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11ー4

 結局、夜になって太一が帰ってしまっても、入れ違いのように雅と太郎が帰宅したので、話の続きはおあずけ状態になった。風太は夕飯を食べながら、後片づけをしながら、風呂に入りながら、あいかわらず悶々もんもんと一星の言葉の意味を考えていた。だが、そうしているうちに、ふと気付く。


 ちょっと待てよ……。おれを、白河先輩にとられたくないって、それ……。


 思わず目を丸くして、ザバァッと湯舟から立ち上がった。風太はこれまでのことを、ひとつ、ひとつ思い出し、整理しながら頭の中で並べていく。すると、それまでバラバラになって散らかっていた、たくさんの点が、奇妙な線で結ばれていく感覚におちいった。途端に全身が熱を持ち、くらくらとしてきて、風太は慌てて風呂を出る。


 いや……。それはない。それはない……。それはないだろ、さすがにないだろ……!


 心の中で、自分自身に言い聞かせる。しかし、ぼんやりと脳内に浮かんだ、このとんでもない可能性に気付いてしまったら、それをなかったことにはできない。それでも、「あり得ねえ、あり得ねえ……」と呪文のように呟きながら、服を着る。バスタオルで髪を拭きながら、慌てて脱衣所を出て、自室にこもった。


 絶対、そんなのあり得ねえ……。でも……。


「おれをとられたくないって……、なんだよ、それ……」


 風太はたまらなくなって、ベッドにダイブする。そうして、薄い毛布をぐるぐるにしたそれを抱きながら、枕に顔をうずめ、うなった。テスト勉強をするのは、今夜はやめだ。こんなぐずぐずな精神状態では、まるっきり、やる気になれない。


 風太は思い出したのだ。合宿から帰って来た日。突然知った、猛と烏丸の関係。海辺での、一星のカミングアウト。彼の恋の相手が同性だということ。白河が登場すると、途端に不機嫌になる一星。彼とやけに張り合おうとする一星。それから――。


 ――あの人に、お前をとられたくない……。


 そう言ったときの表情を思い出し、これまで感じたことがないほど、心臓がうるさくなる。まさか、あり得ない。そんなはずがない。たしかに、このひと月で風太は変わった。一星を理解するべく歩み寄ろうとしてきた。だが、それまでの二年間は、目が合えば、わずか数秒でケンカになり、言葉を交わせば自然と口論になるくらいには、仲が悪かった。彼は出会いから、ずっと大嫌いなライバルだったのだ。一星だって、それは同じはずだった。けれど、これ以上に合致する可能性はほかにない。


 あの人に、お前をとられたくないって、なんで……。それじゃ、まるで……、お前がおれを好きみてえじゃねえかよ……。


***




 さて、その翌日。風太はいつも通り、一星と一緒に登校し、いつも通りに授業を終えたが、内心では奇妙な緊張と混乱が続いていた。昨日、一星に言われたことが、まだ風太の脳内を駆け巡っている。おかげで、同居生活にはすっかり慣れたはずなのに、一星と顔を合わせるだけで、やたらと緊張してしまった。


 一星もまた、そんな風太に気付かないはずもない。彼は、あれから必要以上には、風太に話しかけてこようとしなかった。


 太一だけが、ふたりの様子がおかしいことに気付いているようだったが、ただし、なにがあったのかまでは見当がつかず、昨日のケンカを引きずっているのだと、思い込んでいるようだった。


 放課後、風太はホームルームが終わると、すぐに教室を出た。そうして、一目散に昇降口へ向かう。今日はこれから、白河と校門で待ち合わせをしているのだ。昨日はいろいろあったが、白河にマンツーマンで勉強を教えてもらう約束をしたのを、まさか忘れてはいない。


 今日は部活もないし……、母ちゃんと太郎さんは仕事行ってるし……。家に帰ったら、一星とふたりきりだもんな……。昨日の今日で、ふたりきりはさすがに、ちょっと気まずい……。


