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10-3

「うおー……、緊張すんなぁ……。最初、どこと当たるんだろー……。なぁ、風太ぁ……」

「あぁ……、だな……」


 隣に座る太一に話しかけられて、ひとまずそう返す。だが、顔を見るわけでもなく、目を合わせるわけでもなく、しかめっ面をしたまま、覇気のない返事をした風太に、太一は不満そうだった。


「風太ぁ、ねーえ。……聞いてんの?」

「あぁ……」


 聞いてはいる。だが、風太の脳内は一星のこと――否、一星の好きな同性のことで、埋め尽くされていて、せいぜい覇気のない返事をするのがやっとだ。しかし、このままでは、試合にも支障が出てしまう。高校最後の関東予選だというのに、こんなことで、いつも通りの実力が出せないで終わってしまうのは、あまりに情けない。


「なぁ、もう集中モードに入ってんのかよー?」

「いや。全っ然、集中できねえ……」

「あっそう……」


 太一は笑みを引きつらせ、あきれたような声を出す。そうして、諦めたようなため息をいて、座席から身を乗り出し、前に座る一星に声をかけ始めた。その様子を横目で気にしながら、風太はなおも考える。


 くっそー……。考えても、考えてもわからねえ……。ここ一週間、一星のこと気をつけて見てたって、太一を好いてる素振りなんか全然ねーし、一星コイツが好きなのって、いったい誰なんだ……。


 一星が想いを寄せている同性が、いったい誰なのか、風太にはさっぱりわからない。そんなことをひとりで考えたところで、答えなんか出ないのだから、忘れてしまえばいいと思っても、ふと、ヒマができると、クセのようにそれを考えるようになっている。


 鬱陶うっとうしいと思いながらも、止められない。――それでも、やがて。バスが横浜の武道館へ到着すると、さすがに気持ちを切り替えざるを得なくなって、風太はかぶりを振り、頬をぱちぱちと叩いた。


 いいかげんに、しっかりしろよ、おれ……! 一星のスカシ野郎が誰を好いてるかなんて、どうだっていいだろ……! 高校最後の関東大会予選、今年こそ突破する目標だったろーが!


 その後、風太はなんとかわずらわしい悩みごとを脳のすみに追いやって、最後の関東大会の予選にのぞんだ。この大会は、団体戦。風太のポジションは中堅だ。中堅は、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の五人の中で、ど真ん中を支える、重要なポジションで、風太の得意なところでもあった。


 西御門高校は、一回戦、二回戦、三回戦を難なく勝ち進み、今、四回戦を迎えている。だが、この試合を抜けるのは、容易ではない。風太たちにとって、ここは正念場ともいえる戦いだった。相手は、県内最強といわれる強豪校。隣のトーナメントの山から、シードで上がってきた、白波高校という強豪校だった。彼らはいわゆる、優勝候補、というやつだ。


 ツイてねえなー……。ここで県立白波かよ。


 あとひとつ。この試合さえ勝てば、関東大会の出場権を得られるのに、その相手校が優勝候補というのは、なんとも運が悪い。だが、そこをうらんでもしようがない。


 風太は、自チームの控え場所で、面を付け、竹刀を持って立ち上がる。そうして、深呼吸を何度かくり返し、自分の出番が来るのを待った。体は、これまでの試合を熟したおかげで、十分に温まっているし、調子は悪くない。朝から、一星のことでなかなか集中できていなかったが、幸い、その影響も出ていなかった。


 もっとも、この舞台に立ってしまえば、他人の恋愛なんかどうでもよくなる。熱気に包まれたアリーナの空気、割れんばかりの歓声、色とりどりの応援幕。時代や形は違っても、ここはまぎれもなく、戦場なのだ。そして、今、目の前にいる敵は、いつも通りの実力を出しきれば勝てる相手、というわけでもない。


「おおーっ!」

「面あり! ……勝負あり!」


 歓声が湧き、審判の号令が聞こえて、ハッとする。先鋒で出て行った太一は、一本負けで次鋒に引継ぎ、次鋒を任されたひとつ年下の後輩は今、目の前で見事な面を打たれて、二本負けで試合を終えたところだ。


「風太先輩、すみませんでした……」

「おう、気にすんな。あとは任せろ」


 次鋒で出場したひとつ年下の後輩に、すれ違いざまに声をかけ、肩を叩き、風太は試合場へ入る。対峙たいじするのは、去年、インターハイ県予選の頂点に立った強者だった。その出で立ちに、風太はごくり、と生唾を飲む。


 くそ……、クマみてえな図体しやがって……。


 背丈タッパ、体格、防具の付け方、姿勢。どれを見ても、威圧感に襲われる。だが、ここで逃げる選択肢もない。ここに立った者は誰でも、目の前の相手に立ち向かい、戦う。その選択しかできないのだ。風太は相手と息を合わせ、三歩で開始線へ進んだ先で蹲踞そんきょをする。もう一度、生唾を飲む。


 やるからには、勝ちにいく……!


