白河が運転する車の助手席に揺られ、三十分ほど経った頃。鎌倉から南へ数キロ走った先、相模湾が一望できる高台の豪邸の前で、車は停まる。風太は助手席の窓から、その豪邸を見上げ、
で、でっけぇー……。
これを「家」と呼ぶには、あまりにふさわしくない。敷地を囲む塀から、屋根から、門構えから、なにもかもが西洋風の屋敷。――いや、まるで城のようだった。門は欧米国にある城門のようだし、そこに「Shirakawa」とアルファベットで表札が掛かり、塀にも門にも、バラのつるがからみ、そこらじゅうでピンクや白の花を咲かせている。
「すんげえ……」
「ごめん、風太。ちょっと待ってて。今、車を中に入れちゃうから」
白河はそう言って、車から出ると、重厚な門を開け、また車内に戻ってきて、ゆっくりと敷地内へ車を動かしていく。風太はその一部始終をあんぐりと口を開けて見つめた。
すんげえ……。
それしか、言葉が出てこない。敷地内には、石畳の道がゆるく弧を描くように造られていて、それが
「はい、到着」
「すげえ……。白河先輩んちって、城だったんすね……」
「えぇ? 城じゃないよ。無駄にデカいだけ。それに、この辺一帯はみんなこんな感じだし、家の中は案外フツウだから」
「ほえぇ……」
敷地に堂々と
すると途端に風が吹き、バラの甘い香りが鼻をくすぐっていく。庭には屋敷の塀と同じく、色とりどりのバラが咲き乱れ、吹く潮風に揺れていた。やはり、どこからどう見ても、ここは城だった。
「いい匂いするっすね……」
「あぁ、バラね。父が好きなんだ。風太、おいで。こっち」
「は、はい……」
風太は白河のあとを追って、二階建ての大きな玄関扉から中に入る。そこで再び目を丸くし、顔を引きつらせた。
うわ、やっぱ城じゃん……!
玄関ホールは天井が高く、とてつもない広さがあった。この玄関はちょうど、風太と雅が長年住んでいたアパートの居間くらいある。いや、もっとあるかもしれない。
家の中の造りも家具も、外観と同じような西洋風のアンティーク調だ。すぐそばの棚の上や、ホールの
階段の途中の壁には、まるで美術館のように、いくつか絵画が飾ってあった。間違いなく、ここはやはり、城だ。風太は靴を脱ぎながら、
「おや。おかえりなさい、虎太郎坊ちゃん」
不意に低い声がして、ひとりの男が現れた。スーツ姿に、オールバックの黒髪。ふちのない眼鏡。切れ長で涼しげな瞳と、スッとした高い鼻。彫りの深い顔つきは、凛とした雰囲気だ。ついでにいえば、言葉遣いも丁寧で上品。
フツウに街中を歩いていたら、そうカンタンには巡り会えないであろう彼は、間違いなく執事のようだったが、それにしてはあまりに容姿端麗で、華やかな雰囲気を放っていた。
すげえな……。金持ちの家には、本当にこういう人がいるもんなのか……。
ドラマや映画の中でしか見たことのなかった、執事という存在。それが実際に実在するという事実を目の当たりにして、風太は
執事さん、かっけえ……。
「おい、藤原。その呼び方……。来客時にはやめろと言ってるじゃないか」
「そうでございました。失礼をいたしました」
「彼は後輩の風太だ。風太、彼は藤原。父の元秘書で、今はオレの世話係を押しつけられてる」
「藤原と申します。風太さま」
藤原と名乗った執事らしい男は頭を下げ、にこやかに
「藤原、悪いけどコーヒーを頼むよ。これから、部屋で勉強するんだ。風太は? なにか飲みたいものあるか?」
「えっ、おれっすか? ええと……」
執事らしい男、藤原の登場にちょっと感動していたもので、急に飲み物を聞かれても、パッと出てこない。すると、藤原が言った。
「たいていのものはご用意がございますので、遠慮なくお申し付けを」
「あ……、いや、じゃあ……、えっと、麦茶で……」
「かしこまりました。後ほど、お部屋へお届けにあがります」
「頼んだよ」
