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The Guest will be back.

 広大な枝部ネクサス内の廊下をいくつか曲がり、カニンガムは、二人の少女を自身の席へと案内する。

 最後の廊下を抜けると、目の前に合州国議事堂に匹敵する巨大なドーム状の空間が姿を現した。


「ひぇ~。エウコリンの3倍はあるじゃ~んここ! さっすが、カシーゴ・レンジャーネクサス中央救命指令センター3Com

「ウチの“スリーコム3Com”は全米最大だし、最強だから」

(やっぱり嬉しそうですわね)


 背後から聞こえてくる、少女たちの会話。その片方が、懸命に無感情を装っているのが健気に思えて、前を歩くカニンガムの口角が、つい吊り上がってしまっていた。

 歴戦のプロとは言え、リエリーも十代の少女には変わらないのだ。

 救命活動ばかり見ていると忘れてしまいそうになるが、あの歳なら、学校に通い、友人たちと笑い合っている年頃のはずなのだ。それが、リエリーの場合、昼夜を問わず街中を駆けずり、危険な涙幽者スペクターの相手をしている。

 本人が強く望んだ道だとしても、人生の先達として、と、カニンガムは時々ならずとも考えてしまう。


「……では改めて。レジデント・リエリー・セオーク、本日のご用件は何でしょう?」

「いやさ。だからなんで、ついてきてんの」

「冷たぁ~い! わたし、泣いちゃうゾ?」


 オペレーター席に腰を下ろし、机上のホロキーボードへ指を走らせる。ついで、瞬時に宙へと浮かび上がったディスプレイに素早く目を通し、優先すべき連絡事項の有無を確かめた。数十分前に整理したばかりの受信トレイには、既に十数件の新規メッセージが蓄積していたが、どれも緊急性は高くない。


「ちょっとカミカミ、いまのみた?」

「レンジャー・サイナスには自由行動が認められていますわ」

「フリーダム、最高ぅ! ででで、リエリー・セオーク。チーフに何を訊きたいの?」


 デスクに肘を突き、両手に顎を乗せた威療士の少女が、ニコニコと威療助手の少女を見つめる。あざといには違いないのだが、何気に、デスクの端に寄っているあたり、すべて計算ずくであることが窺える。


(ソロレンジャーは変わり者ばかりではない、というわけですのね)


 他方、珍しくリエリーは目を泳がせていて、動揺を隠しきれていない。

 ディスプレイを眺めるフリをしつつ、二人のやり取りを眺めていたカニンガムは、得意のポーカーフェイスの下で笑みを堪えるのに必死だった。

 そんなカニンガムの努力など、気付いてもいないだろうリエリーは、少しの逡巡の後、諦めたように腕のコンソールを叩いて言った。


「……ライセンス受験届ってさ、まだ出せない?」

「一度、拝見しますわね」


 おずおずと尋ねたリエリーに対し、カニンガムは事務的な返事を伴って、ホロキーボードを叩いた。

 たちまち表示された『AIR Ventriculocentesis Ranger License Examination Application Form』をシステムが検出し、記入事項の正誤がチェックされていく。


(1カ月間の平均出動回数102回、過去5年間に〈ドレスコード〉したスペクターが1200あまり。その過半数で、同伴レンジャーによる指導下の完全代謝前の直心穿通に成功。……改めて見ると、言葉も出ませんわね)


 控えめに言っても、リエリーの実績は桁違いだ。熟練の大人数威療士チームでさえ、チーム全員の実績を合計しても、これには遠く及ばない。それは、あの〈戦錠バトルロック〉が相棒であることを差し引いても、到底、ペアの威療士が叩き出せる数字ではなかった。

 ここカシーゴではおおよそ知らぬ人はいない、“巨黒の威療士マッシブ・オブシディアン・レンジャー”、マロカ・セオーク。

 その救命スタイルから〈戦錠〉の異名を取る彼だが、その過去は枝部でも機密扱いに指定されている。彼の過去を知る者は、自分や枝部長以外、ほんの一握りだ。

 が、過去を知らずとも、現在の実績だけを見れば、彼が伝説的な威療士であることを否定できる者はそういない。


(これでは、贔屓目でなくとも、挙げられたクレームが霞んで見えてしまいますわね)


 受験届の判定基準の一つ、『該当威療助手に関する第三者評価』――つまるところ、同僚の威療士たちによるリエリーの評価欄までスクロールしたカニンガムは、表情を変えずに心中で苦笑した。

 率直に言って、第三者評価は芳しいとは言いがたい。

 命令無視や器物損壊といった軽度な指摘から、〈ドレスコード〉の横取り、果ては、威療士に対する恐喝行為まで、この威療助手の少女に対する同僚たちのクレームは、枚挙に暇がない。テストの結果に喩えるなら、赤一色だ。

