目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

12 夕刻の海岸~源一星~

 思えば、逗子ずしに来たことは一度もなかったかもしれない。電車を降り、駅前の広場に出て、一星はそんなことを思った。


 逗子ずしといえば、海水浴場が有名だが、そんなものはこの地域一帯にはたくさんある。太郎と今の家に住み始めてからは、海岸まで数分なので、特段、電車に乗ってわざわざ隣町の海岸まで行くこともなく、この町にはさほど興味もなかった。だが、ここはいい。時間の流れが鎌倉駅前よりも、ややゆっくりと進んでいる感覚がある。


 待ちゆく人はみんな、家路を急ぐような人や学生ばかりで、観光客らしい人はほとんどいない。閑散かんさんとしているわけではなく、かといって、騒がしいのとも違う。適度なにぎやかさの中に、のどかな印象も感じられる、その雰囲気は好ましかった。


 一星はひとまず、駅前広場をぐるっと歩いてみて、スマホを確認する。そうして、通知のない画面をぼんやりと見続けた。様々なアプリが並ぶホーム画面のすみに指を伸ばしたが、弱くかぶりを振って、スマホをカバンに仕舞しまう。


 こういうのって、ちょっとストーカーっぽいかもな……。


 胸の内側に広がる、嫌な胸騒ぎにかき立てられて、一星は今、この場所にいる。放課後、いつもならホームルームが終われば、必ず太一や一星に声をかける風太だが、今日は逃げるように教室を出ていってしまった。そうして、彼は校門の前で恋敵の白河に拾われ、車で連れていかれてしまったのだ。


 そんな彼を見て、一星が不安でたまらなくなったのは言うまでもない。一星は、どうにか彼らのあとをつけようと、今まで一度も使用したことのなかったGPSアプリの存在を思い出し、ここぞとばかりに起動させ、風太を追ってきた。そうして、この逗子ずし駅まで辿りついた、というわけだった。


 白河先輩との関係も、俺とのことも、決めるのは風太だし、そこはアイツの自由だってわかってる……。でも……、やっぱり風太をとられたくない。白河先輩にも、誰にも……。アイツがほかの男のものになるなんて、絶対に、絶対に嫌だ……。


 たぶん、風太はすでに気付いている。一星が片想いしている相手が誰なのかを。もっとも、こうなったのは全部、一星のせいだった。


 風太との距離が近づくにつれ、彼への想いが自分の中でどんどん大きくふくらみ、かかえるのも苦しくなるほど重くなっていくのを、一星は日々、感じていた。しかし、その一方で、風太はまったく気付かない。それどころか、以前、忠告したことはさっぱり忘れてしまっているのか、あいかわらず白河にはべったりなのだ。それには、まったくイライラさせられた。


 決闘に勝利した約束を傘に、風太を無理やり従わせてしまってもよかったが、それもちょっと大人げないような気がした。結局のところ、一星は、白河には猛烈に嫉妬しながら、風太にはこの想いに気付いてほしくて、昨日、当分は言うまいと決めていた想いを、風太の前で吐露とろしたのだ。ただし、それでも風太が気付くには、やや時間がかかったようではあった。


 ――おれはお前を、あの人にとられたくないんだよ。


 そのひと言で、風太が戸惑ったのは確かだった。しかし、すぐには言葉の意味がわからなかったのだろう。彼は「もうちょっと、わかるように説明しろよ」と、何度も一星にせまった。あのとき、太一が途中で帰宅しなければ、あの場でどうなっていたか、一星にもわからない。だが、時間の問題ではあったのだ。風太はそのあとになって、ようやく一星の言葉の意味に気付いたようで、明らかに一星をけるようになった。


 言うんじゃなかったかな……。突然、男に好きだって言われて、気持ちのいいもんじゃないだろうし……。


 風太にけられるのは、想定内だ。それでも、一星はあのとき、言わなければならないと思った。あのまま、なにも言わずにいれば、風太は白河のペースに本当に流されてしまうような気がしたのだ。一星はそれを危ぶんだ。好きな人を恋敵にとられても、ただ、彼のそばで指をくわえて見ているだけなんて、あまりに悔しすぎる。


 しかし、このところはせっかく風太との絆が深まって、距離だってずいぶん近づいていた実感があったのに、それがまた振り出しに戻ってしまったような今の状況は、途方もなく寂しいものだった。


「はぁ……。こんなところまで来て……、なにやってんだか……」


 ひとり言をこぼし、一星は再びスマホの画面を確認する。だが、その時だ。画面が突然、切り替わり、風太の名前がそこに映し出され、ふるえ始めた。一星は慌ててスマホを持ち直し、ふるえる指先で通話ボタンを押す。


「……風太?」

「悪い! お前、今どこ!」

「えっと……、今は……、ず、逗子ずし駅の前、だけど……」


 どう考えても、今、ここに一星がいるのは不自然だ。風太のあとを追ってきたのだと思われてもおかしくない。だが、あまりに恥ずかしくて、一星はつい、強がったふうな口調で答えてしまった。


