「あ、あんたは……!?」
遊覧船の船首、その操舵室の覗き窓をノックしたマロカは、鉄扉越しに動いた船長らしき壮年男性の唇の動きから驚愕の表情を見て取っていた。
(やはりな)
ドアを開けるべきか、逡巡する素振りを見せる男性に対し、マロカは屈んで自らの胸元、
「し、知らなかったんだ、私は!」
「通報義務のある乗客を乗せたことをか? 要注意人物のリストは、すべての公共交通機関に行き渡っている、船長。リストを見ていないというなら、それはそれで問題になるが」
「し、しかし、彼は物腰が穏やかで、とても“染まる”ような人間には……」
「すべてのスペクターが凶暴というわけではない。同じように、変異前の人間からその兆候は確認できん」
うなだれた船長に対し、「当局に通報してくれ。それから船を最寄りの停泊所へ」と指示する。なおも弁明を重ねようとする船長へ、マロカが一瞥をくれてやると、今度は大人しく操舵席へ戻っていった。
船長の処遇は、当局に任せればいい。理由が何であれ、彼があの“教祖”の乗船を許可したことはわかった。おおよその見当はつくが、涙幽者が関わらない以上、こちらが口出しすべきことではなかった。
(次は、乗客たちを安全に退避させることだが……)
幸い、〈
しかし、何かが頭に引っかかっていた。
ここまでの救命活動は、順調そのものだ。
ルヴリエイトが
(涙幽者はそれでいい。……だが、何かがおかしい)
自分は、何かを見落としている。
ほんの些細なことに違いないだろうが、救命活動ではその些細な見落としが、命を左右する。
ふいに、義理の娘の言葉が、頭をかすめていた。
――そんなの、臆病者がすることだよッ!
「臆病者……? そうか!」
陽炎よろしく、それまで掴み所がなかった思考の“点”が実体を取り、次なる点と線を結ぶ。
そうして導かれた懸念事項を
「リエリー、用心しろ。そっちに未覚醒の〈
『……』
「……リエリー? 応答しろ!」
普段なら、即時に返るはずの相棒の声。が、今は不通音だけが返り、何度コールしても変わらない。
救命活動の度、心の奥底に押し込めていた不安が、ムクムクと膨れ上がる。
「ルー! リエリーから応答がない! そっちから呼んでみてくれ!」
『ええ、わかったわ。……駄目ね、通じない。バイタルは正常だけれど、通信に出ないわ』
ルヴリエイトが言い終えるより早く、マロカは踵を返していた。
感情に呼応し、半ば自動的に発動した
「わ、私の船だぞ!?」
操舵室のドア枠を、粘土のようにひしゃげさせて飛び出す。
背後から伝わった船長の抗議の声は、稲光より速く頭から消え去っていた。