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第84話 久々に訪れた先生の部屋が少しだけ散らかっていた

 ラムレーズンと焦がしキャラメルのダブルアイスを食べながら、淳之輔先生のマンションまで来た。ここに来るのも久々だ。


 部屋に入ると、先生はすぐにエアコンのスイッチを入れた。


「麦茶飲むか?」

「いただきます」


 いつもより少し散らかった床に座ると、キッチンから「その辺の参考書、邪魔だろう」と声がした。


「適当に退けて構わないからな」

「はーい」


 そういわれても、やたらに触るのもな。

 とりあえず、テーブルの上はそのままにして、床に散らばったものをまとめていると「悪いな」といいながら、淳之輔先生がグラスを差し出した。


「昨日の夜、片付けるんだったな」

「忙しかったんですか?」

「あー、まあ、そうだな……というか、やる気が出なかったというか」


 苦笑しながら腰を下ろした先生は、グラスを床に下ろすと、テーブルの上に広げたままのノートパソコンと参考書を片付け始めた。


「先生の部屋が散らかってるの、始めた見た」

「瑠星が来る時は片づけてるからな」

「そうだったんだ」

「当たり前だろ」


 それなりになったテーブルにグラスを置くと、淳之輔先生は「で?」という。首を傾げると「数学」と付け加えられた。

 そうだった。すっかり忘れてたけど、数学がわからないって、咄嗟にいったんだった。


「あー……と」

「まさか、ノート忘れたとかいうなよ?」

「……忘れました」

「おいおい」


 呆れるようにいいながらも、淳之輔先生は笑ってる。


「まあ、いいや。警察の聴取も一通り終わったから、もう時間とれるし」

「本当に!?」

「ああ。お父さんに伝えてくれるかな?」

「いっておきます!」

「しばらく、兄貴の店でのバイトも休むことにしたしな」


 えっと驚きの声を上げると、淳之輔先生は苦笑を浮かべて「店に迷惑かけたくないからさ」といった。ニュースにもなっていたし、先生のバイト先を特定して取材しようとしたり、隠し撮りしようとするようなのがいるのかな。

 考えると、ぞっとした。

 先生は被害者なのに、なんでそんな気を遣わなきゃならないんだろう。


「本当は、瑠星をこうして家に連れて来るのも、マズいのかもしれないけど……」

「なんで?」

「なんでって……また巻き込んだら悪いだろ」

「別に。なにも悪いことしてないんだから、変に騒がれたら訴えればいいですよ。ほら、丁度うちの父さんは弁護士だし」


 笑っていえば、淳之輔先生は呆気にとられた顔をした。

 父さんがいってたけど、今回は俺や美羽、滝も現場にいて関わっていると見なされたらしい。だから、警察は報道規制をしているそうだ。もしも未成年である俺らの顔が流されたり、二次被害が起きたら、動く準備をしているって父さんはいっていた。俺だけじゃなくて、美羽や滝も含めてだ。


「俺たちは普通に生活できてるし、先生はそんなこと気にしなくていいんです」


 いいながら、スマホを引っ張り出しす。そうして、一枚の写真を淳之輔先生につきつけた。今日、皆で撮った写真だ。


「ほら、美羽と滝もいつも通り!」

「……ははっ。凄いな、これ」

「でしょ! 滝が意外と女に見えるって皆で驚いて──」


 笑いながら、別の写真を映し出した時、淳之輔先生が「ありがとな」と呟いた。振り返ると、手で目元を覆って俯いている。

 指の間から雫が落ちて、先生の服にシミを作った。


「ごめん……カッコ悪いとこ、見せて……よかった。瑠星が、いつも通りで。この前、不安そうだったから、心配でさ」


 途切れ途切れにいった淳之輔先生は、少し間を置いて低い声で「よかった」と呟いた。

 俯いたままの先生を見ながら、ざわつく心をどうにか押し込めようとした。だって、こんなに心配されて、勘違いするなって方がおかしいだろ。俺、恋愛初心者だし、初恋なんだよ。優しくされたら、勘違いするじゃん。


 先生の肩を抱きしめたかった。病院で、泣いていた俺を抱きしめてくれたように。

 だけど、そんな勇気は出なくて……


「先生……俺だって、心配してたんですよ」

「え?」

「だって、先生が一番辛いはずなのに、そうやって俺のことばっかり心配して」


 顔を上げた淳之輔先生の目元は、擦ったせいで少し化粧が崩れて滲んでいる。でも、それが返って、俺を心配してくれた証のようにも見えて、胸が苦しくなった。


「大丈夫。いつも通りに戻ったんです」

「……いつも通り、か」

「ストーカー女は捕まったんだから」


 いつも通りどころか、もうストーカー女の目を気にしなくていいんだから、淳之輔先生は女の人とだって出かけられるし──考えた瞬間、胸が痛くなった。正直、それは嫌だ。嫌だけど、俺にそれを止める権利なんてないし。


「そっか。そうだな……じゃあ、今度は観覧車に乗ろう」

「……え?」

「好きだろ、観覧車?」


 訊かれた瞬間、耳に響いた「好き」という言葉にドキッとする。

 好きだよ。淳之輔先生のことが。


「高校生はもうすぐ夏休み終わりだもんな……冬休みまで、お預けかな?」


 ティッシュで目元を拭いながら笑った先生は、立ち上がると「顔、洗ってくるな」といって洗面所へと入ってしまった。


 一人取り残された瞬間、全身の血が沸騰したようで、顔が熱くなった。

 観覧車に乗ろう。──デートに誘われたわけじゃないのに、嬉しくてたまらないなんて、俺はどうかしている。男友達と遊園地に行くことくらいあるだろう。

 勘違いするなと自分に言い聞かせながら、心の片隅で、小さな俺が「だけど男友達と二人っきりで遊園地には行かないよ」と笑っていった。

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