目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

12ー3

 一星がどうしても期待させられてしまうのには、それもあった。白河から想いを告げられて、それが単純に驚いただけであったとしても、彼がすぐに断わり、逃げ帰ってきたのは事実だろう。一方で、一星もまた、風太に片想いしている。だが、風太はすでにそれを知りながら、それでも一星に助けを求めて電話をしてきた。それを考えれば、どうしたって、期待させられてしまう。だが、一星がたずねたあと、風太は難しい表情をして言った。


「それは……、わかんねえ」

「わかんねえのかよ」

「しょうがねえだろ……。たださ……、おれ、さっき、白河先輩に抱きしめられて――」


 それを聞いた途端、脳天にかあっと血が上る。一星は思わず、風太に詰め寄り、肩をつかんだ。


「はぁ……っ? い、今、お前……、抱きしめられてって――……」


 だが、言いかけた途中で、風太に素早く口元を手で押さえられた。唇に彼の手の平が触れていることにはドキドキしながら、一星はその手を振り払い、なおも言う。


「無理やり、されたのか!」

「ばかやろ! 声がでけえんだよ……!」


 たしかに、目の前に広がる、この相模湾の波の音にも負けじと、一星の声は海岸に響いている。あまりなことに冷静を欠いてしまった、と反省し、一星は咳ばらいをした。そうして改めて声のボリュームを落とし、たずねる。


「抱きしめられた、だけか?」


 念のため、いただけだった。しかし――。


「いや、抱きしめられて……、押し倒されて……。たぶん、キスされそうに――」

「な……っ、キスだぁ……?」


 押し倒され、キスまでされそうになったと聞いて、もう一星は大人しくしてはいられない。すぐさま立ち上がり、怒りをぶつける場所を失ったまま、悔しさあまりに拳を握る。


「だから言ったんだ、俺は! あの人には気を付けろって!」


 もうどうにも怒りを抑えきれなくなって、一星は再び吠えるようにして言った。白河が本気で風太を狙っていたことも、彼にはやや強引な一面があることも、一星はわかっていた。それでも、いざ風太が襲われたと聞けば、冷静に聞いてはいられない。


「俺はちゃんと忠告したのに、お前は全然――」

「わかった! もう、わかったから……!」


 風太はそう言って、うんざり顔をすると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「誰にも言うなよ。太一にもだぞ」

「言えるか、こんなこと……」


 とりあえず、座り直したものの、怒りで手指の先がふるえている。やはり、一星が感じた胸騒ぎは、気のせいではなかったのだ。ただし、予想よりもずっと白河が大胆な行動に出たことには、一星も驚いている。いつだって強気で、強引で、腹が立つほど誘い上手だとは思っていた。だが、まさか風太に乱暴はしないだろうと思っていたのだ。


「嫌がってる相手に、無理やりせまるなんて、最低な人間のすることだ」

「いや、そこはさ……、おれもびっくりして、抵抗する余裕なかったし……」

「そういう問題じゃない。いいか、俺なら――……!」


 俺なら、絶対にそんなふうにはしない。そう言いかけて、一星は口をつぐむ。


「……お前なら、なんだよ」


 口を尖らせた仏頂面でかれて、心臓がドクン――と跳ねた。胸の内側で高鳴る鼓動は、まるで一星を鼓舞しながら、必死にかしているようでもある。一星は一度、咳ばらいをすると、その音にうながされるような心地で答えた。


「俺は……、相手の気持ちがわからないのに、自分の欲望だけ押しつけるようなことはしたくない……」


 すると、途端に。風太がくくっと笑みをこぼす。彼のその反応に、一星は思わずムッとして、彼をにらんだ。


「なんで笑うんだよ」

「いや。なんか今の、すんげえお前っぽいなって思っただけ」


 風太はどこか嬉しそうにそう言ってから、続けて話し出した。


「おれさ……、今日、ちょっと怖ぇなって思ったんだ。白河先輩のこと。今までめちゃくちゃ大好きだったのに、急にそういう目で見られてたんだなって思ったら、なんか、ちょっと怖くなった。そんで、お前がなんで白河先輩のことになると、ブチ切れんのかも、やっとわかったんだけど……」

「けど……?」

「お前のことは、なんか怖くねえな、と思ったんだよ。なんつーか、お前がおれのこと好きみてえなこと言って、気まずいのはあったけど、こえぇとか、嫌だとか、そういうのはなかったよなって……。だから……」


