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16ー3

 一星はソファに戻り、風太の横顔をちら、と見る。すると、また。風太と視線がぶつかった。その瞬間、思わず彼の頬に手を伸ばす。そうして、少し驚いた顔をした彼の頬を、指先で優しくでる代わりに、甘くつねってみる。もちろん、風太が怒ったのは言うまでもなかった。


 その後、一星は風太と、なんだかんだと騒ぎながら、ホラー映画をエンドロールまでしっかり観た。ホラーはもともと好みではなかったが、好きな人と観るなら、これは最高にいい選択だったのかもしれない。


 おどろおどろしい世界観と、連続して恐怖をあおる展開のおかげで、風太との距離はかなり近づいた感覚があった。特に、怖がる風太が、すがるように出したかすれ声。それをすぐ隣で聞いたあの感動と衝撃を、一星はきっと一生忘れられない。一星の心臓は、映画の最中、風太とはまた違う理由でドキドキしっぱなしだった。


***




 それから、いつも通りのくだらない言い合いをしながら、もう一本、べつの映画を観ようという話になったが、その映画の半分ほど進んだところで、風太はいつの間にか、ソファで居眠りをはじめてしまった。無理もない。時刻はすでに、夜中の二時を回っている。


「風太……? おい、ここで寝るなら、二階に行って寝ろよ」

「んぁー……」


 ゆさゆさと肩を揺さぶってみるが、風太はそのまま、ゴロンとソファで横になってしまう。


「ったく、しようがねえな……」


 ため息をき、まゆを上げる。風太はまったく起きる様子がなかった。――とはいえ、ソファでこのまま寝かせて、風邪でもひいたらよくない。仮にも、彼は受験生だ。なんとかして、二階まで運ぶほかない。一星は少しの間、考えた。


 たぶん、酔っ払った猛さんよりは軽いはず……。そもそも、決闘した日だって、コイツのこと、フツウにおんぶできたんだし。


 決闘で倒れ、足をくじいた風太をおぶったときの重みを思い出す。大丈夫、いける――。そう思いながら、一星は意を決して、風太を腕に抱きかかえようとした。いわゆる、お姫さま抱っこだ。考えてみれば、これは堂々と風太をお姫さま抱っこできる、貴重なチャンスでもある。


 よし……。


 一星は少し緊張気味に、風太の体に触れた。その瞬間から、途端に心臓は反応し、ドクン、ドクン――……と、高鳴りはじめる。思わず、生唾をごくん、と飲んだ。


 風太の体、すげえあったかい……。


 それからゆっくり、背中を抱くようにして支えながら、ひざの裏に腕を入れて、そうっと彼の体を持ち上げる。しかし――。


「くッ、そ……! 重ェ……ッ!」


 眠っているせいか。あるいは、抱き方か。風太は想像以上に重かった。一見、体型は細く見えても、剣道部で何年も鍛えた筋肉質な体は、軽く抱きかかえられるようなものではなく、腕より先に、心が折れそうになる。


 風太は猛よりも身長は低いし、筋肉も猛ほどついているわけではないが、それでも、重いことに変わりはなかった。だが、ここであきらめたら、おとこじゃない。


 好きな人が重すぎて……、お姫さま抱っこできないなんて、そんなの……、クソダサすぎんだろーがぁあああっ!


「ぐォ……」


 どうにかこうにか気合いとド根性で、なんとか風太の体を持ち上げる。息を整える。大丈夫。イイ感じだ。このまま体勢を安定させれば、なんとか移動できるだろう。


 一星は風太を抱きかかえたまま、リビングを出て、階段を上る。地球の重力が憎い。だが、なんとか階段を上りきり、その先を見て、ハッとする。


 部屋の扉、少し開いてる……!


 幸いなことに、風太の部屋は半開きの状態だ。それにホッと息をき、一星はもう一度、しっかり気張きばる。そうして、たくましい筋肉――もとい、大好きな風太を彼の部屋のベッドまで運び、彼をそこへ静かに横たわらせた。


 っしゃあ……ッ! コンプリートだ、オラぁぁ……ッ!


