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15ー4

***


「ひえー……。濡れた、濡れた!」


 駅前から自宅へは、徒歩十分ほどだ。距離にしても、たいしたことはない。だが、どしゃぶりの中で、十分歩いたふたりの肩はしっかり腕まで濡れていた。一星は家へ入ると、すぐに洗面所へ行って、タオルを取ってきてくれ、風太にそれを差し出した。


「拭けよ。お前、肩んとこすごい濡れてるぞ」

「お……っ、お前こそ、濡れてんじゃん。先、タオル使っていいよ」

「俺はいいから。お前、先に使えって」

「いや……」

「いいから」

「……あ、そう。なら、お言葉に甘えて」


 遠慮合戦のような、気遣いの押しつけ合いをするのも、なんだか照れくさくなって、風太はひとまず、一星からタオルを受け取った。濡れた肩や腕を拭いたあとは、着替えをしに二階へ上がる。一星もあとからついてきて、自室に入っていった。風太はTシャツとハーフパンツに着替え、リビングへ下り、腹をさすりながら、キッチンに目をやる。


 なんか、変なとこで体力と精神力使ったせいかな、腹減っちまったな……。


 習慣のように、冷蔵庫を開けた。カフェで食べた軽食は、とうに消化してしまったのかもしれない。食べ盛りの風太にとって、水族館のカフェの軽食だけでは、ただでさえ物足りないのに、大雨と相合傘と、一星が不意に甘いセリフを吐くせいで、代謝が上がってしまってどうしようもないのだ。おかげで、胃袋の中はそろそろからっぽになるところだった。だが今、冷蔵庫の中に、すぐにおいしく食べられて、つ空腹をしっかり満たしてくれるようなものはなにひとつ入っていなかった。


 母ちゃんからお金はもらってるけど……、この雨ン中、コンビニ行くのもダリいしなぁ……。途中で寄ってくりゃよかった……。


「風太ー、なんかメシ作るか? さっきのじゃ足らなかったんだろ」

「おわッ」


 冷蔵庫の中を見つめながら、悶々もんもんとしているところを、背後から声をかけられ、思わず、ビクッと肩をすくめる。だが、一星が冷蔵庫を物色しながら、肉や野菜を取り出し始めると、途端に胸が躍った。


「メシ……。い、いいんすか……?」

「まぁ、俺もさっきのじゃちょっと足んなかったし、本当になんでもいいなら……」

「なんでもいいっす!」

「じゃあ、ちょっと座って待ってろ」

「やりィ……! あ、おれもなんかしようか?」

「あー……、そしたら、テーブルだけ拭いといて」

「はーいッ!」

「……お前ってさぁ、メシんときだけはほんとに素直に言うこと聞くのな……」


 あきれた声で言われても、風太は気にしない。鼻歌を唄いながら、せっせと台ふきんでテーブルを拭く。それから、カウンターキッチンの反対側から身を乗り出し、一星の料理する姿を眺めた。キャベツ、にんじん、玉ねぎ、豚肉の切り落としパック、焼きそば。ウスターソース。


 焼きそばじゃんかよ……!


 それを見るなり、思わずガッツポーズが出る。焼きそばは風太の大好物だ。


「おっしゃあ! 焼きそば、最高ォーッ!」

「ガキ……」


 風太の浮かれっぷりに、一星はやはりあきれた表情を見せ、手際よく、まな板の上で野菜を切っていく。彼の包丁さばきには感心しながら、風太はカウンターキッチンに頬杖ほおづえをつき、口を尖らせた。


「ばーかやろ。焼きそばなんて、ガキも大人も、全世界のみんなが大好きだろーがよ」

「へえ。お前、まだ大人になったことないのに、大人の気持ちがわかるんだ?」


 すでに風太より先に、大人になったような顔をして、一星がにやりと笑って言う。まるで勝ち誇ったような物言いをされるのも、彼の態度にも、猛烈に悔しくなるが、風太が太一にもクラスメイトにも、ガキっぽいとよく言われるのは事実だ。


「……う、うるっせえ。焼きそばが好きな大人の気持ちはわかんの! そんくらいうめえってことなんだよ!」

「はいはい、そうですか」


 穏やかな口調でそう言いながら、一星はフライパンを温めはじめ、くくく……ッと笑みをこぼした。これは、明らかにからかわれている。風太はカチンときて、キッチンに立つ一星に、渾身こんしんの眼力でにらみつけた。


「てめえなぁ……。いいか、おれは――」


 たしかに、風太はガキっぽいのかもしれない。だが、もう、ガキじゃない。その証拠に、今、風太は一星から向けられた想いに、こんなにも真剣に向き合っているのだから。そう言い返してやろうとした。だが――。


「風太、俺さ……」


 一星の言葉が、風太の言葉と重なってさえぎられる。風太が口をつぐむと、一星は風太を見つめ、柔らかく微笑ほほえんだ。その笑顔に、思わずドクン――と心臓が跳ねる。それから、一星はまるでひとり言を呟くように言った。


「俺……、お前のそういうとこ、すげえ好きだよ……」

「へ……?」

「なんでもないことで、大騒ぎして喜んでくれるとこ。ほんと、すっげー好き」


 それを聞いた途端、胸の奥をぎゅうっとつかまれたような感覚があった。心臓の鼓動が強く波打ちはじめ、同時に、かあっと全身が火照ほてる。一星の甘いセリフ攻撃は、どうしたって慣れない。風太は動揺を隠しきれず、顔をうつむかせる。


「そ、そうかよ……!」

「今日、水族館一緒に行ってくれて、ありがとな。風太」

「どういたしまして……! っていうか、お前な……、そういうのやめろって、前にも言ったろーがよ……。急にマジメな顔で、すっ、好きとか、言われたら……」

「やっぱり……、困る?」

「こ、困るっつーか……、おれの調子が狂うだろ!」

「そっか、ごめんな」


 ぶつくさと文句を言う風太をよそに、一星は軽い口調で謝り、また、笑みを浮かべる。「ごめんな」と口にはするものの、たぶん、彼は全然、まったく、これっぽっちも反省していないだろう。風太は照れくささと恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうになりながら、焼きそばができあがるのを、ひたすらに待つ。


 ほどなくして、できあがった一星の作ってくれた焼きそばは、味はちょっぴり濃いめで、肉は大きめカットの、風太の好みにばっちり合った絶品だった。

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