 え……、この流れってまさか――。


 風太の言葉には、急激に期待感がふくらんでいった。まさか、すぐには受け入れてもらえないと覚悟していた告白だったのに、脈アリなのだろうか。そうだとすれば、これは夢かもしれない――と、一星は現実を疑いながら、風太の言葉の先を早く知りたくて、たまらずに彼をかした。


「だから? だから、なに」

「だからさ、おれはさっき、お前に電話したってわけよ」

「あー……」


 途端に緊張感が抜け、うなだれる。白河にせまられて、一星を思い出してくれたことも、一星のことは怖くないと思ってくれたことも、もちろん嬉しい。嬉しいが、期待した返事とはちょっと違っていた。


 一星は落胆しながら、ここで期待するのもまた、浅はかだったと猛省する。だが、そんな一星を見て、風太は不満そうに口を尖らせた。


「なーんだよ、そのがっかりしたような声は」

「いや、べつに……。無駄に期待したな、と思っただけ」


 気を取り直し、顔を上げて言う。すると、途端に風太はまた、顔を赤らめて、慌てて弁解をするように答えた。


「そ……、そんな、急にお前に付き合いたいとか、抱きたいとか言われて、すぐ、イエスノーで答えられっか! ただ、お前のことは怖くねえし、嫌でもなかったんだっつー話!」


 なるほど。嫌じゃないけど、すぐには答えられない――……か。


「あ、じゃあさ……」


 風太の言葉に、ふと、思いつく。一星は風太をじいっと見つめて言った。


「だったら、俺のことは、まだ保留にしといてよ」

「まだ、保留……?」

「うん。俺は、今すぐお前との関係で答えが欲しいわけじゃない。お前に可能性が少しでもあるなら諦めたくないし、ひとまず嫌じゃなかったんなら、それはまだ、わかんないってことだろ」

「そ、そうなのかな……」


 風太が頬をく。そうあってほしいと懇願こんがんしながら、一星はかすかな希望を感じてもいた。嫌じゃない、ということは、まず、生理的には受け入れられているということ。そして、嫌悪感を持たれていないということだ。これは「ある」と「ない」とでは、かなり大きい。一星から見れば、大きく言って、脈アリだ。


「だったら、俺と付き合うこと、真剣に考えてみてくれないか。どんだけ時間かかってもいい。ゆっくりでいいから」

「いや、でもよー……」

「頼む、風太……。チャンスをくれ。俺、お前に好きになってもらえるように、一生懸命頑張るから……」


 そう言って、一星は風太に向かって深く頭を下げる。風太は無言のまま、おそらく一星を見つめていた。すぐそばに聞こえている波の音を耳にしながら、一星は祈るような思いで、彼の言葉を待つ。彼の沈黙には、戸惑いや不安、迷いがたしかに感じられた。だが、ほどなくして――。


「わ、わかった……」


 頭の上で、おずおずと、風太の声が答える。それを聞いた途端、一星は嬉しさあまりに顔を上げた。風太の顔は、落ちかけた夕日を浴びているせいか、真っ赤だった。


「わかったからさ、そういうの、あんま言うなよ……」

「そういうの……?」

「お前に……、好きとか言われると、なんか、どういう顔したらいいかわかんねえからさ……」


 手の甲で、鼻をこするようにして赤らめた顔を隠し、風太が言う。その表情に、一星の期待はまたふくらんでしまう。一星にとっては、ここからが勝負どころだ。もっとも、まだ風太がこたえてくれる保証はなく、可能性はあったとしても、ほんの数パーセント程度かもしれないが、どんなに小さくても、希望は確かに見えている。一星は風太に拒絶されなかったし、告白の答えは保留にもしてもらえた。それだけで、今は十分だ。


「ありがとうな、風太」

「いや……」


 それからは、互いに黙り、相模湾に落ちていく夕日を見つめた。不思議だった。ただ、風太とふたりで、並んで座っているだけなのに、多幸感で全身が満ちていくようだった。


 照れくさくて、ちょっとこそばゆい雰囲気もたまらなく心地がいい。このまま、ここで、ずっとふたりで、潮風に当たりながら、夕日が落ちていくのを見ていたくなるが、ほどなくすると、ポケットのスマホがふるえ出した。同時に、風太も制服のポケットからスマホを取り出し、顔を見合わせる。


「帰るか」

「……だな」


 一星は風太と一緒に立ち上がる。そうして、尻についた砂を払うと、夕日を背にして、帰路についた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?