一星がどうしても期待させられてしまうのには、それもあった。白河から想いを告げられて、それが単純に驚いただけであったとしても、彼がすぐに断わり、逃げ帰ってきたのは事実だろう。一方で、一星もまた、風太に片想いしている。だが、風太はすでにそれを知りながら、それでも一星に助けを求めて電話をしてきた。それを考えれば、どうしたって、期待させられてしまう。だが、一星が
「それは……、わかんねえ」
「わかんねえのかよ」
「しょうがねえだろ……。たださ……、おれ、さっき、白河先輩に抱きしめられて――」
それを聞いた途端、脳天にかあっと血が上る。一星は思わず、風太に詰め寄り、肩を
「はぁ……っ? い、今、お前……、抱きしめられてって――……」
だが、言いかけた途中で、風太に素早く口元を手で押さえられた。唇に彼の手の平が触れていることにはドキドキしながら、一星はその手を振り払い、なおも言う。
「無理やり、されたのか!」
「ばかやろ! 声がでけえんだよ……!」
たしかに、目の前に広がる、この相模湾の波の音にも負けじと、一星の声は海岸に響いている。あまりなことに冷静を欠いてしまった、と反省し、一星は咳ばらいをした。そうして改めて声のボリュームを落とし、
「抱きしめられた、だけか?」
念のため、
「いや、抱きしめられて……、押し倒されて……。たぶん、キスされそうに――」
「な……っ、キスだぁ……?」
押し倒され、キスまでされそうになったと聞いて、もう一星は大人しくしてはいられない。すぐさま立ち上がり、怒りをぶつける場所を失ったまま、悔しさあまりに拳を握る。
「だから言ったんだ、俺は! あの人には気を付けろって!」
もうどうにも怒りを抑えきれなくなって、一星は再び吠えるようにして言った。白河が本気で風太を狙っていたことも、彼にはやや強引な一面があることも、一星はわかっていた。それでも、いざ風太が襲われたと聞けば、冷静に聞いてはいられない。
「俺はちゃんと忠告したのに、お前は全然――」
「わかった! もう、わかったから……!」
風太はそう言って、うんざり顔をすると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「誰にも言うなよ。太一にもだぞ」
「言えるか、こんなこと……」
とりあえず、座り直したものの、怒りで手指の先が
「嫌がってる相手に、無理やり
「いや、そこはさ……、おれもびっくりして、抵抗する余裕なかったし……」
「そういう問題じゃない。いいか、俺なら――……!」
俺なら、絶対にそんなふうにはしない。そう言いかけて、一星は口を
「……お前なら、なんだよ」
口を尖らせた仏頂面で
「俺は……、相手の気持ちがわからないのに、自分の欲望だけ押しつけるようなことはしたくない……」
すると、途端に。風太がくくっと笑みをこぼす。彼のその反応に、一星は思わずムッとして、彼を
「なんで笑うんだよ」
「いや。なんか今の、すんげえお前っぽいなって思っただけ」
風太はどこか嬉しそうにそう言ってから、続けて話し出した。
「おれさ……、今日、ちょっと怖ぇなって思ったんだ。白河先輩のこと。今までめちゃくちゃ大好きだったのに、急にそういう目で見られてたんだなって思ったら、なんか、ちょっと怖くなった。そんで、お前がなんで白河先輩のことになると、ブチ切れんのかも、やっとわかったんだけど……」
「けど……?」
「お前のことは、なんか怖くねえな、と思ったんだよ。なんつーか、お前がおれのこと好きみてえなこと言って、気まずいのはあったけど、
え……、この流れってまさか――。
風太の言葉には、急激に期待感が
「だから? だから、なに」
「だからさ、おれはさっき、お前に電話したってわけよ」
「あー……」
途端に緊張感が抜け、うなだれる。白河に
一星は落胆しながら、ここで期待するのもまた、浅はかだったと猛省する。だが、そんな一星を見て、風太は不満そうに口を尖らせた。
「なーんだよ、そのがっかりしたような声は」
「いや、べつに……。無駄に期待したな、と思っただけ」
気を取り直し、顔を上げて言う。すると、途端に風太はまた、顔を赤らめて、慌てて弁解をするように答えた。
「そ……、そんな、急にお前に付き合いたいとか、抱きたいとか言われて、すぐ、イエスノーで答えられっか! ただ、お前のことは怖くねえし、嫌でもなかったんだっつー話!」
なるほど。嫌じゃないけど、すぐには答えられない――……か。
「あ、じゃあさ……」
風太の言葉に、ふと、思いつく。一星は風太をじいっと見つめて言った。
「だったら、俺のことは、まだ保留にしといてよ」
「まだ、保留……?」
「うん。俺は、今すぐお前との関係で答えが欲しいわけじゃない。お前に可能性が少しでもあるなら諦めたくないし、ひとまず嫌じゃなかったんなら、それはまだ、わかんないってことだろ」
「そ、そうなのかな……」
風太が頬を
「だったら、俺と付き合うこと、真剣に考えてみてくれないか。どんだけ時間かかってもいい。ゆっくりでいいから」
「いや、でもよー……」
「頼む、風太……。チャンスをくれ。俺、お前に好きになってもらえるように、一生懸命頑張るから……」
そう言って、一星は風太に向かって深く頭を下げる。風太は無言のまま、おそらく一星を見つめていた。すぐそばに聞こえている波の音を耳にしながら、一星は祈るような思いで、彼の言葉を待つ。彼の沈黙には、戸惑いや不安、迷いがたしかに感じられた。だが、ほどなくして――。
「わ、わかった……」
頭の上で、おずおずと、風太の声が答える。それを聞いた途端、一星は嬉しさあまりに顔を上げた。風太の顔は、落ちかけた夕日を浴びているせいか、真っ赤だった。
「わかったからさ、そういうの、あんま言うなよ……」
「そういうの……?」
「お前に……、好きとか言われると、なんか、どういう顔したらいいかわかんねえからさ……」
手の甲で、鼻をこするようにして赤らめた顔を隠し、風太が言う。その表情に、一星の期待はまた
「ありがとうな、風太」
「いや……」
それからは、互いに黙り、相模湾に落ちていく夕日を見つめた。不思議だった。ただ、風太とふたりで、並んで座っているだけなのに、多幸感で全身が満ちていくようだった。
照れくさくて、ちょっとこそばゆい雰囲気もたまらなく心地がいい。このまま、ここで、ずっとふたりで、潮風に当たりながら、夕日が落ちていくのを見ていたくなるが、ほどなくすると、ポケットのスマホが
「帰るか」
「……だな」
一星は風太と一緒に立ち上がる。そうして、尻についた砂を払うと、夕日を背にして、帰路についた。