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11ー5

 白河が運転する車の助手席に揺られ、三十分ほど経った頃。鎌倉から南へ数キロ走った先、相模湾が一望できる高台の豪邸の前で、車は停まる。風太は助手席の窓から、その豪邸を見上げ、呆気あっけにとられていた。


 で、でっけぇー……。


 これを「家」と呼ぶには、あまりにふさわしくない。敷地を囲む塀から、屋根から、門構えから、なにもかもが西洋風の屋敷。――いや、まるで城のようだった。門は欧米国にある城門のようだし、そこに「Shirakawa」とアルファベットで表札が掛かり、塀にも門にも、バラのつるがからみ、そこらじゅうでピンクや白の花を咲かせている。


「すんげえ……」

「ごめん、風太。ちょっと待ってて。今、車を中に入れちゃうから」


 白河はそう言って、車から出ると、重厚な門を開け、また車内に戻ってきて、ゆっくりと敷地内へ車を動かしていく。風太はその一部始終をあんぐりと口を開けて見つめた。


 すんげえ……。


 それしか、言葉が出てこない。敷地内には、石畳の道がゆるく弧を描くように造られていて、それがすみにあるガレージスペースまで続いている。その先に、三台の車が置かれていた。どれもが、おそらくは高級車だ。その並びに、白河は慣れた手つきでスムーズに車を停める。


「はい、到着」

「すげえ……。白河先輩んちって、城だったんすね……」

「えぇ? 城じゃないよ。無駄にデカいだけ。それに、この辺一帯はみんなこんな感じだし、家の中は案外フツウだから」

「ほえぇ……」


 敷地に堂々とたたずむ西洋風の屋敷を見て、今の白河の言葉は到底信じられない。白河の家が裕福だということくらいは知っていたが、まさかここまでだとは思わず、風太は目をぱちくりさせながら、車を降りた。


 すると途端に風が吹き、バラの甘い香りが鼻をくすぐっていく。庭には屋敷の塀と同じく、色とりどりのバラが咲き乱れ、吹く潮風に揺れていた。やはり、どこからどう見ても、ここは城だった。


「いい匂いするっすね……」

「あぁ、バラね。父が好きなんだ。風太、おいで。こっち」

「は、はい……」


 風太は白河のあとを追って、二階建ての大きな玄関扉から中に入る。そこで再び目を丸くし、顔を引きつらせた。


 うわ、やっぱ城じゃん……!


 玄関ホールは天井が高く、とてつもない広さがあった。この玄関はちょうど、風太と雅が長年住んでいたアパートの居間くらいある。いや、もっとあるかもしれない。


 家の中の造りも家具も、外観と同じような西洋風のアンティーク調だ。すぐそばの棚の上や、ホールのすみには大きな花瓶が置かれていて、そこにもバラと小花がセットになって、溢れんばかりに生けられている。さらに玄関を上がった先には、大きな階段があって、それがカーブしながら二階へ続いていた。


 階段の途中の壁には、まるで美術館のように、いくつか絵画が飾ってあった。間違いなく、ここはやはり、城だ。風太は靴を脱ぎながら、呆気あっけにとられてあちこちを眺める。すると、その時だった。


「おや。おかえりなさい、虎太郎坊ちゃん」


 不意に低い声がして、ひとりの男が現れた。スーツ姿に、オールバックの黒髪。ふちのない眼鏡。切れ長で涼しげな瞳と、スッとした高い鼻。彫りの深い顔つきは、凛とした雰囲気だ。ついでにいえば、言葉遣いも丁寧で上品。


