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11ー6

「先輩……?」

「あのさ、風太。そんなふうにはぐらかされて、オレが気にしないでいられると思う?」

「え――」

「昨日の電話で、話してって言ったのはオレだけどさ、声ふるわせて、『相談したい』って、お前に言われて……。昨日からめちゃくちゃ心配してたんだぞ。お前、普段はそんなに思い詰めたりしないほうなのに……」

「すいません……」

「いや、謝んなくていいから。一星となにがあった? 誰にも言わないから、話してごらん」


 あいかわらずの優しさに、風太は思わず、昨日の出来事を洗いざらい話してしまいたくなる。確かに、心の中にとどめておくには、あまりに重い出来事なのだ。いったいこの先、一星とどう接していいか、どんな顔をしたらいいか、風太は見当もついていない。しかし、一星の恋を、彼のいないところで、他人とうわさするようなこともまた、したくなかった。


「だッ、大丈夫っす。一星とはほんとに、ちょっとケンカしただけっすから……」


 もう一度、そう言った。すると、白河はあきれたふうにまゆを上げ、ため息をらす。風太がかたくなに話そうとしないことも、くだらないケンカくらいでこうはならないことも、おそらく彼はわかっているのだろう。


「そっか……。まぁ、一星のことだし、だいたいの想像はつくけどね。……どうせアイツ、オレにいてるんだろ」


 白河の言葉に、風太は目をみはる。まさか、彼は知っているのだろうか。風太はいた。


「なんで……、わかるんすか……」

「そりゃあ、わかるさ。オレとアイツは同じ人を好きになっちゃったからね」

「同じ人を好き……?」

「そうだよ」


 白河は柔らかく微笑ほほえみ、風太のそばに来て座り、風太の頭をくしゃ、とでる。風太は、彼の細くなった瞳に捕まえられたようになって、わずかでさえも目を離せなくなった。だが、そうしながら、再びこんがらがってしまいそうな頭の中を必死に整理する。


 ちょっと待てよ……。一星と白河先輩が同じ人を好きって、それって、つまり――……。


 白河の言うことが真実なら、白河の想い人もまた、同性だということになる。そして、白河は一星の好きな人が誰なのかも、当然知っているわけだ。


「一星の好きな人と、先輩の好きな人が一緒……?」

「そうだよ」

「いや……、だ、だけど、一星が好きなのは――……っ」

「男だろ。男で、クセ毛のショートカットで、いつも元気いっぱいな、三白眼の子。笑うとすごくかわいいのに、色気のある美人で、西御門高校剣道部の副主将」


 目の前で、唖然あぜんとする風太をうっとりと見つめながら、白河は言う。いつだったか、ファストフード店で彼に聞いた白河の想い人。その人は当たり前に女性で、どこかの誰かさんだったはずだった。だが、その妄想の姿が、頭の中で一気に崩れていく。


「あ、あの……、あの、先輩――」

「オレも結構がんばってアピールしてきたつもりだったのに、どうして気付いてもらえないのか不思議だったけど……。やっぱり、同性じゃ無理ないよな」

「いや、ええと、あの――……」

「このままじゃ、本当に一星にとられちゃいそうだから、言うけどね。オレがずっと好きだったのは、風太だよ」


 白河の声が、こだまして聞こえた気がした。風太はぐらりとめまいを起こしそうになるが、すぐにかぶりを振る。聞き間違いかもしれないと思ったのだ。しかし――。


「先輩……、ほんとっすか、それ……」

「うん、ほんと」


 さらっと肯定されてしまった。そうして、気付く。これが告白だということ。生まれてはじめて、モテている――ということに。すると、ようやく理解が追いついてきたのか、体が反応し始めた。心臓が急激に高鳴り、全身のあちこちからは、汗がにじんでくる。


 パイセンが、おれを好き――……?


 ひどく奇妙な気分だ。これまで、絶大な信頼を寄せてきた白河が、誰よりもかっこよく見えていたはずの憧れの人が、突然、知らない男に成り代わったような感覚だった。


 しばらく、風太は言葉が出なかった。生まれてはじめて告白されたというのに、特段、嬉しいわけでもなく、ただ、戸惑いだけを感じて思考が止まっていた。


「な、なんで――……」


 ほどなくして、ようやく声が出た。どうして、風太だったのだろう。ほかにかっこいい男なんて、山のようにいるだろうに。


「なんで、おれなんすか……」


 疑問を持ち、風太はたずねる。すると、白河は目を細め、同時に風太の手を取ったかと思うと、ぐい、と強引に引き、そのまま風太の体を抱き寄せた。


「なんでだろうね……。オレもわからない。でも、好きだったんだ、風太のことが……。ずっと、かわいくてかわいくて、しようがなくて……。オレのものにしたいって思ってた……」

「ずっと……、っすか……」

「うん……。風太、頼むからさ……、これ以上、アイツにほだされないでよ……」


 抱きしめられたまま、耳元ですがるような声で、白河は言った。ほだされている――。それを言われたときも、もっと前からも、白河は風太を好いていてくれたのだろう。少し前に白河が話してくれたことを、風太は今一度、思い出す。


