目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

威療士の使命

「――くっそ……っ! バイタル上昇、飢餓係数減少! 〈トランキライザー〉が効いてないぞっ!」

「クリス、押さえてて!」

「アンナ、クリス! もうすぐ枝部ネクサスだからな――」


 ハンドルを取られつつも、車体を安定させるべく、バーンズ・ゴトウ威療士レンジャーは、必死にアクセルペダルを踏みしめていた。


(なんでこんなことになったってんだ……っ! 相変異クラスシフトは、稀なんじゃなかったのかっ!)


 統合データーベース〈ミーミル〉からの予測通報は、ごくありふれた〈激怒レィザ〉の涙幽者スペクターのはずだった。

 実際、自分たちが現着したときには、涙幽者化の直後で、個有能力ユニーカも旋風程度のものだった。通報が早かったおかげで、軽傷者すら出なかった、安全な救命活動。

 何事もなく〈ドレスコード〉が完了し、あとはメディカルセンターへ搬送すれば一件落着――のはずだった。


「――――」

「クリス!? リーダー!! クリスが……っ!」


 禍々しい咆哮に続く、クルーの悲鳴。

 回顧から無理やり引き戻されたバーンズの思考が、その直前に耳を叩いていた、肉が切り裂かれる音の出どころを反射的に浮かび上がらせる。それが長年の相棒バディであり、チームを築いた以降は良きクルーとなり、何より愛する者の体から奏でられたものであると、培った経験が残酷に伝えてくる。

 チームリーダーとしての責務も、威療士としての使命も頭から消え、バーンズはブレーキペダルに足を置きかけた。


「……駄目、だ……いけ、バーンズ……ネクサスに、敷地に入、れ……ここじゃ、市民が……」



 そんな自分の迷いを察したように、苦し紛れなクリスの声が、背中を押していた。

 自分たちには、〈ドレスコード〉後にクラスシフトしたこの涙幽者を止める力がない。もし今、自分が救助車を止めれば、覚醒した涙幽者が自分たちを喰らい、車体を切り裂いて街に解き放たれる。通勤通学のこの時間だ。その先に待ち受ける悲劇は、想像するまでもない。


「おれたち、は……レンジャー、だろ……」

「……っ! すまない……っ!」


 足を踏み替え、ダッシュボードに並んだ非常警報を連打しつつ、がむしゃらに車体を加速させる。

 そうして、涙で歪んだ視界に、待ち望んだ枝部ネクサスのセキュリティゲートが映り込んでいた。

 警報が届いたのだろう。厳重に封鎖されている幾重ものゲートが、すべて開いている。――が。


「なんであんなところに子どもがいるっ?!」


 ファーストゲートの奥、セカンドまでの中間あたりの道路に、モスグリーンの小柄な人影が見え、バーンズは絶望で唇を噛み切っていた。

 市民の被害を防ぐためにクルーが犠牲になったというのに、目の前では仁王立ちした子どもが行く手を塞いでいる。

 もはや、衝突は避けられそうもなく、バーンズはただ己の不甲斐なさを呪う。

 声が聞こえたのは、そのときだった。


「――立て、波風ウィンドボーンッ!!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?