目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

17ー3

 そのあと、一星たちは三人で教室へ戻り、再びテスト勉強に勤しんだが、風太はそれから、ほとんど会話をしなかった。勉強会では珍しく大人しく、黙々と教科書や問題集に向かい、帰宅途中も、口数が少なかったのだ。太一は、さほど気にしていないようだったが、一星は不安でたまらなかった。


 勉強会も、帰り道も、夕食のときも。風太は妙に大人しかったが、理由がわからない。もしかすると、勉強会の途中、一星と太一が風太を放って、油を売っていたことにむくれているのかもしれない――と思ったが、太一は教室を出る前、風太に「屋上で休憩中」と、メッセージを打ったらしいので、どうもそれとも違うようだ。ただ、風太はとにかく、不機嫌そうだった。


 ――オレと一星が、屋上でふたりっきりでさ、こーんなふうにいちゃついてるとこなんか見たら、アイツ、怒り爆発させちゃうかもね。


 ふと、太一の言葉を思い出し、風太を、ちら、と見る。風太は今、夕飯を終えたばかりで、ソファに座り、テレビを観ながら食休み中だ。一方で、一星はダイニングの席に座ったまま、冷たい麦茶を飲みながら、風太の後ろ姿を眺めていた。


 まさか……。まさか、そんなことあるわけないよな。


 風太が、クラスメイトの女子に――あるいは太一に、ヤキモチを焼いていたとしたら。すでに一星と風太は両想いなのではないか、と思えてならない。しかし、一星には、今の彼がそうだとは、とても思えなかった。


 基本的には、いつも通りだもんな……。


「なー、一星さんよー」

「なに」

「明日さぁ、太一うちに呼んで、勉強会しねえ?」


 不意に。テレビを観ながら、風太が言った。太一と話をした手前、その提案には、密かにドキッとさせられる。


「なんだよ、急に……」

「だってさぁ、教室だとギャラリーうっせーじゃん。あいつら、どうせみんなお前目当てだろーよ」


 風太が振り返り、ソファの背もたれにあごを乗せて、口を尖らせる。ギャラリーというのは、つまり、クラスメイトの女子たちのことだ。


「悪いとは思ってるけど……、気にしなきゃいいだろ」

「気になるんだよ。こっちは真剣に勉強しようとしてんのに、周りできゃっきゃ、きゃっきゃしやがって。全ッ然、集中できねえ!」

「そうか……」


 不満げに文句をこぼす風太に、相槌あいづちを打ちながら、密かに心臓が高鳴り始める。なにかにつけて、女子に声をかけられる一星に、嫉妬心から腹を立てているのだとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。まさか、太一が話していた通り、風太の不機嫌な理由は、ヤキモチなのだろうか。


 そんな、まさかな……。


 ヤキモチといっても、それが恋愛感情だとは限らないかもしれない。そう思いながらも、しっかり期待してしまう。風太にヤキモチを焼いてもらえるなんて、夢のようだ。そんなのは、まだまだ、うんと先の話だと思っていた。


 あんまり、確信なしに期待したくないけど……、すげえドキドキする……。


 一星はひとまず、うるさく高鳴る心臓をなんとか静めようと、深く息を吐き、グラスの中の麦茶を飲み干した。だが、その時だった。


「あと、お前さぁ……、最近もあいかわらずなの?」

「あいかわらず? なんの話?」

「だから……。ラブレターとかさぁ、もらってんの……」


 かれて、一星の脳内はほんの一瞬、フリーズした。なぜ今、そんなことをくのだろう。以前から、時々はラブレターをもらったり、告白されたりすることはあるが、風太はそれを聞いてどうするのだろう。そもそも、これまで彼との会話をして、それが話題に上がることなど、ほとんどなかったのに。やや困惑しながら、一星はき返した。


「たまに、下駄箱に入ってたりするけど。なんで……?」

「べつに、気になっただけ。……おれ、そろそろ風呂行ってくるわ」


 風太はそう言ってテレビを消し、乱暴にリモコンをソファに投げた。そうして立ち上がり、リビングを出て行こうとする。どこか、逃げるようなその様子に、一星は反射的に彼の手を取り、引き留めた。


「ちょっと待てよ……。お前、なんで急に、そんなことくわけ?」

「なんでって……、理由なんかねえよ。ちょっと気になっただけだって」

「気になったって……、だから、どうして――」

「うるっせえな……。そんなの知るか!」


 風太は声を荒らげ、強引に一星の手を振り払おうとするが、一星は、頑として離さない。ぐっと彼の手首を握り直し、逆に風太を引き寄せた。すると風太は、たちまち頬を赤らめ、それを隠すようにして、顔をそむける。そういう反応をされると、一星は余計に、この手を離すわけにはいかなくなる。


