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「ひえー……。濡れた、濡れた!」
駅前から自宅へは、徒歩十分ほどだ。距離にしても、たいしたことはない。だが、どしゃぶりの中で、十分歩いたふたりの肩はしっかり腕まで濡れていた。一星は家へ入ると、すぐに洗面所へ行って、タオルを取ってきてくれ、風太にそれを差し出した。
「拭けよ。お前、肩んとこすごい濡れてるぞ」
「お……っ、お前こそ、濡れてんじゃん。先、タオル使っていいよ」
「俺はいいから。お前、先に使えって」
「いや……」
「いいから」
「……あ、そう。なら、お言葉に甘えて」
遠慮合戦のような、気遣いの押しつけ合いをするのも、なんだか照れくさくなって、風太はひとまず、一星からタオルを受け取った。濡れた肩や腕を拭いたあとは、着替えをしに二階へ上がる。一星もあとからついてきて、自室に入っていった。風太はTシャツとハーフパンツに着替え、リビングへ下り、腹をさすりながら、キッチンに目をやる。
なんか、変なとこで体力と精神力使ったせいかな、腹減っちまったな……。
習慣のように、冷蔵庫を開けた。カフェで食べた軽食は、とうに消化してしまったのかもしれない。食べ盛りの風太にとって、水族館のカフェの軽食だけでは、ただでさえ物足りないのに、大雨と相合傘と、一星が不意に甘いセリフを吐くせいで、代謝が上がってしまってどうしようもないのだ。おかげで、胃袋の中はそろそろからっぽになるところだった。だが今、冷蔵庫の中に、すぐにおいしく食べられて、
母ちゃんからお金はもらってるけど……、この雨ン中、コンビニ行くのもダリいしなぁ……。途中で寄ってくりゃよかった……。
「風太ー、なんかメシ作るか? さっきのじゃ足らなかったんだろ」
「おわッ」
冷蔵庫の中を見つめながら、
「メシ……。い、いいんすか……?」
「まぁ、俺もさっきのじゃちょっと足んなかったし、本当になんでもいいなら……」
「なんでもいいっす!」
「じゃあ、ちょっと座って待ってろ」
「やりィ……! あ、おれもなんかしようか?」
「あー……、そしたら、テーブルだけ拭いといて」
「はーいッ!」
「……お前ってさぁ、メシんときだけはほんとに素直に言うこと聞くのな……」
焼きそばじゃんかよ……!
それを見るなり、思わずガッツポーズが出る。焼きそばは風太の大好物だ。
「おっしゃあ! 焼きそば、最高ォーッ!」
「ガキ……」
風太の浮かれっぷりに、一星はやはり
「ばーかやろ。焼きそばなんて、ガキも大人も、全世界のみんなが大好きだろーがよ」
「へえ。お前、まだ大人になったことないのに、大人の気持ちがわかるんだ?」
すでに風太より先に、大人になったような顔をして、一星がにやりと笑って言う。まるで勝ち誇ったような物言いをされるのも、彼の態度にも、猛烈に悔しくなるが、風太が太一にもクラスメイトにも、ガキっぽいとよく言われるのは事実だ。
「……う、うるっせえ。焼きそばが好きな大人の気持ちはわかんの! そんくらいうめえってことなんだよ!」
「はいはい、そうですか」
穏やかな口調でそう言いながら、一星はフライパンを温めはじめ、くくく……ッと笑みをこぼした。これは、明らかにからかわれている。風太はカチンときて、キッチンに立つ一星に、
「てめえなぁ……。いいか、おれは――」
たしかに、風太はガキっぽいのかもしれない。だが、もう、ガキじゃない。その証拠に、今、風太は一星から向けられた想いに、こんなにも真剣に向き合っているのだから。そう言い返してやろうとした。だが――。
「風太、俺さ……」
一星の言葉が、風太の言葉と重なって
「俺……、お前のそういうとこ、すげえ好きだよ……」
「へ……?」
「なんでもないことで、大騒ぎして喜んでくれるとこ。ほんと、すっげー好き」
それを聞いた途端、胸の奥をぎゅうっと
「そ、そうかよ……!」
「今日、水族館一緒に行ってくれて、ありがとな。風太」
「どういたしまして……! っていうか、お前な……、そういうのやめろって、前にも言ったろーがよ……。急にマジメな顔で、すっ、好きとか、言われたら……」
「やっぱり……、困る?」
「こ、困るっつーか……、おれの調子が狂うだろ!」
「そっか、ごめんな」
ぶつくさと文句を言う風太をよそに、一星は軽い口調で謝り、また、笑みを浮かべる。「ごめんな」と口にはするものの、たぶん、彼は全然、まったく、これっぽっちも反省していないだろう。風太は照れくささと恥ずかしさで、どうにかなってしまいそうになりながら、焼きそばができあがるのを、ひたすらに待つ。
ほどなくして、できあがった一星の作ってくれた焼きそばは、味はちょっぴり濃いめで、肉は大きめカットの、風太の好みにばっちり合った絶品だった。