「はじめぇッ!」

「うらぁああああッ!」


 審判の号令を合図に立ち上がる。気合いの声を張り上げた。歓声が湧く。白波高校との、中堅戦が始まった。


***




 その日、西御門高校チームは、四回戦で県立白波高校に敗退した。関東大会への切符は、あと一歩のところで勝ち取れず、風太たちは猛烈な悔しさをかかえながら、マイクロバスに乗り込んだ。バスの中は、通夜のように静かだが、後輩たちの中には、緊張疲れか、あるいは悔しさあまりに泣き疲れたのか、寝てしまっている者も何人かいるようだった。


 夕日が傾いてきた頃、バスは学校に戻った。それから速やかに解散したあと、風太、一星、太一の三人は、部室に残り、話し込んでいた。――といっても、三人には、なにか用事があったわけではない。後輩たちが帰ったあと「なんとなく帰りたくない」と、駄々をこねるように言った太一に、風太と一星は付き合ってやることにしたのだ。つまり、これは事実上の、上級生による大反省会だった。


「はぁー……。ベストエイトの壁は高いなぁ……」

「そうだな……」

「残るは、インハイ予選だ。さっさと気持ち切り替えないとな」


 まだ、今日の試合の結果を引きずっている風太や太一とは違い、一星は冷静な顔で、そう言った。反省もそこそこに、彼の心はもう、来月のインターハイ予選に向いているようだ。


「おめーはほんっとに……。切り替えはえーな」

「切り替えは早いに越したことないだろ」

「へいへい……」

「来週からテストもあるし、落ち込んでるヒマないぞ」


 少しはチームメイトとして、同じ雨に濡れて、悔しさを共有してくれたっていいのに、彼は容赦がない。なんて共感能力のないヤツだと風太はあきれるが、一星にそれを求めてもムダだと思い直し、かぶりを振る。


 なにしろ、彼は雅と太郎の電撃再婚話のゲリラ的な宴会で、動揺ひとつ見せず、冷静に雅にお酌をして、同居話を受け入れていたくらいなのだから。これで彼は、密かに同性に片想いまでしているのだから、まったく器用なものだ。


「あーあぁ。オレがしょっぱなで勝ってたらなぁ……。ごめん……」

「そんなこと言ったら、みんなそうだろうよ」

「そうだけどさぁ……」


 太一は、先鋒のポジションを任されるのは慣れっこで、いつでも、いい流れを作って帰ってきてくれる。チームにとっては安定したスターターだった。たしかに、さっきの白波高校戦で、彼は一本負けしたわけだが、内容は決して悪い試合ではなかったし、あらゆる手札を出して戦っていた。それでも、敵わなかった。それほど、白波高校は強かったということだ。


「おれだって、流れ変えらんなかったし……。悪かったよ……」

「風太ぁ……」


 風太もまた、白波高校の中堅戦では、課せられた仕事を十分にこなせなかった。本当なら、風太は今日、あの試合で、なんとしても勝たなければならなかったのに、一本も取れないまま、引き分けるのがやっとだったのだ。


「クソ……! なんであいつら、あんな強ぇんだろうな……」

「結局、勝ったの一星だけだったもんねえ……」


 それもあって、余計に腹が立っているのだ。もちろん、一星に腹を立てているのではない。副将に負担を負わせないように、今日、風太は勝って、副将へ繋げなければならなかったのに、引き分けで、崖っぷち状態にして繋げてしまった。そんな自分が情けなくて、腹が立ってしようがなかった。


「やっぱ、すごいよね、白波。インハイ毎年行ってるだけあるなぁ……」


 太一の情けない声に、苛立いらだちを覚えるも、なにも返せない。今日、白波高校との試合は、副将で決着がついていた。先鋒、次鋒で勝ち点を二つ取られたあと、中堅の風太が引き分けたため、副将を任されていた後輩は、もうあとがなくなり、必死になって攻めまくった結果、一本負けで試合を終えた。その時点で、西御門高校は敗退が決まってしまったわけだ。


 おれが、もうちょっとねばって……、勝ってたらな……。


「でも、絶対に勝てないってわけでもないだろ。今からしっかり対策すれば、インハイ予選は勝てるかもしれない」

「一星はほんと、ポジティブだよなぁー」

「……もう帰るぞ。終わったことなげいてるより、次の対策取ったほうがずっと生産的だ」


 一星がそう言うと、太一はしぶしぶ、「はあい」と返事をして、カバンを背負って立ち上がった。ようやく、彼は気が済んだらしい。風太と一星も、彼に続いて立ち上がり、部室を出て、三人は帰路についた。


***




 その後、校門のすぐ近くで太一と分かれたあと、風太は黙ったまま、一星とほとんど言葉を交わせなかった。思い出せば思い出すほど、今日の自分は、ひどく情けない。そう思えてきて、すっかり落ち込んでいたのだ。風太はせめて、主将の一星に繋げなければならなかったのに、その大事な役割をこなせなかった。


 このザマでは、このチームの副主将だということも、一星のライバルだなんてことも、堂々と言えない。試合前に、一星の好きな男が誰なのか気になっていたとか、そのせいで集中するのに時間がかかったとか、ふざけた言い訳を思いついては、かぶりを振る。


 カッコわりィな、おれ……。


 無言のまま、とぼとぼと帰り道を歩いて、家の前まで来た時だ。不意に、一星に肩をつかまれた。

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