「離せよ……」

「離さない。お前、顔真っ赤だぞ」

「う、うるせえって……」


 風太は顔をそむけたまま、自由が利くほうの手で、顔を隠している。だが、頬も耳も。リンゴかトマトのように真っ赤だった。一星は期待感を密かにふくらませながら、意を決してたずねた。


「風太……、お前さ。ここ最近、やけにイライラしてるだろ。なんか理由があんなら話せよ。俺はそれを、ちゃんと取り除きたいと思ってるから」

「なんだ、それ……」


 風太は、一星のセリフを鼻で笑い飛ばすようにそう返した。強気を通り越した、ややケンカ腰な物言いだ。以前なら、こんな言い合いはよくあることだったが、ここ最近――特に、インターハイ予選が終わってからは珍しかった。一星は続ける。


「前に、風太だって俺に、そう言ってくれたろ」


 風太への想いと、白河への嫉妬心でイラつき、風太に当たりが強くなっていたとき、風太は一星にそう言ってくれた。その言葉を、一星は今もちゃんと覚えている。だが、風太はキッと一星をにらみ、声を荒らげた。


「理由なんかねえって! ただ……、女子にまとわりつかれてんの見てんのは鬱陶うっとうしいってだけ! だいたい、太一とだって、屋上でふたりして、こそこそなにやってたんだか――」

「太一……?」


 思わず、き返してしまった。すると、風太は目を泳がせ、また顔をそむける。


「太一とは、お前の話をしてただけだよ。お前と付き合ってんのかって聞かれたから……。教室じゃないところで、話してただけ」

「え……、そうなの?」

「うん」

「なんだ、そっか……」

「風太……、もしかして、お前――……」

「風太ー、一星くーん! ごめーん、どっちかちょっと手伝ってー!」


 不意に、雅が風太を呼ぶ。その途端、思わず一星が手を離すと、風太は無言で、リビングを出て行った。


***




 その後、一星はいつも通り、風太のあとに風呂に入った。だが、風太は明らかに一星をけているようだ。必要以上には言葉を交わさず、目も合わせようとしない。おそらく、さっき言い合いをしたせいだろう。


 一星は複雑な気持ちで、自室に戻り、火照ほてった体の熱が冷めるまで、テスト勉強をすることにした。だが、まったく集中できない。


 あー……、もう……。風太のことしか考えられない……。


 教科書とノートを開いて、頭をかかえる。英文を読んでいても、脳裏には英単語を躍起やっきになって暗記する風太の顔が浮かんでしまう。気を取り直して、教科を変えてみても、同じだ。風太の顔が、言葉が、頭から離れない。目を閉じても、まぶたの裏に彼の表情が浮かんで、どうしたって消えてくれない。


「こりゃ重症だな……」


 一星はそう呟き、ため息をく。そうして、さっき太一が話していたことを思い返してみた。だが、何度そうして考えても、行き着く場所はひとつだ。


 ――だってさぁ、ここんとこ、風太がやたらイライラしてんの、あれって絶対、ヤキモチっしょ。


 まさか……。本当に風太アイツ、ヤキモチ焼いてくれてんのかよ……。


「はー……、そんなの嬉しすぎんだろ……」


 思わず、声に出てしまって、手で口元をおおう。風太のイライラの原因が、本当にヤキモチだとしたら。それはつまり風太が、一星を好きかもしれない――……ということだ。


 本当に、夢でも見てるみたいだ……。


 とても信じられなかった。もちろん、いつかはきっと、風太と両想いになるつもりでいたが、それがこんなにも早く叶うなんて、想像できるはずもない。ただし、今、風太があの様子では、手放しで喜ぶわけにもいかなかった。


 好きになってくれたとして、付き合うのは嫌かな……、やっぱり。


 風太のイライラした表情や、言葉を思い出しながら、天をあおぎ、目をつぶる。風太の心は、たしかに変化しているのかもしれない。友情すら乏しかった風太との関係だが、春から少しずつ変化を続けながら、距離を縮め、互いに相棒と思える瞬間があるほどに、その絆を深めてきた。それは今、恋愛感情へ、また少しずつ移っているのかもしれない。まるで、春から夏へ季節が移り変わるように。気が付けば、その中にいたように。そんな感覚が、一星にはたしかにあった。だが、彼自身はおそらく、その変化を受け入れられていない。それは、さっきの様子を見れば、すでに明らかだった。


 風太と両想いになったら、猛さんと烏丸先生みたいになれるんじゃないかって、当たり前に思ってた。だけど、難しいな……。


 何度目かのため息が出て、一星は教科書を閉じる。今夜、こんなに悶々もんもんとしたままで、テスト勉強なんかできそうもない。やったとしても、きっと身にならない。一星は仕方なくベッドに身を投げて、部屋の天井を見つめながら、どうしようもなく、ただ、風太を想うしかなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?