「――なんだっ!?」
すぐさま状況を確認する為に窓ガラスから中庭をのぞき込む。
そこにあったのは――檻が破られて中から飛び出した大型の魔物と、それに襲われる人間達の光景だった。
「おいおいっ……! 目が覚めたってのか、あの化け物!!」
「直ぐに脱出しなければ! ここに居てはいずれ襲われてしまいます」
「ああ……っ」
想定外の事態が起きた。
眠らされているはずの魔物が目覚めて人を襲う。まさかだったぜ。
……いや、本当ならそういう想定もしておくべきだった。
「チッ……。考えが足らなかったみてえだな。頭に血が上った俺のミスだ」
「いえ、坊ちゃまが悪いとは思いません。ともかく今は、下に降りて屋敷からの撤退に専念すべきでしょう」
「ああ、つまんねぇ事考えんのはあとだ。走るぞ!」
廊下を進み、階段を降り、元来た道をとにかく走る。
途中であわただしく走る音を聞いた。屋敷の人間が慌てているんだろう。鉢合わせしないように下を――。
「ぎゃああっ!!?」
廊下の向こうで悲鳴が聞こえたかと思うと、肉をむしるような不快極まりない音が響く。
その正体は直ぐに顔を見せた。
「グゥウウ……!」
口元を血の色で染めて、ドレスの切れ端を咥えたそいつは、廊下の向こうからこっち見て唸っていた。
「あの化け物、窓の外からは見えなかったぜ。別の檻も開いたってのか」
「どうやらそのようです。先に外へ、後から追いかけます」
「アンタの腕は疑ってねえ。直ぐに追いかけて来いよ!」
「はっ」
コセルアは前へ、俺は後ろへ。互いに反対の道を進む。
直ぐに背後から聞こえてきた、コセルアのサーベルと化け物の爪がぶつかる音。
(相手は精々人間大の化け物だ。遅れをとる訳がない……問題は――)
他に居ないとも限らないって事だ。
外への扉へと手を掛ける。覚悟してドアノブを回し、開いたその先には……。
「ウゥゥゥ……ガラアア!!」
「ぁ……ぁぁ……っ」
「テメェ何してんだッ!?」
外に出て待ち受けていたのは、食事中の魔物。当然その餌は人間だ。服装から見るにこの屋敷で働いていた使用人だろう。
飯の時間を邪魔されたと思ったのか、その猫型の魔物は俺を見て唸り声を上げながら飛び掛って来た。
「クソッタレが!」
咄嗟に短槍を展開して突き刺す。一撃で脳天を貫き、そのまま地面に叩き捨てる。
だがそんな事はどうでもいい。
倒れている使用人の少年に駆け寄る。
その体が赤に染まっていて、呼吸もロクに出来無い状態だった。
「おい……っ。最後に何か言い残す事はあるか?」
「ぁ……ぅ……ご、しゅじんさまを……たす……っ」
そこまで言って、力が尽きたようだ。目を開いたまま、ライベルと同じ位の歳の少年は動かなくなってしまった。
「クズばかりじゃなかったのか……。化け物を持ち込んだ本人だってのに、それでも情があるってのかよ……」
正直なところ、参加者も主催もどうなろうと自業自得だと思ってる。
危険なもんに手を出して、それで喜んでいるようなどうしようもねぇ連中だからだ。
でもこいつは違ったようだ。
どんな経緯でクズに仕えてたのか知らないが、そのクズの為に命を散らしたんだ。
少しでも……こいつ一人だけかもしれないが。……それでもイイ奴は確かに居たんだ。
(死に際の人間の頼みだ、聞かねぇ訳にゃいかねえ。……俺は頼み事すら思いつかなかったんだ。最後の面倒は見てやりたい)
確かに、ここで裏切り者が死んだらそこでこの件は終わってしまう。
誰が裏に居るのか? 何でお袋を裏切ったのか? それが永遠に分からなくなる。
誰が関与してたかも分かんないままだ。
「せめて来世じゃまともな奴と出会ってくれ……。あん?」
瞼を閉じさせていた時、不意に茂みが動くのが見えた、魔物か?
