「瑠星、いつまでお風呂に入ってるの?」
「んあー……うん」
母さんの声でハッとし、湯船で沈みそうになっていたと気付いた。いつの間にか、うとうとと寝ていたらしい。
九月も終わりだっていうのに、残暑が厳しい日が続いている。そのせいもあって、学祭の疲れがまだ残っているような気がする。明日は振り替え休日だし、ゆっくりしようか。
そんなことを考えながら風呂を上がった。
パジャマ代わりのTシャツとハーフパンツを着てリビングに出ると、母さんがスマホ片手に誰かと話していた。ずいぶん賑わっていて、いつもかかさず見ているドラマそっちのけだ。
冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いでいると、上機嫌な母さんがキッチンに入ってきた。
「誰と電話してたの?」
「推し活仲間なんだけどね」
ふふっと笑う母さんの目は、爛々と輝いている。これは、話したくて仕方ないって顔だな。それでと促すと、水を得た魚のごとく「チケットが当たったの!」と声を張り上げた。
「チケット?」
「NEXIFYのクリスマスライブよ!」
「──ネキシファイ?」
「そう。韓国公演のチケットが手に入ったのよ!」
ファンクラブ先行販売は手に入らなかったけど、一般で勝ち取ったんだと力説する母さんに若干の脅威を感じながら「よかったね」といえば、まるで子どものように笑った。
「てことで、今年のクリスマスは韓国に行ってくるわ!」
「……いいんじゃないの?」
きゃっきゃと騒いで「ミンジェに会える!」と繰り返す母さんを見ながら、麦茶を飲み干した。
「父さんはどうするの?」
「ライブの間は一人で韓国観光でもしてもらうわ」
「……あー、一緒に行くんだ」
「瑠星も行く?」
父さんと韓国旅行か──考えながら、脳裏に淳之輔先生の顔がよぎった。そういえば、お揃いの指輪を買おうとかって話、あれって本気なのかな。
今日もらったネックレスを思い出しながら首をひねる。
「んー……パスポート取りに行くのめんどいし、俺はいいや」
「そう? じゃあ、お土産楽しみにしてね!」
「そうしとく」
ハートや花が飛んでいそうな母さんは「なにを着ていこう」とか「美容室に行かなくちゃ」と、まるでデートの前にウキウキするような様子だ。まだ三ヵ月も先のことなのにな。
そこに帰ってきた父さんも何事かと驚きを隠せず、いきさつを聞くと顔を引きつらせた。若干の同情を感じるよ。だけど、巻き込まれるのは遠慮したかったから、なにやら話し出す二人に「寝る。おやすみ」といって階段を上った。
部屋に入ってすぐ、ベッドに転がった。そのまま俯せになり、顔を上げてベッドヘッドに置いてあるイルカのぬいぐるみを見る。
初めて淳之輔先生と水族館に行った時、思い出だからと買ってくれたキーホルダーだ。その横には、今日もらったペンダントの箱。
「……もらって良かったんだよな?」
もらって嬉しいに決まっている。でも、俺が上げたペンギンはゲーセンの景品なのに、こんな高そうなアクセサリーをもらっていいものか。
艶々した黒い石はオニキスというらしい。天然石でお守りに使われることが多いんだと、ショップ店員がいっていた。──淳之輔先生が教えてくれたことを思い出しながら、ベッドで寝がえりを打つ。
願い事か。考えながら淳之輔先生の顔を思い出した。
あのストーカー女みたいな人が、二度と先生に付き纏わなければいい。それとできれば、その横はこれからずっと俺の居場所であれば、なおさらいい。
石に刻まれた獅子座のマークに触れながら願い、耳が熱くなった。
今日、真剣な顔で過去の辛かったことも話してくれていた。包み隠さず、離してくれるのが嬉しくて、これからもそうあれたらいいな。
ふと、名前を呼んでとお願いしてきた顔を思い出した。
そういえば、眼鏡をしていなかった。化粧もだ。ネックレスを買いに行ったときは、化粧してたんだよな。眼鏡だってしてたと思う。外で眼鏡をかけてないの見たことないし。
俺と会うから、少しは気楽でいてくれてるのかな。俺になら素顔を見られてもいいって思ってくれてるのかな。
初めてこの部屋で布団を並べた時は「全部、見せるのは怖い」っていってたけど。
「化粧してなくてもカッコいいと思う、ていったの覚えてくれてるのかな?」
ベッドヘッドに置かれたイルカに顔を向け、尋ねてみる。
もちろん、ぬいぐるみだから返事があるわけじゃない。でも、くりっとした目が「きっと覚えてるよ」といっている気がした。
そうだったら嬉しい。
「……淳之輔」
ぽつりと名前を呼んでみた。それだけで恥ずかしくて、体が熱くなる。近づいてきた顔を思い出し、どうしようもないくらい腹の奥まで熱くなる。
タオルケットを手繰り寄せ、内腿にギュッと力を込めて摺り寄せた。
今はダメだ。受験が終わるまでは……じゃないと、俺、本当に先生のことで頭がいっぱいになって、勉強が手につかなくなりそうだもんな。