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16ー2

 テレビ画面の中では、今、高校の教諭が、呪われた井戸のふたを興味本位で無理やりこじあけているところだった。まるで、スマホ動画で撮ったような雰囲気の映像は、創造の世界だということを忘れるようなリアリティがある。だが、どこかで見たような、ありふれた展開だ。一星は顔をそむけ、あくびをした。


 俺は恋愛映画のほうが、よかったなぁ……。


 今夜、風太が「観よう」と言い出さなければ、一星はたぶん、一生この映画と巡り合わなかっただろう。それほど、縁遠く感じる作品だった。その一方で風太は、このB級ホラー映画をしっかり楽しんでいる。だが――。


「いや、ちょっ、ほんとそこ……、やべえからぁ……」


 不意に。やたらと怖がる風太の声に、一星の心臓がドクン、と反応した。なんて声を出すのだろう。夜ふかしのせいか、あるいはのどかわきを忘れて、映画に没頭しているせいか。風太の声はわずかにかすれ、やけに色っぽく聞こえた。ふるえる語尾も、言葉も。ひどくいかがわしく聞こえてきて、一星はごくん、と生唾なまつばを飲む。


 落ち着けよ……。余計なことを考えるな。いいか……、風太は今、ホラー映画を観て、怖がってるだけだ。


 そう必死に自分に言い聞かせるが、体は正直に反応する。心臓がうるさく高鳴り、かあっと体が熱くなってくる。


 普段、一星は日常の中で、風太の声を当たり前のように耳にしている。寝起きの声も、くたびれた声も、恥じらいながら文句を言う声も、剣道の稽古中の気合いの声も、すべてが魅力的だ。しかし、こんなにも色っぽい声を聞いたのは、はじめてだった。


「あっ、や……、ちょっ、ちょっと……」

「風太、ごめん。あのさ……」

「あぁ……、だから……、そこ……、触っちゃだめ、だめなんだって――」


 どうでもいいけど、エロいし可愛いんだよ……ッ!


 心頭滅却しんとうめっきゃく。――なんて、できるはずもなく、一星は思わずソファから立ち上がった。その直後、風太がビクッとして「うわ……ッ」と声を上げる。映画に没頭しているところ悪いが、これ以上、こんなに近くで黙って聞いていられない。一星には今一度、クールダウンが必要だった。ところが、一星を見上げて、風太は怪訝けげんそうな表情を見せる。


「……なんだよ」

「いや、お前がなんなんだよ。急に立って……。ビックリすんだろ」

「悪い……。俺、ちょっと飲み物足してくる。お前は――……全然飲んでねえみたいだけど、そのまんまでいい?」

「い、いい……。あ、映画停めとこっか?」

「いや、停めなくていい」


 ふう、とため息をきながら、再びテレビ画面を見つめる風太の横顔が、途方もなく愛おしくなる。思わず、その頬に触れたくなって、指先がわずかに動いてしまったが、慌ててその手をぎゅっと握った。それから、カラになったグラスを持ち、キッチンへ行って、風太を見つめる。彼の頬に触れて、どうしようというのだろう。なんの理由もなく触れるなんて、今の一星には許されないことなのに。


 だめだ……。俺には、まだ。そんな資格はないんだから。


 風太にとって、一星は同居人。あるいは、家族、クラスメイト。鬱陶うっとうしい友人のひとり。またはライバルか、相棒。そんなところだろう。一星にとっては、彼が片想いの相手で、夢のような水族館デートをした想い人だとしても、おそらく風太は違う。一星はまだ、この想いを受け入れてもらえたわけではないし、それによって、風太との関係が変わったわけではない。


 たしかに、彼との距離は近づいている感覚はある。以前よりも、ずっと風太は、一星に心を開いてくれている。それでも、もし。一星が自分勝手に風太に触れたら。彼はきっと、一星を拒絶するようになるに決まっている。