注意深く観察していると、枝に服の一部が引っかかってるのが見える。あの服の色――ゼブローンが着てたのと同じじゃねえか。
「……まさか」
近くによってみれば、それは確かにあの廊下で見た裏切り者――ゼブローンの震える姿だ。
「だ、誰だ!? い、いやこの際誰でもいい! か、金は言い値で払うからっ私をここから連れ出してくれ!!」
気づいたかと思いきや、そいつは命乞いをしてきた。
この惨状の切っ掛けを作った本人の癖に。
こいつは、責任も取らずに自分だけが逃げる事を考えてやがったのか!
ゼブローンの胸倉を掴む、デブなその女がさらに恐怖を滲ませ、俺はもっと苛立ちを覚えた。
「な、何をするんだ!? わ、たしが誰だと! 侯爵様の重鎮であるこの身にもしもの事が起きたらっ! せ、責任問題では済まされんぞ?!!」
「とっくに済まされねえ事を仕出かしたヤツが何をほざきやがる!! あの化け物共も!! テメェが欲張って仕入れ無きゃ血を見る事も無かったんだろうがッ!! テメェの部下だってなァ!!」
「何故それを!? ち、違う! 私の責任ではない、本当だ! こ、侯爵様の指示でオークション用に集めたのだ! あの方が王室に対する謀反を起こす資金準備の為に……ぐぅう!?」
「よくもまあこの状況で嘘を並べられたもんだ……ッ。謀反だあ? 何のメリットがあってそんな事をするってんだ、ああ? ――本当の事を言いやがれ!!」
空いた手でゼブローンの首を絞めつける。
入る力はギリギリで抑えてる。俺の理性がイカれちまうギリギリで。
(こんなヤツの為に死んだのか……、こんなどうしようもねぇクソアマの為にッ!)
悔しくて仕方無かった。
どんなに尽くしたって、それを何とも思わないこのクズが。
尽くされる事を当たり前だと思ってるクズが。
大事なのは自分だけ、自分の責任すら気にもしねぇ!
無性に腹が立つ。
こんな奴を信じて死んだ男がいる。
嫌でも思い出す、あの楽しかった日々の事を……、その無様な終わりをっ。
報われない事が悔しいんじゃないっ……、見向きもされない事が悔しいんじゃない!
(クズの本性に気づきもしなかった事が悔しいんだッ! そんなヤツを信じ切った自分が許せねぇんだ!! そんなゲス共の為にッ、死んだヤツが居た事が――腹が立って仕方ねえんだよッ!!!)
「や、めろ……!? わ、わかった言う! 全ては計画だったのだ、侯爵を陥れる為に……その為にホーケス族、も……――があっ!? ……」
そこまで喋って吐血したゼブローン。締めた首の脈がどんどん弱まって行くのを感じる。
一体どういう事だ? なんで急に?
疑問に思っても、すでにそいつは事切れていた。手を離して放り出す。
「……消されたってのか」
横たわったゼブローンを見下ろす。その顔は最後まで醜悪で恐怖に歪み切っていた。
(呪い……。確かライベルが言ってたな、魔導士の中には呪いを得意とする奴がいる。違反を犯すと死ぬ、だったか)
じゃあこいつも誰かと契約してやがったのか。
でもそれじゃあおかしい、こいつが死ぬ直前に喋った事といえば事件の裏についてだ。
死ぬと分かっていてそれをベラベラと喋る訳が無ぇ。
「こいつも騙されてたって事か……。――結局こんな結末かよ、おい……ッ」
ホシは殺され、そしてこのクソみてェな惨状と来た。
むかっ腹が立って仕方が無い。
本当ならここで逃げるのが賢い選択だ。それは分かってる。
中庭の方で悲鳴が聞こえる。どうせクズ共だ、それも分かってる。
つんざくような化け物の声が響く。相手しても仕方ない、それも分かってるッ。
だがここまでいい様にやられて、肝心な部分を持ち逃げされて。
掌の上で踊らされてッ。
イイ奴まで一緒に馬鹿を見て……ッ! そしてそいつの最期の頼みすら叶えられなくなった!
――俺の我慢が、もう言う事を聞かない。
「そうかよ……そんなに、そんなに人を怒らせてェってならなァ――望み通り暴れてやろうじゃねぇかッ!!」
ハルバードを取り出し、俺は中庭目掛けて突っ走った。