「なんの用だよ……」


 すると、風太は安堵あんどしたようなため息をく。てっきり、「なんでそんなところにいるんだ」と、怪訝けげんそうな声でかれると思ったのに、風太はため息をいただけで、黙ってしまった。だが、すぐに彼の息づかいが荒くなっているのに気付く。妙だ。ただ、勉強を教えてもらっているだけで、こんなに荒々しい呼吸になるはずがない。


「風太……。お前、どうした?」

「いや……、もうすぐそっち着くから……、待ってて。着いたら話す」

「あぁ――……って、走ってんの? 白河先輩は?」

「だから、着いたら話すって!」


 風太がそう言ったあと、通話が切れた。なにかあったのだろうか。一星の嫌な胸騒ぎは、あながち気のせいでもなかったのかもしれない。そう思わされたのは、その十分後のことだった。


***




 一星は風太と合流すると、ひとまずは一緒に電車に乗り、鎌倉駅まで戻った。鎌倉駅前は、いつも通り。とてもにぎやかだ。


 まだ夕食どきには早い夕刻、学校帰りの学生や観光客が、楽しげに歩く姿が目立つ。のどかな隣町とは違うが、慣れ親しんだ街の雰囲気も、雑踏も、やはり途方もなく落ち着くものだった。だが、ふと気付く。この街中で、一星と風太だけが、まるで音のない空間に閉じ込められているように静かだった。


 風太のヤツ……、さっきから、なんにもしゃべんないな……。


 いつもやかましく言い合いをしながらとおっているはずのこの道も、電車の中でも、一星と風太はほとんど会話を交わさなかった。逗子ずしの駅前で合流したあと、彼はひたいから流れる汗をぬぐいながら、「一星、帰ろう」とだけ言って、電車に乗ったのだ。


 いったい今日、白河の家でなにがあったのか。一星は気になってたまらなかったが、いつになく思い詰めた表情でいる風太をかす気にはなれなかった。言葉選びをほんの少しでも間違えば、彼を傷つけてしまいそうな気がしたからだ。仕方がないので、一星は彼が話し出すまで、大人しく待つことにした。歩きながら、真っすぐ家に帰ってもよかったのだが、足は自然と海岸へ向かっていた。たぶん、風太も同じだった。


 互いに黙ったまま、海へ向かう。もう、ふたりでここへ来るのは何度目だろうか。なにかあるたびにここへ来ているが、こんなにも静かで、緊張感の漂う夕方は、はじめてだった。


 ふと、一星は風太の顔に目をやる。すると、その瞬間。風太の目と視線がぶつかった。


「……っ」

「……なに」

「いや……、べつに。なんでもねえ……」


 途端に、ぎょっとした表情を見せた風太だったが、そんな彼を前に、一星は少しだけ安堵あんどする。口を尖らせた表情も、声も、いつもの彼らしい反応だったからだ。


「そんで……? まさか、なんでもなくて電話かけてきたわけじゃないんだろ」


 一星は立ち止まり、風太の背中に向かって言った。なるべく、彼が話しやすいように、いつも通りの口調で。すると、不意に風太は、砂の上に腰を下ろして言った。


「まぁ、なんかはあったよ……」


 一星は無言で、風太を真似まねるようにして、彼の隣に腰を下ろした。そうしてまた、なにも言わず、風太が話し出すのを待つ。


 気持ちのいい初夏の潮風を受けながら、胸の内側は、不安とあせり、わずかな期待が入り混じるせいで、やたらと騒がしかった。それから、ほどなくして、風太は重いものを吐き出すような口調で話し出す。


「お前さ……、いつから知ってたの。その……、白河先輩のこと……」

「白河先輩のことって?」

「この期に及んで、しらばっくれんなよ……。お前がずっと、白河先輩がどうのってうるさかったのって、知ってたからだろ。あの人の好きな人が……」

「クソ鈍感なウチの剣道部副主将だって?」


 わざと神経を逆なでするように、憎まれ口を言う。風太が不安そうだったり、悲しそうな顔をするのは、どうも見ていられなくて、ついこうして怒らせたくなってしまうのだ。案の定、風太はするどく一星をにらみつけた。


「てめえな……。わかるわけねえだろうが! 憧れの先輩に、その……、好かれてるとかよ!」

「へえー、好きだって言われたんだ」

「い、言われた……」

「ふうん。そんで?」

「え?」

「好きって言われて、なんて答えたの。まさか、なんにも言わないで、ビビッて逃げて帰ってきたのか」


 正直な話、一星は驚いている。合宿のときの白河を見る限りでは、彼が本気で風太を狙っていることは、たしかに感じていたが、まさかこんなに早く、白河が風太に想いを打ち明けるとは思わなかったからだ。今、風太がここにいること、一星のそばにいてくれることには、ホッとさせられているものの、彼が白河の想いに対して、どう答えたのかは、気になるところだった。だが、風太は大きくかぶりを振る。


「いや……、断ってきたよ! おれだって、白河先輩のこと好きだけど、べつに好きとか、つ、付き合いたいとか……、そういうんじゃねーからさ……」

「そうなんだ……」


 よかったぁー……! 風太、白河先輩の告白、断ったんだな……!

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?