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船上の覚醒

 ――その一行は、他の観光客と少しだけ異なる点があった。


「――さあ、右手をご覧なさい、螺旋愛好会ヘリックス・クラブの同志諸君。夜空さえ貫く、あの神々しい三重螺旋を! あれこそ、このルカリシアを象徴する螺旋の姿! あらゆる生きとし生けるもののなかで唯一、三重螺旋を身の内に宿したわれわれ人類ホモ・ルプスこそ、森羅万象の頂点に座するに相応しいのです!」


 愛好会の創設者であり、メンバーからは〈螺旋さまミスター・ヘリックス〉の敬称で呼ばれている壮年男性が、正規のガイドを押し退けて、遊覧船の片側へとその腕を差し伸ばす。

 同行する20名あまりのメンバーが、「おぉ!」と悦に入った感嘆の声を漏らし、我先にその威容を見ようと、船のデッキへ殺到する。位置的には、彼らが目当てにしている建築物とはまだ距離があるのだが、メンバーたちにとってそんなことは些事に過ぎなかった。〈螺旋さま〉が言うなら、そうなのだ。

 その〈螺旋さま〉はと言うと、周囲の冷ややかな視線を意にも介さず、体を満たす幸福感に泪を流していた。

 ここまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

 歴史と科学が証明しているにもかかわらず、自分が訴える『三重螺旋至高論』を受け入れてくれる者は極めて少なかった。そんな学術界に愛想を尽かし、信奉者を見つけるべく愛好会を作ったことが転機となった。

 セミナーからスタートした活動が、いつしか物販を始め、螺旋構造の意味さえ知らない者たちの溜り場になっていったことに違和感を覚えないでもなかったが、除け者だった自分の周りにいつも人が集まっている幸福感には抗えなかった。

 そして今、何度となく三重螺旋の聖地として、講演を希望し、拒否され続けてきた、かのセンターがすぐそこに迫っている。一人なら入館を拒否されるだろうが、この集団なら、断るのは難しいはずだ。

 ようやく、ここまで来た。

 その感慨があまりに心地よく、湧き起こる激情に身を任せる。


 ――うん? なぜ、同志諸君はそんな青ざめた顔で私を見るんだ?


 先まで、周りを囲んでいたはずの信奉者たちが、今は恐怖の表情を浮かべ、中には遊覧船のデッキから川へ飛び込む者までいる。

 そこで〈螺旋さま〉は、悟った。

 自分は、あまりに神々しくなってしまったのだと。


 ――ああ……。私はついに、目覚めたのか! 人に刻まれし、第三の鎖。その真価を発揮できる、真の姿に!


 ただでさえ満ち満ちていた幸福が、臨界点を超え、〈螺旋さま〉はカギ爪を天へ伸ばしたまま、濁った泪を流す目を閉じる。

 そうして、感謝の言葉に喉を震わせる。――が、その言葉は、周囲の耳にはこう聞こえていた。


「――」


†   †   †


「――下がってッ! 吹き下ろしの疾風スカイフォール!」


 瞳を黄金色に輝かせ、甲板へ着地する寸前に個有能力ユニーカを行使する。

 自分自身の着地なら、〈ユニフォーム〉の強化アシストでも充分なのだが、あいにく甲板には人影が見えていた。かと言って、退避するよう訴えたところで、一般市民がそれで反応できるとも思えない。それに、涙幽者スペクターが出現したと告げるのは、いつだって相手の恐怖を助長する危険がある。


「あぶねっ?!」

「ちょっとあなたね! 川に落ちるところだったじゃない! ……その蒼いコートって、もしかして」

「ここで夜景でも見ててよ。あと、耳ふさいでて」


 カップルらしい若者にそう告げ、リエリーは一気に駆け出す。

〈ギア〉のサポートを受けるまでもなく、船のサイドデッキから悲鳴が伝わっていた。二名が川に落ち、岸を目指して泳いでいく。そのフォームと、〈ギア〉越しにスキャンした生体情報バイタルから、救助の優先順位は低いと判断し、リエリーは人混みを掻き分けて船内へ踏み込んだ。


「……まじか」


 船室の中央に、目当てのターゲットがいた。

 天井を擦るほどの長身に、漆黒灰の獣毛に包まれた、やつれた巨躯。

 が、リエリーが思わず声を漏らした理由は、別にあった。


「――っと。こいつは眩しいな」

「うん。あれってさ……」


 遊覧船を揺らしながら、反対側のサイドデッキから船内へ入った、もう一つの茶黒い巨体。

 確信を確認すべく、問いかけたリエリーに対し、茶黒い巨体――マロカは、その狼貌ウルフフェイスを大きく縦に振った。


「ああ、威療助手レジデントリエリー。非凶暴性に、頸部後屈の固定、蛍光性の体毛。特徴が全て一致するな。核反転感情コアエモ、〈恍惚エクスタシア〉に間違いない」

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