校舎を出て、まだ陽射しの強い空を見上げた。
「あちーっ、もう少し涼しくなってから帰るか?」
「俺、そんな金ねーわ」
「図書室なら開いてるぞ」
「本見たら寝ちまいそうだな……」
「うちの司書、寝てると容赦なく叩き起こすんだよなぁ」
谷川たちがうだうだと話しているのを、遠くに聞きながら歩き出す。
どっかで涼もうとか、カラオケ行かないかとか。がやがや話す声を聞きながら「俺はいいや」といえば、谷川が背中にのしかかってきた。
「付き合い悪いぞ」
「あちーから、くっつくなよ」
「カラオケ行こうぜ」
「俺はいいって──」
音楽の成績2だっていったのを、こいつはもう忘れたのか。カラオケなんて行ったところで、なに一つ楽しめない。
食い下がる谷川を振り切ろうとした時、ポケットの中でスマホが鳴った。
誰だろうかとディスプレイを見ると、そこには淳之輔先生の文字。こんな昼間に連絡が来るのは、久々だ。嬉しくて、思わず通話を繋げた。
「──先生?」
「ああ、瑠星。今、大丈夫だったか?」
「今、学校だけど」
「あれ? もう二学期始まったのか。早くないか?」
「いや、学祭の用意で……って、谷川、離れろ!」
谷川だけじゃなく、興味を示した連中が顔を近づけて「誰だ、男?」「先生って、家庭教師か?」次々に声をかけてきた。
「なんか、電話して悪かったな」
「いや、そんなことは。もう帰るとこだったし」
「そうなのか? じゃあ、時間ある?」
「あります、けど……」
谷川の腕を振り払い、足早に歩き出す。
一度、皆を振り返って、手を顔の前に持っていて「すまん」とジェスチャーで示し、駆け出した。
「先生、今どこにいるの?」
「家に帰る途中で、これから電車乗り換えるとこ」
「そっち行く!」
「──え?」
「あ、ほら、その……数学でわかんないとこあって」
「……ははっ、そっか。直接話した方がわかりやすいか?」
少し戸惑ったような笑い声が耳に触れた。
本当は、先生に会いたいだけだって、伝わらなかったよな。俺の台詞、変じゃなかったよな。
走りながら息が上がり、鼓動が早まる。
「瑠星、走ってるのか? 暑いから、ゆっくり来いよ。家で待ってるから」
優しい声に耳が熱くなる。
「うん」って頷き返すのが精いっぱいだった。信号で立ち止まり、通話が切れたスマホをポケットに突っ込んで大きく息を吸い込んだ。
先生に会うのは、二週間ぶりだ。
父さんの提案で家庭教師の授業は休みになった。その代わり、淳之輔先生から大量の宿題を出されたし、夜は通話を繋げて勉強教わってたけど。正直、会えないのが寂しかった。一人で勉強するのは、つまらなかった。
『黄昏のアスピレーション』で離れ離れになった主人公と教師に、自分と淳之輔先生を重なるくらいには、ずっと会いたかった。
主人公は、どうしていなくなったんだって、泣いて怒っていた。
俺は怒れない。だって、先生はきっといろいろな思いを抱えていて、一人で事件と向き合っていて。会えない理由がわかり切っているから、だから、待てた。待てたけど、気持ちは全然待てなくて。
電車に飛び乗り、頬を流れる汗を拭う。
もしかしたら、その汗は涙だったのかもしれない。
やっと、会える。
電車内の冷房に汗が冷やされていく。なのに、俺の胸の内はいつまでも早鐘を打っていて、頭が沸騰しそうだった。
電車が到着するのが待ち遠しくて、出入り口に陣取って外を眺めた。通り過ぎる景色を見ながら、到着するまでの駅を、指折り数えた。
──次の駅だ。
駅のホームに電車が滑り込み、ドアが開くとすぐに外へ飛び出した。階段を駆け上がり、改札口に向かう。そうして、ICカードを改札機に押し当てた時だった。
「瑠星!」
後ろから、声が欠けられた。
改札を抜けて振り返ると、淳之輔先生がいた。白いシャツにワイドパンツと、いつもと違ったシンプルな服装だ。
「俺より先に、家に行くつもりか?」
改札を抜けて俺の前に立った淳之輔先生は、その大きな手で俺の髪をがしがしとかき乱した。
久しぶりの大きな手に、胸が苦しくなる。
「家で待ってるっていっただろ。早すぎだ……瑠星?」
「……会いたかったから」
無意識だった。本音が口をついて出て、はっとした。
「あ、いや、だって、あの……」
上手いこと言い訳が出てこなかった。
会いたいなんて、淳之輔先生を困らせるだけじゃないか。気持ち悪くないか?
なにも言い返してこない先生に不安になり、そっと顔を上げると、そこに耳を赤くした淳之輔先生がいた。
先生の大きな手が、俺の手を強く握りしめて引く。それに少し驚きながら握り返し、足を踏み出した。
男同士で手を握るのって、普通なのかな。先生は、どういう意味で俺の手を握ったんだろう。
「暑かっただろ。アイス買って行くか」
「ラムレーズンですか?」
「それと、焦がしキャラメルな」
笑っていう先生は俺を振り返ると、はにかんだ顔を向けた。