 あせったらだめだ……。風太が振り向いてくれるまで、待つって決めたんじゃないか。


 そうして、ひとまずは正気を保ち、一星は冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出すと、それをカラになったグラスに注いだ。ところが、そのうちにまた、クセのように風太の後ろ姿を見つめてしまう。ビクビクと肩を震わせながら、それでも映画に没頭する風太が、途方もなく愛おしくてたまらない。すぐに駆け寄って、その背中を抱きしめたくなる。


 白河先輩のしたことは許せないけど……、気持ちだけはわかるんだよな……。


 以前、白河が風太を自宅に呼び、彼に強引に手を出したことを思い出す。一星はその現場を見たわけではないが、白河はきっとこんな気持ちだったのだろう。


 どうしようもなく風太が好きで、可愛くて、彼への欲望を、抱きしめたい衝動を、どうにも抑えきれなかったのだ。無理もない。風太には、正気を失わせるほどの魅力があるし、まったく腹が立つほどに可愛い。しかし、そう思う一方で、その欲望や衝動を抑えて、あるいは殺して、相手を思いやることができないのであれば、風太の恋人にはなれない。絶対にふさわしくないのだ、とも思う。


 俺はあの人とは違う。風太を本当に大切に想ってる。だから、強引に抱きしめたりなんか――。


 そう思ったとき、風太が振り返った。仏頂面ぶっちょうづらをする彼の目と視線がぶつかり、その瞬間、一星の胸の内側は、ドクン――と、強く波打った。


「おぉい、早くしろよ……。後ろで物音すると、気になるんだけど」

「あぁ、ごめん……」


 風太はそう言うと、またテレビ画面に釘付けになってしまった。だが、一星はもう映画どころではない。心臓の鼓動がうるさく鳴り、今、風太が言ったセリフを反芻はんすうする。途端に、胸の奥がきゅうっと苦しくなる。つまり彼は、「怖いから、そばにいてくれ。早く戻ってこい」と言いたいのだろうか。いや、そうに違いない。少なくとも一星には、そうとしか聞こえなかった。


 やっぱ、風太コイツ……、可愛いすぎる……。


 もし、今、彼を抱きしめたら。風太は本当に受け入れてくれないのだろうか。可能性は、一星にはまだ、ないのだろうか。もし、受け入れてもらえたときには、風太はさっきみたいなかすれ声で、一星を呼ぶのかもしれない。まるで、一星を求めるように。この耳元でささやくのかもしれない。


 ――いいよ。好きなように抱けよ、一星……。


「……だぁあああああッ!」

「ぎゃあああッ! なになになに!」


 少々、刺激の強い妄想に、思わず奇声を上げてしまった。だが、それにはさすがに、風太も驚いたのだろう。同じく奇声を発して、立ち上がった。その拍子にテレビのリモコンに触ってしまったのか。画面は今、民間放送に切り替わり、うんざりするほどムードのない、バラエティー番組が流れはじめている。


「……あ、悪い。Gかと思ったら違ったわ」


 ひとまず、冷静になってそう誤魔化すと、絶妙なタイミングでバラエティー番組の笑い声が部屋に響いた。だが、風太はたぶん、ちょっと怒っている。彼はにらみをきかせながら、ゆらゆらと一星に近づいてきた。


「てめえ……、嘘だな。今のはわざとじゃねえのか、コラぁ……」

「わざとじゃない。本当に見間違えたんだ」

「ふうーん?」


 風太は一星にしっかりメンチを切ると、またソファへ戻り、ドカッと腰を下ろした。そうして、背中を丸め、「ったく……、変なとこ触っちったじゃねえかよー」と文句を言いながら、リモコンをいじり始め、テレビ画面を元に戻した。


 その後ろ姿を見つめながら、一星は頬をゆるませる。彼は本当に可愛らしい。目つきはするどく、体はしっかり筋肉質で、いつも強気で勝ち気なのに、ふとした瞬間に見せる反応は、まるで幼い子どものような純粋さを感じさせ、そうかと思うと、ゾクッとするような色気で一星を悩ませるわけだ。


 可愛い……。やっぱり、すごく可愛い。どうしよう……。俺……、本当に、どうしようもないくらい、風太のことが好きだ……。

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