「――――」
「……あたしに挑戦したいわけ、“
悠然と宙空に佇む、漆黒灰の巨躯――
異常な新陳代謝を示す極端に速い呼吸が、痩けた胸部を激しく上下させ、泣き濡らした痕が残る
(落泪が止まってる。クラス2にシフトしたってわけか)
それで合点がいった。
この涙幽者の〈ドレスコード〉を担当したのだろう威療士3名とも、開花した〈バッズ〉を胸元に着けているのを、リエリーは見て取っていた。つまり、
威療士が3名もいて、涙幽者1人に手こずっているのが謎だったが、クラスシフトした涙幽者が相手なら納得がいく。
クラス2の涙幽者には、最低でも5名以上の威療士が対応する。それが、
それだけではない。
クラス2の涙幽者には、もう一つの特例が適用される。
(即応チームがきたら、
〈ギア〉が無くとも、串刺しにされた威療士2名が危篤状態であるのは、一目瞭然だった。〈ユニフォーム〉によって、かろうじて生命維持が成されているのだろうが、あれだけ破損している以上、そう長くは持たない。
既に背後、枝部搬入口付近から、即応チームの慌ただしい足音が聞こえていた。
どのみち、残された時間はなかった。
「――――」
「勝手に“いただきます”すんなッ、よッ!」
猛烈な飢えを満たすため、深紅に染まった巨大な口を振り上げた涙幽者に、リエリーは思考を停止して吶喊する。
続けざまに小型の竜巻を二つ作り上げ、涙幽者目掛けて投げ付けた。
が、案の定、咆哮に込められた同じ風の
そのわずかな隙で充分だった。
「――――」
「風は、こう使うんだよッ!
左の拳に集結させた、大気の塊。それを槍の形状に変形させ、涙幽者の懐に潜り込んだ。すかさず拳を突き上げると、鋼鉄を凌駕する硬度を持った風の穂先が、痩けた胸郭を直撃した。
風の密度を上げれば、本物の槍よろしく体躯を穿通できるが、それでは生命無力化と変わらない。
だから、敢えて威力を落とし、鈍器として叩き込むことで、涙幽者の動きを止めることに集中させた。
「――――」
「
リエリーの強打を受け、体勢を崩した涙幽者が落下軌道を取る。その隙を見逃さず、リエリーは両手それぞれの人差し指で円を描くと、涙幽者の肩へと
「――――」
「あとでスペドクが引っつけてやるから――?!」
狙い通り、涙幽者の両腕が胴から切り離され、威療士と落下する。威療士の体には風を幾重にも纏わせてあり、この高さから落下しても問題ない。
残すは、涙幽者の無力化のみ。注意しなければならない人質が解放できた今、涙幽者を地面へ叩き付け、フィニッシュを決めればいい。――頭の中でそう組み立てたプランが、視界の端に捉えた極小の光点によって瓦解した。
「――――」
「狙撃?!」
ドスッ、という鈍い音が頭上で響き、血潮が顔に降りかかる。
見開いた目の先、1メートルを超す長大な銀の針が、涙幽者の胸に突き立っていた。
ほとんど同時に、イヤコムへ聞き慣れない声が、愉しげな注意を飛ばしてくる。
『――貫通させないよぉにネ』
「わぁってるし!
意識を失ったらしい涙幽者を宙で仰向けにさせ、まずは自らの踵で地面を踏んだ。そのまま中腰を取り、腕を伸ばして涙幽者の巨躯をゼロ速度で着地させる。涙幽者の心臓に寸分違わず突き刺さった銀の針――〈ハート・ニードル〉が、鎮静剤の投与完了を報せる電子音を立てると、自動的に跳ね落ちた。今まで一度も見たことのない形のニードルだった。
そうして、到着した即応チームが周囲を取り囲む中、リエリーは枝部の搬入口から悠々と歩いてくる人影から、目が離せないでいた。