 にもかかわらず、受験届のチェックを完了したシステム――統合データベース〈ミーミル〉による相対評価の色は、グリーン。すなわち、受験資格有りだ。

 人間的な視座の一切を持たず、客観的評価のみに特化したアルゴリズムさえも、この問題児の実績は、マイナスの評価を補って余ると判断したことを意味している。

 ただし、受験届の備考欄には、『受理不可。要検討事項有』と、相反する結果が表記されていた。


「残念ですが、まだ受理はできませんわね」

「やっぱ、歳のこと?」

「ええ。貴方は、レンジャーライセンス受験資格の『16歳以上』を満たしていませんもの。その他の点では、オールグリーンですけれど」

「はー……。まだダメかー。あと2週間で16になるんだから、いいじゃん……」


 ズズーっと、デスクに突っ伏したリエリー。その頭へ、擦る手が伸び、慰めの言葉が続いた。


「わかる! わかるよぉ、リエリー・セオーク。わたしなんか、パフェを食べ過ぎてお腹を壊してなかったらぁ、今ごろ、だったんだしぃ? わたしが、最年少レジデントになってたんだしぃ?」

「……いちいち最年少、最年少って言うの、やめて。べつに、あたしはなりたくて最年少になったんじゃないってば」

「そうだよネ。リエリー・セオークにはぁ、もんネ。レジェンドの一言があればぁ、書類の受理なんてぇ、スッ、だしネ」

「……ちょっとまて。あんた、ロカ……レンジャー・セオークが、コネでも使ったって言いたいわけ?」

「そうは言ってないけどぉ。でもでも、実際のとこぉ、わたしたちの差って、1日だったわけでぇ?」

「言いがかりをつけんなよッ! ロカはそんなことしない――」


 養父の不正を疑われ、瞬間的に血が上るリエリー。

 立場上、口を出すべきではないのは理解していたが、アイサが嗾ける気だったのは見え見えだった。ならば、いちオペレーターではなく、一人の大人として諭すべきところだろう。

 そう考え、カニンガムが口を開きかけたところだった。


「――失礼、リエリー君、サイラス君。若い二人の熱い声が聞こえたものでね」

「ネクサスマスター……? なぜ、こちらに?」


 視界に、姿が映り込み、その片方が、普段と変わらない飄々とした声で仲裁に入っていた。

 リエリーとアイサがほとんど同時に振り返り、カニンガム同様、呆然とした横顔を浮かべる。

 それぞれに目を向け、最後に視線を交わしてきたハリスの目が、再びアイサへと向けられる。


「君なりのジョークなんだろうけどね、サイラス君。私の部下を謂われもなく批難しないでもらいたい。ブラックジョークは、ユーモアがないとな。でなければ、ただの戯れ言だ」

「フーン。カシーゴのネクサスマスターは、えこひいきだと聞いたんだけどぉ?」

「それは、君のところのネクサスマスターの言葉だな。ちょうどいい。君から、マスター・フローに伝えておいてくれないかい。論より証拠だと」


 ハリスの目がこちらを向き、アイコンタクトをしてくる。予測していたカニンガムは、既に呼び出しておいたデータに目を通しながら、読み上げた。


「『レジデント・リエリー・セオークは、レジデントライセンス考査において筆記試験を満点通過。実技考査において、過去最高のスコアを記録した。以上の点を鑑み、また昨今の時勢を考慮した結果、世界威士会AIRライセンス委員会は、同レジデントに迅速なライセンス付与を実施した』。……以上がAIRの通達ですわ。ご入り用でしたら、コピーをお送りいたしますわ」

「わたしはいらないけどぉ、エウコリン・ネクサスに送ってくれると、うれしーかも」

「承りましたわ」


 顎に指先を当て、小首をかしげてみせたアイサ。その反応を前にして、納得がいかないといった表情をリエリーが浮かべる。家族のことを暗に詰られて感情的になるあまり、それが相手の策である気付いていない。

 気持ちは理解できるが、ここで事を荒立てるのは相手の思う壺だ。

 その口が開くより速く、カニンガムはすかさず、ハリスへと水を向けた。


「ところで、ハリス・ネクサスマスター。そちらのお客様は、記憶があるのですけれど、わたくしの手違いでしたかしら」

「実はだね――」


 そうして説明を試みるハリスの機先を制し、響くようなアルトの声質が、鋭く遮った。


「――帰ったとも、チーフ。そして今しがた戻ったところだよ」


 限りなく灰色に近い隻眼が、一切の感情を浮かべることなく、こちらを見据えてきていた。

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