 叶わない恋だと、告白をする前から諦めて、ほかの人と付き合ったこと。キスはできても、それ以上はできなかったこと。それから、諦めきれず、自分の気持ちに向き合おうと決意したこと。そのすべてが、自分に向けられていた感情だったのだとわかって、風太の体はぶわっと熱を持つ。だが、今の状況にひどい違和感があるのもまた事実だった。


 なんだろう……。白河先輩にハグされたことなんか、たくさんあったのに……。なんか今は少しだけ……、違うっていうか……、嫌かも……。


「オレだけのものになってよ……。オレ、風太のこと、絶対、誰よりも大切にするから」


 白河がそう耳元でささやいた。その瞬間、彼の吐息が耳に触れ、全身の肌がゾクゾクッと粟立あわだつ。同時に、頭の中は一気に真っ白になった。


 白河の言葉が、こんなにも耳のすぐそばで聞こえているのに、理解ができない。戸惑うあまり、体は硬直していく。それなのに、白河の腕の力は強くなるばかりだ。


 なんか、いつもの白河先輩じゃない……。まるっきり別人みたいだ……。だけど、どうすりゃいいのか、全然わかんねえ……。


 動揺と緊張と戸惑いが、渦のようになって風太に襲いかかっているようだった。ただし、このままの状況で、抵抗もせずに黙っていれば、間違いなくまずいことになりそうだ。それだけはわかって、風太はいた。


「あの、先輩……? とととと、とりあえず、冷静に話しませんか……。おれは――」


 ところが、その直後だった――。風太は強く押されるようにして、一瞬で、強引に床の上に押し倒された。


「どわっ! ちょっ、先輩……?」

「こんなことして、ごめん……。でも、オレ……、風太を一星に、どうしても渡したくないんだよ……」

「え……? いや……、ちょっと!」

「オレを好きになってよ……、風太……」


 切なげな瞳で風太を見つめながら、こらえていたものを、みんな吐き出すようにして、白河は吐露とろした。両手首を握られ、拘束されて、ドクン、ドクン――と、風太の心臓は波打ち、急激に鼓動を速めていく。さらに違和感は強まり、恐怖に似た不安感に襲われる。普段とは明らかに雰囲気の違う白河は、まるで言葉の通じない獣のようにも見えた。


「先輩――」

「……ごめんな」


 ほどなくすると、白河の顔がゆっくりと近づいてくる。途端に、風太はハッとした。その先、彼がなにを考えているのかを察したのだ。風太は慌てて、無理やりに抵抗し、白河の体を全力で押しのけ、彼から離れた。


「どあぁあああっ! ストップ、ストップ! ストーーーップ!」

「風太……」

「すいません……! おれ……、そういうの、先輩とはムリっす……!」


 つい、ストレートに言い放ってしまって、思わず口をつぐんだが、遅かった。風太の言葉に、白河はすぐに表情をゆがめる。ほんの一瞬、見えた表情はあまりに悲しげだ。風太は彼を深く傷つけたのだと悟ったが、今はそうする以外、ほかにどうしようもなかった。


「あの、すんません……。おれ、先輩には心底憧れてるし、ほんとにかっけえと思ってるし、フツウに好きだけど……。でも、それは……、そういうんじゃないっす……!」


 胸の内側にある感情を、正直に口にするしかない。言葉を選んでいる余裕なんかなかった。風太の言葉を聞いて、白河はしばらく返事をしないまま、顔をうつむかせている。風太が彼の体を押しのけたままの体勢で、ぐったりと座り込む、その姿に、風太は猛烈な罪悪感を感じずにいられず、なにも声をかけられなかった。しかし、ほどなくして、かすれた声がやっとこたえた。


「そっか……」

「すいません……! ほんと、すいません!」

「いや……。はっきり言ってくれて、よかったよ」


 白河の声は、まるで泣いているようにかすれ、宙に漂う間もなく、消え入ってしまうようだった。それほど、力なく、悲しげだった。


 こんな白河の声も、姿も、表情も、風太は知らない。引退試合で負けたときも、卒業式も、どんな感動の場面であっても、白河は決して涙を見せてこなかった。そんな人を、こんな顔をさせるまで傷つけたのは、風太だ。それはわかっていても、風太は彼にこたえることも、なぐさめることもできない。同情で、彼の心に寄り添えるほど、風太は大人ではないし、傷つけない断り方も知らなかった。


「先輩……、あの、おれ……」

「ありがとう、風太。驚かせて悪かったね」


 そう言って、やっと顔を上げた、白河は笑っていた。柔らかく目を細めて、優しい言葉をくれた。だが、それはいつも通りの彼の笑顔とは明らかに違っている。細くなったその目は、たしかに潤んで、途方もなく悲しそうだった。風太はたまらずに、彼から目をらした。


「あ、あの……。おれ、ちょっと用事思い出したんで、今日は帰ります! 先輩にも、心配かけさせちゃって、すんませんでした!」


 風太は慌てて荷物をまとめ、大急ぎで部屋を出る。廊下で、コーヒーや麦茶、茶菓子をトレーに乗せ、持ってきてくれた藤原とすれ違った。だが、彼にあいさつをする余裕もない。慌てて玄関ホールまで降りて、靴を履き、大きな扉を押して、外へ出る。それから、バラの香りに包まれた石畳のアプローチを、門へ向かって走った。


 海を見渡せる急な坂を駆け下りながら、スラックスのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。迷いなくかけたのは、一星の番号だった。

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