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第31話 戻って来た日常

 体がまだ少しジンジンと痛む。

 帰って来て数日、この全身の打撲と疲労のせいでロクすっぽ運動も出来ない。


 だからフラストレーションの発散先を他に向ける必要があった。


「……ふぅ。こうして読むと、中々どうして面白れぇじゃねえか」


「でしょう! そうですよね、これって今メイドの子達を中心に流行ってるんですよ! 書庫に行っても誰かが必ず借りてるくらいなんですから。おかげで最新刊まで揃えちゃったんですよねぼく」


 自室のソファで目を落としているのは、ライベルが持ってきた恋愛小説だ。

 何でも元は雑誌連載の作品だったのが、読者からの受けが良くて単行本化した経緯があるんだと。


 書庫を管理している司書達の間でも評判が良かったらしく、それで仕入れ始めた。

 それがライベルをはじめとした使用人達の目に留まって、屋敷中でブームになってるらしい。


 今ライベルが言ってたように、誰かが常に借りてる状態だから個人で揃える人間も出て来たみたいだな。こいつみたいに。


 内容そのものは前世で見たドラマのこっちの版とでもいいのか、幼い頃に出会った男女が生き別れになったの身分違いの恋愛模様。靴職人の男と貴族の令嬢の恋愛を描いた作品だ。


 町中で偶然再会した二人だが、男の方は相手が貴族だと気づかずに昔のように接する。

 令嬢の方は自分の身分を隠して頻繁に男の元を訪れ、自分の気持ちを膨らませていくが、男の方は気づかない。


 周りを巻き込み、ヤキモキとさせる恋愛模様が読者の心を掴んだらしい。

 コメディあり、シリアスあり。その緩急に惹かれて飛ぶように売れてるようだ。


「そんな売れてるのをよく買えたな、お前も」


「いや大変でしたよ本当に。入荷日に開店前から本屋さんに行くんですよ、そこまでやらなきゃ手に入らないんです。なんせみんなぼくと同じ考えで列が出来るんですから。言ってしまえばぼくの汗と涙の結晶なわけなのです! いやぁこの面白さが坊ちゃまにも分かって……なんと言うか感無量ですね」


「そりゃどういう意味だ、こら? 俺の事を恋愛の理解出来無い唐変木みてぇに思ってたってのかよ」


「なな!? なんという事を言うんです!? そそ、そんな訳ないじゃないですか! ぼくはそんな坊ちゃまの事をカッコイイ女性に全然靡かない鉄みたいな人だなんて……」


 思ってんじゃねえかよ。

 俺は事情があって自分の恋愛事が勘弁なだけだっての。

 ……それをこいつに話すつもりも無いけどよ。


「まあいいや。確かに、偶にはこういう小説を読むのも悪くはないよな。特に、今は体もロクにいう事を聞かないし」


「それですよ。ぼくホントにビックリしたんですよ? 坊ちゃまがいつの間にか夜に外へ出て、それで大けがして帰って来るんですから。心臓止まっちゃうかと思いました。ね、ゼーカちゃん?」


(そりゃあ……少しは悪いとは思っちゃいるけどよ)


 この部屋には俺とライベルだけじゃない。ゼーカも来ている。

 なんだかんだこいつも、ここ数日毎日ライベルと来てるな。


「……ん? そうだぞボッチャマ、ライベルわんわん泣いてた」


「い、いや。わんわんは泣いてないよゼーカちゃん。それにほら、わんわんならここに居るじゃない」


 そう、ゼーカは今子犬と戯れて居た。

 あの日、俺が出会った黒い子犬だ。


 一匹だけ放っておく事も出来ず、屋敷へ連れ帰った。


 取り敢えず、小さい犬は子供に見せたら喜ぶだろうとゼーカに世話を頼んだ。

 二つ返事で引き受けてくれた上に、よく世話もしているようだ。


 この屋敷で自分よりも小さいのもあってか、ゼーカは子犬を自分の弟のようにあちこち連れ回しているようだ。


 そのおかげか、子犬はこの屋敷に来て数日だっていうのに、もう屋敷中の人間に可愛がられている。

 やっぱり子供と小動物の組み合わせは誰でも和ませる効果があるようだ。お袋が両方の頭を撫でるところをよく目撃する。

 あの侍従長ですら優しい顔を見せる時がある。……ライベルは普段との違いが分からないようだが。


 そんな、みんなのアイドル犬の名前は――。


「ラナタタ、おて。……ん、よし。ほらおやつだぞ」


「キャン!」


 もう芸を覚えたのか。子犬だから覚えるのが早いんだろうか。

 お手を披露したラナタタへ、ポケットに入れてた干し肉を進呈するゼーカ。


 そう、ラナタタ。それがこの犬につけられた名前だ。命名はゼーカ。

 どういう意味か聞いたら。


『わかんないけど、どっかできいた』


 らしい。

 流石に本人がそれじゃあお手上げだ。


 与えられた干し肉を美味そうにかぶりつくラナタタ。その頭を撫でるゼーカ……の頭を何故か撫でるライベル。


「……お前は何してんだよ?」


「え? は! いや、なんというかつい。だって可愛くないですか? 見てるだけでほっこりするじゃないですか。この光景は何日経っても飽きませんよ。……あ、飽きないといえばその小説」


「お前今すげえ切り替え方したな。で、これが何だって?」


「ここに来る前に書庫に寄ったんですけど、久しぶりに小説が置いてあるのを見たんですね。それでつい、誰が借りてたんだろうって中に入ってた貸出カードを見たら……侯爵様の名前が書いてあってちょっとビックリしたんですよ」


「……お袋が借りてたのかよ。見るんだな、恋愛小説とか」


 似合わないとは思うが……ま、趣味なんて人それぞれだしな。

 どうせなら個人で買えばいいのにと思わんでもないが。



 お袋といえば、例の事件の調査結果はいつ出るんだろうな?



 流石にまだ掛かるか。

 もどかしいが、今はただこの体が治るのを待つしかないな。


「ねね? ゼーカちゃん、ぼくもおやつ上げていいかな?」


「今のでなくなったぞ」


「そんなぁ……。坊ちゃまは持ってませんか?」


「あ? っち、ほらよ」


「ありがとうございます! ほら、ラナタタくんお手。……いやゴロンじゃなくて」


 ……でもしばらくは、こんな日常を噛み締めてもいいか。

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