結局、夜になって太一が帰ってしまっても、入れ違いのように雅と太郎が帰宅したので、話の続きはおあずけ状態になった。風太は夕飯を食べながら、後片づけをしながら、風呂に入りながら、あいかわらず
ちょっと待てよ……。おれを、白河先輩にとられたくないって、それ……。
思わず目を丸くして、ザバァッと湯舟から立ち上がった。風太はこれまでのことを、ひとつ、ひとつ思い出し、整理しながら頭の中で並べていく。すると、それまでバラバラになって散らかっていた、たくさんの点が、奇妙な線で結ばれていく感覚に
いや……。それはない。それはない……。それはないだろ、さすがにないだろ……!
心の中で、自分自身に言い聞かせる。しかし、ぼんやりと脳内に浮かんだ、このとんでもない可能性に気付いてしまったら、それをなかったことにはできない。それでも、「あり得ねえ、あり得ねえ……」と呪文のように呟きながら、服を着る。バスタオルで髪を拭きながら、慌てて脱衣所を出て、自室に
絶対、そんなのあり得ねえ……。でも……。
「おれをとられたくないって……、なんだよ、それ……」
風太はたまらなくなって、ベッドにダイブする。そうして、薄い毛布をぐるぐるにしたそれを抱きながら、枕に顔を
風太は思い出したのだ。合宿から帰って来た日。突然知った、猛と烏丸の関係。海辺での、一星のカミングアウト。彼の恋の相手が同性だということ。白河が登場すると、途端に不機嫌になる一星。彼とやけに張り合おうとする一星。それから――。
――あの人に、お前をとられたくない……。
そう言ったときの表情を思い出し、これまで感じたことがないほど、心臓がうるさくなる。まさか、あり得ない。そんなはずがない。たしかに、このひと月で風太は変わった。一星を理解するべく歩み寄ろうとしてきた。だが、それまでの二年間は、目が合えば、わずか数秒でケンカになり、言葉を交わせば自然と口論になるくらいには、仲が悪かった。彼は出会いから、ずっと大嫌いなライバルだったのだ。一星だって、それは同じはずだった。けれど、これ以上に合致する可能性はほかにない。
あの人に、お前をとられたくないって、なんで……。それじゃ、まるで……、お前がおれを好きみてえじゃねえかよ……。
***
さて、その翌日。風太はいつも通り、一星と一緒に登校し、いつも通りに授業を終えたが、内心では奇妙な緊張と混乱が続いていた。昨日、一星に言われたことが、まだ風太の脳内を駆け巡っている。おかげで、同居生活にはすっかり慣れたはずなのに、一星と顔を合わせるだけで、やたらと緊張してしまった。
一星もまた、そんな風太に気付かないはずもない。彼は、あれから必要以上には、風太に話しかけてこようとしなかった。
太一だけが、ふたりの様子がおかしいことに気付いているようだったが、ただし、なにがあったのかまでは見当がつかず、昨日のケンカを引きずっているのだと、思い込んでいるようだった。
放課後、風太はホームルームが終わると、すぐに教室を出た。そうして、一目散に昇降口へ向かう。今日はこれから、白河と校門で待ち合わせをしているのだ。昨日はいろいろあったが、白河にマンツーマンで勉強を教えてもらう約束をしたのを、まさか忘れてはいない。
今日は部活もないし……、母ちゃんと太郎さんは仕事行ってるし……。家に帰ったら、一星とふたりきりだもんな……。昨日の今日で、ふたりきりはさすがに、ちょっと気まずい……。
白河と勉強の約束をしていて、助かった。風太はそう
一星がおれを好きって……、そんなこと考えもしなかった。でも、考えてみりゃ……、全部、説明がつくんだよな……。
これは、たぶん気のせいではない。カン違いでもない。一星の好きな人は、おそらく――……。
おれ――……なのか。
慌てて、かぶりを振る。そもそも、風太は今、こんなことを考えている場合ではない。テストの初日まで、もう、いくらも日にちがないのだ。それなのに、脳内はあいかわらず、一星のことで占められている。こんな状態では、得意教科で一星に肩を並べるどころか、史上最低の点数を叩き出してしまう可能性すらある。実にまずい。
頼みの
昇降口を出て、風太はふと、足を止めた。どうしてか、妙な罪悪感に駆られている。今日は朝から、いつも通りに一星と一緒にいても、ほとんどまともに話していない。太一がいるから、やっと普通に会話ができるようなもので、一星とは気まずくて、ろくに目を合わせることもできなかった。さっきだって、教室を出るときには、太一に声をかけたものの、一星にはなにも言わずに出てきてしまった。
声くらい、かけてくればよかったかもな……。
そうはいっても、どう声をかければいいのか、わからなかった。たとえば、「今日は白河先輩の家で勉強する」と言えば、一星はきっとまた、全力で風太を止めようとするに違いないし、風太が強行しようとすれば、そのままケンカになることもあり得る。そうして、昨日の続きを話すことにもなるかもしれない。
いや、だめだ……。今、昨日の話をもう一回蒸し返されたって、おれにはまだ、覚悟もなんもできてねえ……。あいつの顔を見て、どう返事したらいいのかも、わかんねえし……。
安易には言葉をかけられない。ただ、一星から逃げるのもまた、本望ではなかった。たとえ、彼の片想い相手が風太だったとしても、そうでなくても、どちらにしても、風太には彼を理解したい気持ちが、確かにあるのだ。
「っていうか、覚悟って……。いったい、なんの覚悟をしようとしてんだよ、おれはぁ……」
途方に暮れて、ふと、校舎を見上げる。すると、三階のベランダから顔を出しているふたりに気が付いた。あれは――……太一と、一星だ。
「あっ、気付いた! おーい、風太!」
「太一……と、一星……?」
「風太ぁー! 一星がスマホ見ろってー!」
「えっ」
太一に言われて、慌ててカバンの中を探る。一星が、なにか連絡を寄越したようだが、カバンの奥に入っていたせいで、通知に気付かなかったのかもしれない。取り出した風太のスマホは、画面が光っていて、一件の通知がある。一星からのメッセージだ。だが、その文面を読んだ途端、風太は思わず、笑みを引きつらせた。
『なんかあったら、すぐ連絡しろよ』
おいおい……。なんかあったらって、白河先輩んちで勉強するだけだぞ。なにがあるっつーんだよ……。
引きつった笑みのまま、上を向いて、手を振る。そうして、校門へ急いだ。おそらく、もうすぐ白河が車で校門へ迎えに来る。ひとまず、今は一星のことはさておいて、テスト勉強に集中しなければならない。三年になってからのテストは重要だと、先日、教師にも叱られたばかりだ。それに、このタイミングでの真剣なテスト勉強は、きっと気持ちを切り替えるにもちょうどいい。
校門の前で待っているうちに、やがて、陽の光に照らされ、白く輝くセダン車が現れる。風太はぺこ、と頭を下げると、すぐにその助手席に乗り込んだ。