目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

腹が減っては

「――らっしゃいませっ!」

「もぉ、エリーちゃん遅い! 麺が伸びちゃうでしょ」

「ルー姉さん、うちの麺は、そう簡単にゃ伸びやせんよ」

「あ、そうだったわね、大将。ごめんなさい」

「いやいやっ! あのルー姉さんがうちに来てくれるなんて、うれしいですわー。写真、いいっすかね?」

「ちゃんと『プライベート』タグ、付けといてね」

「そりゃ、もちろん!」


 目の前で繰り広げられている、理解が追いつかないやり取り。おそるおそる暖簾をくぐって入店してみれば、ルヴリエイトが店主と思しい男性と気さくに言葉を交わしていて、おまけに写真撮影を求められている。その光景は、さながら有名人スターだ。


「……なにやってんの、ルー」

「エリーちゃんのお夜食をオーダーして、大将と写真を撮ってるところ。……あ、大将。デコレは控えめでお願い」

「何言ってんすか。ルー姉さんにデコレーションなんて不要ですって」

「まぁ、嬉しいわ! 今度、のみんなにお店、もっとおすすめしておくわね」

「ご贔屓にどうも!」

「これ、利益相反なんじゃ……痛っ!?」


 頭に浮かんだ疑問を正直に口にした途端、ルヴリエイトのマニピュレータが恐ろしく速く飛んできて、肩を引っ叩かれていた。「お代はちゃんと払ってます」と続け、ルヴリエイトが割り箸を差し出してくる。


「けど、ルーのハンバーグが……」

「エリーちゃんの分は焼いてないわよ。それに、一晩寝かせたほうがお肉の熟成が進んで、もっと美味しくなるわ」

「さっすがルー姉さん! 料理のプロですな!」

「もぅ、お上手なんだから、大将ってば」

「……この店、あたし初めてなんだけど、ルーは来たことあるの?」


 このまま突っ立っていても埒が明かない。もはや諦めの境地でカウンターチェアに腰掛けたリエリーは、素直に割り箸を受け取ると「いただきます」と合掌した。


「お! お嬢さん、礼儀がしっかりしてるねー!」

「ども。まあ、よく躾けられるんで」

「はは! なるほど! そりゃそうだ!」

「ん。スープが思ったよりしつこくない。固ゆでの麺とよく絡まるし、チャーシューがアクセントになってる。このチャーシュー、けっこう煮込んであるんじゃない?」

「……こりゃあ、参った。お嬢さん、詮索するわけじゃないが、グルメリポーターか何かやってるかい?」

「ううん。家でルーが料理の感想をしつこく訊くから、言えないと殴られる」

「ちょっとエリーちゃん!? ワタシをバグった殺戮機械キラーマシンみたいに言わないでよね!」

「さっきのお返し」

「いやはや! 道理だ! 気に入ってもらえてうれしいよ! いつでも食べに来てくれ! サービスするから」

「サービスするなら、もう来ない」

「おっと失敬。じゃあ、お代はきちんといただくよ」

「うん、わかった」


 久しぶりのラーメンに、気付けばドンブリを傾けていた。実際、バランスの取れた味わいで、スープを飲み干しても喉の渇きはほとんど感じられなかった。


「ここのお店はね、チーム日誌No.3421-Bのお友達が開いた店なの」


 ルヴリエイトのスピーカーから発せられた、数字の羅列。それは、自分たちの業務日誌を指すナンバリングであり、すなわち救命活動の記録でもある。末尾のアルファベットは、〈ドレスコード〉した涙幽者の連番を示していて、この場合はその日の2件目の〈ドレスコード〉対象者を表していた。


「それでか」


 これまで〈ドレスコード〉した涙幽者を、リエリーは全員、覚えている。

 どういう状況下だったのかはもちろん、涙幽者の外見や個有能力ユニーカ、可能な場合は涙幽者化した経緯まで、とにかくその人物の“生き様”に関連する情報なら、全て覚えるようにしている。


(あたしにできるのは、それくらいだから)


〈ドレスコード〉した涙幽者が、再び目を覚ます確率は約30%。涙幽者化が回復する可能性に至っては、約1%にも満たない。

 つまり、10人のうち7人は、生涯を眠ったまま終えるか、涙幽者化の負荷に耐えられずに命を失う。

 ルヴリエイトが口にした涙幽者も、搬送してまもなく息を引き取った一人だった。

 そしてルヴリエイトは、という、いわば規則の抜け穴を堂々と使い、涙幽者の家族や近親者たちに接触する活動を続けている。

 非公開が原則である救命活動において、随行支援機であるルヴリエイトの存在が知られることはまずない。

 そのことと、巧みな話術を駆使し、これまでルヴリエイトは多くの家族たちに会ってきた。当然、素性は明かさない。ただ、“偶然に現れた個性的な機械”として振る舞い、彼らの話を聞いたり、間接的な助力を続けている。

 ルヴリエイトはこの活動を「ただの自己満足よ」と言うが、本当は自分のためにやっていることくらい、リエリーも理解していた。

 威療助手とはいえ、救命活動に直接関わる以上、涙幽者の情報は最小限しか得られない。

 が、リエリーは彼らの生き様を知りたかった。――否、知らなければならないと思った。

 命を救っているという自信は当然、持っている。だが、現実は、その自信を容易く否定する。

 それならせめて、彼らスペクターの生き様を知り、彼らが大切にしていたものを知り、それを忘れないようにする。――あのときとは違って。


(ラコのこと、あたしはなにも知らなかった。もうあんなのは、嫌)


「ごちそうさま。おいしかったよ、店長」

「こちらこそ感謝だ! またいつでも来てくれよな! ルー姉さんもだ」

「ええ、ワタシより食べられる人をつれてくるから」


 店を出ると、火照った体に夜気が心地よく、腹が膨れたおかげか、上った血の気も収まっていた。

 何か言わなければ、と思い、だが横に並んだルヴリエイトが先を越す。


「ねえ、エリーちゃん。リバーワークも近いし、ちょっと散歩していかない?」

「いいよ。背中につかまってて」

「あ、でも、徐行厳守ですからね?」

「わぁってるって」


 グライダーに飛び乗ると、肩に程よい重みが乗っかってきた。


「いくよ」

「ええ、お願い」


 ゆっくりとアクセルダイヤルを回し、西の方角へ進路を取る。

 先までは聞こえなかった街の喧騒が、耳に心地よかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?