 白河と勉強の約束をしていて、助かった。風太はそう安堵あんどする。今日はできるだけ長く、白河の家にお邪魔して、一星と顔を合わさないで済むようにしておきたいところだ。あの話の続きだって、どんな顔をして、聞けばいいかわからない。もしかしたら、ずっと勝手に考察していた一星の片想い相手の正体が、自分かもしれないのだから。


 一星がおれを好きって……、そんなこと考えもしなかった。でも、考えてみりゃ……、全部、説明がつくんだよな……。


 これは、たぶん気のせいではない。カン違いでもない。一星の好きな人は、おそらく――……。


 おれ――……なのか。


 慌てて、かぶりを振る。そもそも、風太は今、こんなことを考えている場合ではない。テストの初日まで、もう、いくらも日にちがないのだ。それなのに、脳内はあいかわらず、一星のことで占められている。こんな状態では、得意教科で一星に肩を並べるどころか、史上最低の点数を叩き出してしまう可能性すらある。実にまずい。


 頼みのつなは……、白河先輩だ。だけど……。


 昇降口を出て、風太はふと、足を止めた。どうしてか、妙な罪悪感に駆られている。今日は朝から、いつも通りに一星と一緒にいても、ほとんどまともに話していない。太一がいるから、やっと普通に会話ができるようなもので、一星とは気まずくて、ろくに目を合わせることもできなかった。さっきだって、教室を出るときには、太一に声をかけたものの、一星にはなにも言わずに出てきてしまった。


 声くらい、かけてくればよかったかもな……。


 そうはいっても、どう声をかければいいのか、わからなかった。たとえば、「今日は白河先輩の家で勉強する」と言えば、一星はきっとまた、全力で風太を止めようとするに違いないし、風太が強行しようとすれば、そのままケンカになることもあり得る。そうして、昨日の続きを話すことにもなるかもしれない。


 いや、だめだ……。今、昨日の話をもう一回蒸し返されたって、おれにはまだ、覚悟もなんもできてねえ……。あいつの顔を見て、どう返事したらいいのかも、わかんねえし……。


 安易には言葉をかけられない。ただ、一星から逃げるのもまた、本望ではなかった。たとえ、彼の片想い相手が風太だったとしても、そうでなくても、どちらにしても、風太には彼を理解したい気持ちが、確かにあるのだ。


「っていうか、覚悟って……。いったい、なんの覚悟をしようとしてんだよ、おれはぁ……」


 途方に暮れて、ふと、校舎を見上げる。すると、三階のベランダから顔を出しているふたりに気が付いた。あれは――……太一と、一星だ。


「あっ、気付いた! おーい、風太!」

「太一……と、一星……?」

「風太ぁー! 一星がスマホ見ろってー!」

「えっ」


 太一に言われて、慌ててカバンの中を探る。一星が、なにか連絡を寄越したようだが、カバンの奥に入っていたせいで、通知に気付かなかったのかもしれない。取り出した風太のスマホは、画面が光っていて、一件の通知がある。一星からのメッセージだ。だが、その文面を読んだ途端、風太は思わず、笑みを引きつらせた。


『なんかあったら、すぐ連絡しろよ』


 おいおい……。なんかあったらって、白河先輩んちで勉強するだけだぞ。なにがあるっつーんだよ……。


 引きつった笑みのまま、上を向いて、手を振る。そうして、校門へ急いだ。おそらく、もうすぐ白河が車で校門へ迎えに来る。ひとまず、今は一星のことはさておいて、テスト勉強に集中しなければならない。三年になってからのテストは重要だと、先日、教師にも叱られたばかりだ。それに、このタイミングでの真剣なテスト勉強は、きっと気持ちを切り替えるにもちょうどいい。


 校門の前で待っているうちに、やがて、陽の光に照らされ、白く輝くセダン車が現れる。風太はぺこ、と頭を下げると、すぐにその助手席に乗り込んだ。

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