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10 優しい腕

 ゴールデンウィークが明けた。まだ暦の上では初夏だが、この数日は、すでに夏のような日差しが降り注ぐ暑い日が続いている。ただ、この教室は風の通りがよく、乾いた風が吹けば、居眠りができるほどに心地よかった。


 風太は教室の窓ぎわの席で、ぼんやりと頬杖をつきながら、同居人の後頭部を眺める。今日も彼は、ムカつくほどいつも通りだ。頭には天使の輪っかを作り、サラサラストレートの黒髪を風になびかせながら、真剣に授業を聞き、ノートをとっている。


 どこからどう見ても、すでに見飽きた、いつもの同居人。だが、ここ最近は、どうもこうして彼を見ていると、奇妙な気持ちになる。


「うーん……」

「どうしたの、風太。腹減った?」

「いや……。なんでもねえ」


 授業中、うなっていると、太一は必ず後ろに振り返って、風太を気にしてくれる。だが、その理由はたいていの場合、腹が減ったか、腹が痛いかのどちらかだと思われているようだった。もちろん、いつもならそうなのだが、今日のうなりの理由はそれではない。不意に、風太の脳裏には、彼の言葉が響いた。


 ――俺の好きな人も、男だから。


 それは、驚愕の告白だった。合宿から帰宅し、腹いっぱい焼き肉を食べた夜。突然に、猛と烏丸の関係を聞かされ、動揺も戸惑いも感じていたところに、さらに極めつけの一発をらったような感覚。


 あの夜、海岸でそれを話した一星の顔は、あまりに切なく、寂しそうな笑みを浮かべていた。いつもポーカーフェイスで、真面目で、腹が立つほど冷静な彼の、見たこともない表情。あの笑みが、今もまぶたに焼きつくようで、忘れられない。


 もちろん、彼はなにも風太に告白をしたわけではないが、それでも、その声にも、言葉にも重みがあった。それを思い出し、たちまち頬が熱くなってくる。風太は机にして、また、ため息をく。


 アイツの好きな人って誰なんだろーな……。このクラスか……? 


 あの海辺での告白は、一星にまつわる、これまでの謎をほとんど解いてしまった。これまで、どんなにかわいい女子であろうと、彼が告白を断ってきたのは、ほかに好きな人がいるからだと、そう教えてくれたのは太一だ。だが、その好きな相手が、いったいどこの誰なのか、風太は見当もつかなかった。それほどに、一星の周囲には、特別、親密そうな女子がいなかったのだ。


 一星なら、相手がどんなに高嶺たかねの花だったとしても、告白してしまえば、カンタンに付き合えそうなものなのに、どうしてずっと片想いなんかしているのだろう。風太はそれをずっと、不思議に思っていた。彼が、ああ見えて案外、欲望には忠実なタイプだということも、負けず嫌いだということも、風太はよく知っている。先日、雅のから揚げをめぐって争奪戦になったのがいい例だ。


 一星が好きになるような女子なら、フツーにかわいいんだろうし……。放っといたら、誰かに取られちまうかもしれねーのに、なんで告白しねえんだろうって思ってたけど……。


 考えられる理由は、部活に専念したいからとか、勉強の邪魔になるから、とか。そんなものだった。けれど、違ったわけだ。おそらく、一星は好きな人にあえて告白しないのではない。できないのだろう。


 さすがのアイツでも、相手が男じゃあ……、カンタンに告白なんかできねえよな……。


 きっと、海辺で話したとき、一星が切なげに、寂しそうに笑ったのは、そのせいなのかもしれない。報われない恋をかかえて、苦しんでいるからなのかもしれない。あのポーカーフェイスは、本当はただの強がりで、必死に冷静を保っているだけなのかもしれない。そう思うと、いつもは憎たらしいライバルでも、なんとか背中を押してやりたいと思えてくるから妙なものだ。ただし――。


 でも、相手が誰なのかわかんねーとなぁ……。


 風太は頭を上げ、体を起こし、教室をぐるりと見回して、クラスメイトの男子の顔を改めて確認した。だが、誰を見てもピンとこない。思えば、一星が太一や風太以外の誰かと仲良さそうに話しているところなんて、ほとんど見たことがなかった。そもそも彼は、普段、誰かとつるむタイプではなく、昼休みに風太や太一と一緒に過ごす以外は、ひとりでいるか、あるいは女子に囲まれているかの、どちらかだった。


 この学校にいるヤツなのかな……。誰だよ、一星が好きな男って……。すげえ気になるじゃねーか……。


「うーん……」

「風太、ほんとにどうした? 腹痛いとかじゃないの?」

「ちげえ――……あっ、待てよ、まさかっ!」

「え、なに?」


 太一の顔を見た瞬間。ピンときて、思わず声に出てしまった。風太は思わず、手で口をふさぐ。なぜ、こんなことに気付かなかったのだろう。風太はともかく、太一の可能性は十分にあり得る。なにしろ、同じ剣道部で、同じクラス。彼はしょっちゅう、一星と一緒にいるのだから。ところが、そこに突如とつじょ、低い声が飛んできた。


