った。その顔を見て、ほっとする。
「先生、早起きすぎじゃない?」
「はは、一人暮らしだと自分でなんでもやるだろ。朝の用意も染みついてるというか」
「大学生は朝遅いのかと思ってた」
「御前の講義がない時は、そういう日もあるけどな」
フライパンに大皿を被せた淳之輔先生は、それをひっくり返した。
包帯の巻かれた腕が目に入り、怪我した腕で料理なんてして、痛くないのか心配になる。だけど、先生は平然とした顔だ。
見守っていた皿の上には、まるでケーキみたいなまんまるのオムレツが現れた。フライパンのサイズそのままだし、ただのオムレツよりも芳ばしくいい香りがする。
「デカっ! なにこれ」
「スパニッシュオムレツ。ジャガイモとかベーコンを入れて焼くオムレツだ」
「美味しそう!」
包丁でケーキみたいに切られたスパニッシュオムレツから、ほんわかと美味しそうな香りの湯気が立ち上った。
皿をダイニングに持っていくと、丁度、スーツに着替え終えた父さんが洗面所から出てきた。
「いい匂いだな」
「淳之輔さんが、作ってくれたのよ。手際も良くてびっくりしちゃったわ」
にこにこ笑う母さんは、いつの間にか先生を、息子みたいに名前呼びにしてる。俺が寝ている間に、なんの話をしてたんだろう。それを父さんも気にした様子もなく「それは凄い」なんていってるし。
やっぱり、うちの両親ってなんか変だよな。
「私なんて、一人暮らしの時はインスタントとスーパーの総菜に頼りっぱなしだったよ」
「お父さんは、お米を炊くのも面倒だっていってたものね」
「ははっ、そうだったな。よく母さんに、まともなものを食べろって怒られたな」
「私が作りに行かないと、ろくなもの食べなかったじゃないですか」
ほら、変だ。さらっと息子の前で惚気始めるし。
二人のやり取りに呆れながら、席に着くと野菜スープの入ったカップが並んだ。
横に座った先生が、そっと「ご両親いつもこんな感じなの?」と耳打ちする。それに苦笑して「仲良すぎですよね」というと「羨ましいな」と笑った。
「では、いただくか」
「そうね。でもお父さん、急がないと仕事に間に合わないですよ」
「大丈夫だろう。──ん、これは美味いな」
早速オムレツを食べる父さんは、嬉しそうに顔をほころばせた。そういえば、父さんって芋が大好きだったっけ。母さんも美味しそうに食べて「ジャガイモ入れるのもいいわね」と呟く。
「気に入ってもらえて良かった」
「瑠星ももう少しお料理できるといいんだけどね」
「一人暮らしをしたら、嫌でも覚えますよ」
「そうかしら? お父さんみたいに、なーんにもしないと思うわ」
「そんなことないし。つーか、家に住んでたら作る必要ないじゃん。母さん、料理上手なんだし」
「いつまでも、親を頼らないでほしいわね」
「じゃあ、その時は先生に教わるよ」
サラダを皿に盛りつけていた母さんは手を止めると「あらま」といって笑った。
「家庭科の授業もしてもらわないとかしらね」
「まったく、瑠星は先生に迷惑をかけてばかりだな」
父さんもおかしそうに笑う。そんな二人を見て、先生は少し戸惑いを見せて「たいしたこと出来ませんよ」と苦笑した。
和やかな朝食の時間はすぐすぎて、父さんは出勤した。家を出る時、淳之輔先生に「今度はお酒を飲みましょう」なんていってた。
「母さんは、今日、出社日なの?」
「本当は在宅の予定だったんだけどね。昨日、予定をずらしたから、今日も出てくるわ」
「すみません、自分のせいで……」
「気にしないでください。トラブルにはなれてますから」
用意を終えた母さんは「ゆっくりしていって下さいね」というと、父さんを追うようにして慌ただしく家を出ていった。
玄関で、淳之輔先生と並んで両親を見送ると、なんとなく二人で顔を見合った。
「いつも、朝はこんな感じなの?」
「今日は二人とも、少しゆっくりだったかな。でも、まあ、こんな感じです」
「そっか……なんか、いろいろ気を遣わせてしまったみたいだな」
ははっと力なく笑う淳之輔先生は、さあ片付けようといって俺に背を向けた。その背中が少し遠いように思えたけど、キッチンに入った先生は「終わったら勉強しような」と、いつもの調子で笑った。