 心の中で勝利を叫びながら、ひとまず風太の体に、夏用の薄い毛布を掛けてやる。少し蒸し暑いが、エアコンは冷えるから、つけないほうが無難だろう。


 なんとか運べた……。っていうか、風太コイツ、よく起きないな……。


 酔っているわけでもないのに、お姫さま抱っこをされても、むにゃむにゃとうなるだけで目を覚まさないなんて、眠りが深いにもほどがある。そんな風太に、一星は少しだけ不安感を覚えた。


 もし、相手が相手なら、眠っているすきに襲われることも考えられる。もっと言えば、猛のように酒を飲むような年齢になったら、彼はさらに無防備になるかもしれない。


 熟睡しすぎだろ。そんなんで、また誰かに襲われたらどうすんだよ……。知らねーぞ。


 一星は心の中で、風太に文句を言った。たとえば、これが白河だったら。彼は間違いなく、風太が眠っているのをいいことに、体のあちこちを触るかもしれない。キスだって、するのかもしれない。いや――。きっと、それだけじゃ済まないだろう。風太には、不思議な魅力があって、あんなにも男らしいのに、なぜか男を魅了するという謎の特性があるのだ。これから先も、たぶん、彼の周囲には、白河のように下心ありきで近づいてくる男が現れるに違いない。


 風太を……、ほかの誰にも触られたくない。風太が俺を選んでくれたら、一生、そばで守れるのに……。風太を、俺だけのものにできるのに……。


 そう思いかけて、弱くかぶりを振る。夜ふかしのせいか、今夜は妙に欲望が強くなっているようだ。一星は目の前で、すうすうと静かな寝息を立てる風太を見つめながら、強く波打つ心臓の鼓動を感じていた。こうしているだけで、どんどん風太を好きになっていく。それがわかる。


「なぁ、お前が欲しいよ。風太……」


 不意に、欲望がため息と一緒に、口からこぼれた。しまった、と思ったとき、風太のまゆにわずかにしわが寄る。だが、目を覚ます様子はない。一星はホッとして、再び風太を見つめた。そうして見つめながら、また。欲望がふくらんでいく。


 触りたい……。ほんの少し、本当に一瞬だけでもいいから……。


 これだけ熟睡している今なら、風太に触れても、きっと気付かれないだろう。とびきり優しく頬に触れても、キスをしても。こんなとき、白河なら迷わず、風太に口づけるのだろうか。欲望のままに唇をふさいで、風太が目を覚ましてしまっても、うまく説得してしまうのかもしれない。きっと、そんなはじまり方も、世の中にはたくさんあるのだろう。


 けれど、一星にはできない。想いが通じていないのに、ただ、強引に、一方的に行為を求めるのは、ただ自分の性欲を満たすだけの行為。自分勝手でよこしまな感情でしかないと思うからだ。それなのに、今、無防備に眠る風太を前に、欲望はまったく大人しくなってくれなかった。


 ほんの少し……。ほんの少しだけ。手に触るくらいだったら……。


 唇や頬には触れない。けれど、手なら許してもらえるような気がした。一星は、そうっと風太の指先に触れ、ゆっくりと探るようにして、手を握る。すると、手の平から、風太の体温が伝わってきた。心臓はバクバクと高鳴り、もう今にも、ここで爆発してしまいそうだ。


 風太……。


 風太の手を握りながら、彼への想いと一緒に、罪悪感と高揚感が同時に込み上げてくる。そのせいで、握った手をなかなか離せない。それどころか、親指は自然と、風太の手の甲をではじめている。筋肉質な彼の手は骨ばっていて、男らしく、だが、とてもきれいだった。手首から、手の甲、指の先まで見ても、ゾクゾクするほどに男の色気がある。風太は、そんな手をしていた。


 風太……。


 一星は心の中で何度も、風太の名前を呼んだ。そうするたびに、胸の奥はたまらなく苦しくなる。いつもなら、すぐに正気に戻れそうなものなのに、こんなふうに欲望に忠実になってしまうのは、どうも自分らしくない。きっと、今日、風太とデートをしたせいか。あるいは、夜ふかしをしたせいかもしれない。


 本当にだめだな……。今の俺は、あの人と一緒かもしれない……。


 本能と欲望に、無残にも惨敗ざんぱいした自分に失望しながら、一星は、風太の手をそっと握り直し、その手の甲に誘われるようにして、唇を近づける。そうして、そこへやさしくキスを落とした。


「大好きだよ、風太……」


 唇から、また。こらえたはずの想いがこぼれていく。だが、届かない。一星の声は、暗い部屋の中に響きながら、むなしく宙に消えていった。

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