「那須野、平野! お前ら、さっきからうるさいぞ。授業中は私語を慎みなさい」

「はーい」

「はあい……」

「もうすぐ中間だからな。三年になってからの成績は進路に響くんだ、しっかりやれ」

「はーい……」


 教卓の前でこちらをにらみつける国語科教師に叱られ、風太と太一はそろって返事をする。だが、太一はすぐに風太を、ジトっとした目でにらんだ。彼は、今の今まで、ちゃんと授業を受けていたのに、風太のせいで叱られてしまったので、ずいぶんと不服そうだ。風太はひとまず、小声で謝っておいたが、頭の中は、一星の好きな人のことでいっぱいだった。


 太一は有力候補だな……。あと、考えられるのは――……。


 また頭を巡らせ、一星に目をやる。その瞬間。不意に振り向いた彼の目と、視線がぶつかった。風太は思わず、目をそむける。


 なんだよ……。急にこっち見んなよな……。ビックリすんだろーが。


 心の中で憎まれ口を叩きながら、なぜか心臓がバクバクと鳴っている。わけもわからず、高鳴る心臓の鼓動には違和感を持ちながら、風太は遅れて、現代文の教科書を開いた。


***




 その日から、剣道部の稽古は調整期間に入った。数日後にせまった関東予選に向けて、稽古時間は短縮になり、代わりにストレッチ、マッサージの時間が増やされているが、それでも、通常の稽古時間よりはうんと短くなっている。風太はまだ昼のように明るい夕刻、一星、太一と並んで、帰り道を歩きながら、脳内ではあいかわらず、一星の好きな人が誰なのか、そればかり考えていた。


 太一の線は濃いかもな……。なにしろ、ずっと一緒にいるわけだし……。いや、でもなぁ……、一緒にいるからって好きになるわけでもねーし……、後輩とか、先輩の線もあり得るし……。


 悶々もんもんとしながら、一星の近くにいる同性を、次々に思い浮かべてみる。だが、誰を挙げてみても、しっくりこない。明らかに形の違うパズルのピースを無理やり当てはめるような、そんな違和感しかないのだ。


 そもそも、おれ……、なんかすげえ大事なこと忘れてるような気がするんだよな……。


「おい、風太ぁ、聞いてんのかよー」

「えっ、あぁ……」


 太一に軽く肩をぶつけられて、ハッと我に返る。一星の好きな人の最有力候補、太一は、さっきからわりと真面目な話をしていたようだった。たぶん、関東大会のメンバーの予想や、ポジションの話をしていたのだろう。聞き流してしまっていたので、詳しい内容まではわからないが、その声のトーンで、なんとなくわかる。ただし、風太がうわそらで、まるっきり話を聞いていなかったことを、親友の太一が気付かないはずがなかった。


「ったくー、絶対、聞いてなかっただろ。オレ、今ものすごーく大事な話してたんだけど」

「わりィ……」

「なんかさぁ、今日の風太、変だよ? 授業中も急に意味わかんないこと言い始めるし」

「いや、あれは――」

「なんかあったのか?」


 それまで、ずっと黙って聞いていた一星にかれて、風太は目を丸くする。なんかあったどころの話ではない。いったい誰のせいで、こんなに悶々もんもんとしているのか。一星はわからないとでも言うのだろうか。風太は苛立いらだち、鼻を鳴らした。


「なんかあったのか、じゃねえ……。だーれかさんのせいだろうがよ!」

「誰かさん……?」

「お前しかいねえだろ! 涼しい顔しやがって、この……、一星! くそったれ!」

「誰がくそったれだ、うんこたれ」

「んだと、コラぁ……!」


 その会話を聞くなり、太一がうんざり顔で、深いため息をく。きっと彼は、またふたりがケンカしたのだと思っているのだろう。


「ちょっと……。まあたケンカ……? ほんっと、ふたりは飽きないねー」

「ケンカはしてない。なんだか知らないけど、風太が勝手に怒ってるんだ」

「おめーがいちいち、おれを怒らせるようなことをするんだろうがよ!」

「はーい、はいはい。喧嘩両成敗。どうでもいいけど、予選会でケンカはすんなよ、ふたりとも」


 あきれ果てた太一は、分かれ道に出ると、「じゃあね、ケンカップルもほどほどにー」と言い残し、手を振りながら、去って行く。しかし、彼の言葉はあまりにタイムリーで、思わず風太はドキッとする。


「ケ……っ、ケンカップルじゃねえぞーーーッ!」


 太一の背中にそう叫ぶ。すると、一星は「うるさい」と言って、風太の腕をつかみ、引っ張るようにして歩き出した。

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