目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

17ー2

***


 屋上への階段を上っていくにつれ、空気は重く、蒸し暑くなっていく。だが、扉を開けると、途端に潮の香りが乗った、いい風が吹きぬけていった。屋上と言っても、この校舎は三階建てだ。たいした高さはないが、それでも、海が見えるロケーションの良さのせいか、普段は昼休みや放課後、誰かを内々で呼び出すときにも人気がある。ただ、期末テスト間近で、ここにたむろする人は、まずいなかった。


「言っとくけど、風太とはまだ付き合ってない」


 屋上に出て、開口一番に一星は言う。まず先に、その誤解を解くべきだ、と思ったのだ。すると、一星の言葉に、太一は意外だというような顔をした。


「そうなの? なーんだ。そっちはハズレかぁ」


 暢気のんきな声でそう言って、太一は屋上のフェンスに寄りかかる。だが、そうしながら、彼はまたにやにやと笑みを浮かべた。


「なに……」

「いや。まだってことは、付き合う気は満々なんだなーって思ってさ」


 やはり、太一には心の内側をしっかり見透みすかされているらしい。一星は猛烈に恥ずかしくなってきて、拳で鼻をこするような仕草で、顔を隠した。完全に図星だった。


「まあ……、そうだな」


 そう答えると、太一はちょっといたずらを思いついたような顔をした。そうして、まるで名探偵にでもなったかのように、あごの先に手をやって言う。


「オレ、思うんだけどさ、風太のヤツ、けっこう脈アリだと思うんだよねぇ」

「えッ……」


 思わず、うわずった声が出てしまって、咳ばらいをする。もちろん、一星にとっても、風太との恋路はまずまずだ。以前より、うんと距離は近づいたし、あいかわらず、つまらないケンカもするが、その分、会話も多くなった。


 先日はふたりで水族館デートをして、ふたりきりで夜ふかしをして、一星は眠った彼をお姫さま抱っこまでした。大きく言えば、これは脈アリだと、一星は思っている。それを第三者から言われると、余計に嬉しくて、不思議と根拠のない自信が湧いた。――とはいえ、ここで飛び上がって喜ぶには、ちょっとまだ早いような気もする。


「なんで、太一はそう思うんだ……?」

「だってさぁ、ここんとこ、風太がやたらイライラしてんの、あれって絶対ヤキモチっしょ」

「ヤキモチ……?」

「一星が残ってるからって、わざと一緒に残ってるっぽい女子グループ、いんじゃん。今日なんか、隣のクラスの子まで来ててさ。しょっちゅう一星にからんでくるし」

「あぁ……、そうか。ごめんな」

「いや、オレはべつに気にならないけど。たぶんさ、風太はあの子たちのこと、嫌なんだと思うんだよね」

「それ……、逆なんじゃないか。風太は俺なんかより、女子のほうがいいだろうから……、俺に当たってきてんだろ」


 風太がイライラしているのも、やけに集中力が切れてしまうのも、一星に言い寄る女子にいているのではなく、女子に言い寄られる一星に、矛先が向いているせいだ。少なくとも、一星はそう思っている。だが、太一はかぶりを振った。


「いーや、違うね。風太は一星じゃなくて、女子にいてんだよ。ちょいちょい声かけてくるときの顔、見てないの? すんげえ鬼みてえな顔してるよ」


 そう言うと、太一はくくく……っと笑った。一星は唖然あぜんとする。信じられない。あの風太が、一星とクラスメイトの女子が話している最中、そんな顔をしていたなんて。そんなことを聞かされたら、無理にでも期待感がふくらんでしまう。


「ほんとかよ……、それ……」

「まぁ、あくまでオレから見て、の話だけどね。だって、その証拠にさ、最近の風太、一星にほとんど突っかかってこないじゃん。勉強しろって言われても、前みたいにいちいち言い返さないし」

「たしかに……。たしかに!」

「ありゃ、もうほとんど落ちてるかもよ」

「落ちてる、かも……」


 オウム返しをしながら、高鳴っていく心臓の鼓動を感じて、ため息をく。太一の言うことが合っているかどうかはわからない。けれど、もし、本当だったとしたら、夢のようだ。


 風太がこの想いにこたえてくれる未来を、なんとしても叶えたい、叶えてみせる、と必死にアプローチしてきたが、本当に現実になるのかと思うと、一星はもう嬉しくて、この場で夕暮れの空に向かって、勝利の雄叫びをあげそうになった。だが、その時だ。


「ねぇ、一星」


 不意に、太一に呼ばれた。――かと思うと、振り向くより早く、後ろから抱きつかれる。彼のこういうスキンシップは、風太にならともかく、一星に対しては、よくあることではない。


「な……、なんだよ、急に……」


 一星がく。すると、太一は抱きついたまま、耳元でささやいた。その声にはいたずらを企んでいる子どものような、笑みが含まれている。


「オレと一星が、屋上でふたりっきりでさ、こーんなふうにいちゃついてるとこなんか見たら、アイツ、怒り爆発させちゃうかもしんないね」

「いや……。さすがに、太一にはかないだろ」

「甘い、甘い。風太、けっこう重めっぽいからなー」


 けらけら笑う太一を、やや強引に振り放す。風太が重めなら、一星にとっては好都合だと思った。一星は、自分の執着心がどれほど強いか、それなりに自覚している。もし、風太が本当にこたえてくれたとしても、彼が軽い気持ちだったら、その先はきっと続かない。付き合ううちに、だんだん一星の想いが負担になってしまうだろう。だから、風太が重いくらいが、たぶん、ちょうどいい。そうして、ふと、風太のことが気にかかった時だった。


「おおぉい!」


 イラついた声が、乱暴に一星と太一を呼んだ。振り返ると、屋上の入り口に風太が立っていた。


「おめーら、なーに、こんなとこでサボってんだよ!」

「うわ。やべえ、オレ怒られちゃうじゃん」


 太一がおどけて言って、一星は肩をすくめる。それから、ふたりそろって、風太に駆け寄った。だが、風太は不機嫌そうに「いちゃついてんじゃねーよ」と、口を尖らせ、肩をぶつけてくる。太一はひたすらに誤魔化し、謝り倒しながら、こっそり一星に向かって目配せをした。まるで彼は、「ほらね」とでも言うようだったが、一星はまさか、風太がヤキモチを焼いているなんて、とても信じられなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?