 フツウに街中を歩いていたら、そうカンタンには巡り会えないであろう彼は、間違いなく執事のようだったが、それにしてはあまりに容姿端麗で、華やかな雰囲気を放っていた。


 すげえな……。金持ちの家には、本当にこういう人がいるもんなのか……。


 ドラマや映画の中でしか見たことのなかった、執事という存在。それが実際に実在するという事実を目の当たりにして、風太は漠然ばくぜんとした興奮を覚えた。


 執事さん、かっけえ……。


「おい、藤原。その呼び方……。来客時にはやめろと言ってるじゃないか」

「そうでございました。失礼をいたしました」

「彼は後輩の風太だ。風太、彼は藤原。父の元秘書で、今はオレの世話係を押しつけられてる」

「藤原と申します。風太さま」


 藤原と名乗った執事らしい男は頭を下げ、にこやかに微笑ほほえんだ。彼の声も、言葉も、仕草も。なにからなにまでが丁寧で上品だった。


「藤原、悪いけどコーヒーを頼むよ。これから、部屋で勉強するんだ。風太は? なにか飲みたいものあるか?」

「えっ、おれっすか? ええと……」


 執事らしい男、藤原の登場にちょっと感動していたもので、急に飲み物を聞かれても、パッと出てこない。すると、藤原が言った。


「たいていのものはご用意がございますので、遠慮なくお申し付けを」

「あ……、いや、じゃあ……、えっと、麦茶で……」

「かしこまりました。後ほど、お部屋へお届けにあがります」

「頼んだよ」


 白河がそう言うと、藤原はもう一度、頭を下げて去っていった。白河は、それを見送ると、階段を上っていく。風太はその背中を慌てて追った。


「先輩、あの人って……、し、執事さんですよね……?」

「まぁ、そんなところ。もっと家族っぽい感じだけれどね。彼はオレの幼馴染でもあるから」

「へえ、幼馴染かぁ……」

「腐れ縁みたいなものだよ」


 なんともかっこいい幼馴染がいるものだ。さすが、城に住んでいるだけのことはある。風太はそんなことを思いながら、白河の少し後ろを歩いていく。


 白河は階段を上ったあと、廊下を歩き、いくつかのドアを通り過ぎ、一番奥の部屋へ入った。そこが、どうやら白河の部屋であるようだ。だが、そこはひとり部屋にしてはあまりに広かった。


「風太、入って。そこの座卓でやろうか」

「はい……」


 白河はそう言うなり、部屋の窓を開け、風を入れた。すると、潮とバラの香りの混じった暖かい風が、真っ青なカーテンを揺らし始める。部屋の中は、とてもきれいに片付いていて、家具はどれもシックな色味のもので統一されていた。


 そして今、彼が「座卓」と呼んだローテーブルは、ピカピカのガラス張りだ。引き出しの中があえて見えるように作られたデザインらしく、テーブルの真ん中には、なにやら洒落しゃれた洋書のようなものが見えている。風太はかばんをその場に下ろし、部屋を見回して言った。


「おしゃれな部屋っすねぇ……」

「そうでもないよ。マメに片付けてはいるけどね。ところでさ、風太……」

「はい、なんすか?」

「昨日、オレに相談があるって言ってたけど……、あれって、一星のことだよね?」


 それを聞いた途端、風太はヒュッと息をみ、そのままごくん、と飲み込んだ。そうだった。昨日、風太は電話で、白河に相談をしたいと頼んでいたのだ。だが、あれから状況はちょっと変わっている。


 一星がたびたび不機嫌になる理由は、あのときにはまだ、わからなかった。しかし、今はおおよその見当がついている。一星の不機嫌は、白河に対するヤキモチが原因で、彼の片想い相手は、もしかしたら自分かもしれない――なんて、風太の口から、そう軽々しくは話せない。


「一星に、なにか言われたのか? 昨日、ずいぶん強くなにか言われてたみたいだったけど」


 いつものように優しくかれて、風太は迷った。ここで、一星との関係や距離の取り方を、白河に相談できれば、それはもちろん心強い。だが、他人の恋愛を当事者のいないところでべらべら話すのは、どうも気が引ける。まるで、ゴシップを言いふらすような感覚があったからだ。


 ましてや、一星の想い人は同性なわけで、それを知ったとき、白河がどう思うかはわからないし、下手に言いふらせば、一星が傷つくことになるかもしれない。それは嫌だと思った。


 言えねえ……。たとえ、相手がおれじゃなかったとしても、だ……。


「風太……?」


 急に黙った風太を、心配してくれたのだろう。白河は風太の顔をのぞき込む。風太はハッと我に返り、慌ててかぶりを振った。


「あー……、いや。そ、その相談なんすけど、やっぱ大丈夫っすわ!」

「え?」

「そんなに、たいしたことじゃないんで……。一星のヤツと、いっつもケンカになんの、どうしたもんかなって思ってたんですけど、昨日はあれから、ちゃんと仲直りしましたから……」


 誰にも、相談なんてできない。相手が信頼している白河であっても、どういう反応をされるかわからないのに、カンタンに話すことなんかできやしない。白河が一星の恋を知ったとき、人間性を否定したり、嫌悪感を持つことは可能性としては低くても、あり得る話だ。


 一星には傷ついてほしくない……。それだけは嫌だ……。


 海辺で話した一星の切なげな表情を思い出し、風太は拳を強く握る。ただし、以前の関係のままなら、風太はこうはならなかったかもしれない。一星と同居するようになって、彼と日常を過ごす中で、理解と距離を深めたからこそ、彼を大切な存在だと認識しているからこそ、こんな気持ちにさせられるのだろう。だから余計に、安易に他人に軽はずみに話したくないのだ。風太はこの場をうまく誤魔化し、やり過ごそうと必死に笑みを作った。


「だから、大丈夫っす!」

「あぁ、そう……?」

「はい。アイツ、かなりの短気ヤローなんで、すーぐ怒るんすよねぇ。まぁ、でも、いつもたいした理由はないみたいなんで、気にしないでください。そんなことより、早いとこ勉強しないと。おれ、全然テスト勉強進んでなくって――」


 風太はやや早口になりながら、かばんの中をあさり始める。だが、白河は突然、それを止めるようにして、風太の手を取った。

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