白河がそう言うと、藤原はもう一度、頭を下げて去っていった。白河は、それを見送ると、階段を上っていく。風太はその背中を慌てて追った。
「先輩、あの人って……、し、執事さんですよね……?」
「まぁ、そんなところ。もっと家族っぽい感じだけれどね。彼はオレの幼馴染でもあるから」
「へえ、幼馴染かぁ……」
「腐れ縁みたいなものだよ」
なんともかっこいい幼馴染がいるものだ。さすが、城に住んでいるだけのことはある。風太はそんなことを思いながら、白河の少し後ろを歩いていく。
白河は階段を上ったあと、廊下を歩き、いくつかのドアを通り過ぎ、一番奥の部屋へ入った。そこが、どうやら白河の部屋であるようだ。だが、そこはひとり部屋にしてはあまりに広かった。
「風太、入って。そこの座卓でやろうか」
「はい……」
白河はそう言うなり、部屋の窓を開け、風を入れた。すると、潮とバラの香りの混じった暖かい風が、真っ青なカーテンを揺らし始める。部屋の中は、とてもきれいに片付いていて、家具はどれもシックな色味のもので統一されていた。
そして今、彼が「座卓」と呼んだローテーブルは、ピカピカのガラス張りだ。引き出しの中があえて見えるように作られたデザインらしく、テーブルの真ん中には、なにやら
「おしゃれな部屋っすねぇ……」
「そうでもないよ。マメに片付けてはいるけどね。ところでさ、風太……」
「はい、なんすか?」
「昨日、オレに相談があるって言ってたけど……、あれって、一星のことだよね?」
それを聞いた途端、風太はヒュッと息を
一星がたびたび不機嫌になる理由は、あのときにはまだ、わからなかった。しかし、今はおおよその見当がついている。一星の不機嫌は、白河に対するヤキモチが原因で、彼の片想い相手は、もしかしたら自分かもしれない――なんて、風太の口から、そう軽々しくは話せない。
「一星に、なにか言われたのか? 昨日、ずいぶん強くなにか言われてたみたいだったけど」
いつものように優しく
ましてや、一星の想い人は同性なわけで、それを知ったとき、白河がどう思うかはわからないし、下手に言いふらせば、一星が傷つくことになるかもしれない。それは嫌だと思った。
言えねえ……。たとえ、相手がおれじゃなかったとしても、だ……。
「風太……?」
急に黙った風太を、心配してくれたのだろう。白河は風太の顔を
「あー……、いや。そ、その相談なんすけど、やっぱ大丈夫っすわ!」
「え?」
「そんなに、たいしたことじゃないんで……。一星のヤツと、いっつもケンカになんの、どうしたもんかなって思ってたんですけど、昨日はあれから、ちゃんと仲直りしましたから……」
誰にも、相談なんてできない。相手が信頼している白河であっても、どういう反応をされるかわからないのに、カンタンに話すことなんかできやしない。白河が一星の恋を知ったとき、人間性を否定したり、嫌悪感を持つことは可能性としては低くても、あり得る話だ。
一星には傷ついてほしくない……。それだけは嫌だ……。
海辺で話した一星の切なげな表情を思い出し、風太は拳を強く握る。ただし、以前の関係のままなら、風太はこうはならなかったかもしれない。一星と同居するようになって、彼と日常を過ごす中で、理解と距離を深めたからこそ、彼を大切な存在だと認識しているからこそ、こんな気持ちにさせられるのだろう。だから余計に、安易に他人に軽はずみに話したくないのだ。風太はこの場をうまく誤魔化し、やり過ごそうと必死に笑みを作った。
「だから、大丈夫っす!」
「あぁ、そう……?」
「はい。アイツ、かなりの短気ヤローなんで、すーぐ怒るんすよねぇ。まぁ、でも、いつもたいした理由はないみたいなんで、気にしないでください。そんなことより、早いとこ勉強しないと。おれ、全然テスト勉強進んでなくって――」
風太はやや早口になりながら、かばんの中を