「――っ?!」
その言葉は、リエリーの意表を突くのに充分すぎる一言だった。
「……あんた、ロカを……マロカ・セオークを知ってるわけ?」
辛うじて絞り出した自分の声は、かすかに擦れていた。それを情けないと感じながらも、尋ねずにはいられなかった。
マロカは、自身の過去を語りたがらない。もちろん、自分を拾った後の日々は思い出話として、よく話題に上っている。
が、それ以前――リエリーが知る以前のマロカについてのこととなると、途端に養父の口が重くなる。その様子は、話したくないというより、何を話せばよいのかわからないような、困惑の色が濃かった。だから、リエリーも訊かないことにしたのだ。
マロカの過去で知っているのは、かつても
(けど、この人は昔のロカを知ってる……!)
「無論、知っているとも。彼の貢献を知らぬ者など、この業界にはいまい。偉大なレンジャー
「……だった、ってどういう意味。ロカは、いまだって一流だよ」
「貴官は、在りし日の彼を見ていない。もし目にしていれば、考えも変わる」
ただの褒め言葉だと、理解していた。
それはわかっているのだが、この制服は確実にマロカを知っている。
自分を拾ってくれたマロカの過去が、知りたかった。
共に歩んでいない、その空白を、少しでも埋めるために。
「もっとロカのこと、おしえて――」
が、一歩を踏み出したリエリーを遮るように、制服は再びこちらへ背を向けると、こう言った。
「――父上に伝えてほしい。
「まってよ! それはどういう意味! にげんなッ!」
何としてでも、聞き出さなければならない。
見計らったように
「よしたまえ、レジデント・リエリー。君が何と言おうが、彼女に話す気がないのなら、無駄なことだ」
「なんで止めんのさ、ハリハリ! じゃ、ハリハリは知ってるってわけ?」
「前にも言ったがね、レンジャー・マロカに関しては、君が知る以上の情報を私たちも持たないんだ。私だって、ジェーンの言葉は気になるよ。初耳でもある。しかしだ。彼女のことは、忘れたほうがいい。悪いことは言わない。私を信じてくれるなら、先のやり取りは、忘れてくれ。わかってくれるね?」
肩に置かれた、細身の手。自分がもっとも信頼する分厚い手とは似ても似つかないが、この手が、自分たちに居場所をくれたことは忘れていないし、忘れてはならない。
「……わぁったよ。ハリハリがそう言うなら。けど!」
「新しい情報を手に入れたときには、真っ先に君へ連絡する。約束だからね」
「うん。ならいい」
「フーン。なんかぁ、仲イイオーラが出まくってるんだけどぉ? 上官と部下がそんなんでいいのぉ?」
「これが私のやり方だからね。力で押さえ付けたところで、信頼関係など築けるはずがないからな。それと、だ。私がレジデント・リエリーに指示した内容は、君にも当てはまる、サイラス君」
「なんのことー? わたし、権力者のつまんないおしゃべりを聞いてるとぉ、眠たくなっちゃうんだよネ」
「と言う割には、先からコンソールに齧り付いているように見えるんだが」
「わたしってぇ、メモ魔だからぁ」
「客観的なメモだといいんだが。……さてと。これで、ようやく仮眠を取れるな。ハスキーラ君、午後までスケジュールを空けておいてくれ」
「残念ですが、ネクサスマスター。予算会議が二件、予定されていますの。マスターの出席がないと、レンジャーの皆さまにお給金をお支払いできなくなりますけれど、いかがなさいますか?」
意気揚々と息を吸ったハリスが、秘書の無慈悲な通告によって、咳き込みを余儀なくされる。枝部長という肩書きも楽ではないものだと再認識しつつ、リエリーはサムズアップを向け、「ドンマイ」と言ってやった。
「……私の代わりに、いい一日を過ごしてくれ、リエリー君、サイラス君」
「うん、わぁった。いまから、ほかのレンジャーたちの救命活動をみてくるから――あ」
言った矢先、指令センターの天井を囲う間接照明が蒼く点滅し始めるのが目に入った。出動要請の合図だ。
案の定、イヤコムに手を当てたカニンガムが、素早くコンソールを叩き、指示を出していく。
それが一段落ついたのを見計らって、リエリーは即座に尋ねた。
「場所は? あたし、レジデントとしてきてることになってるから、共有できるよ」
「そうでしたわね。現場はマキュレット・パーク、モンロー・ストリート10番地。〈ミーミル〉による予報通報ですわ」
「てことは……“ピザ屋”の担当!」
「もしかしてぇ、カシーゴじゃあ、レンジャーはピザショップを兼業してるの?」
「シュリシュリんとこは、特別。んじゃ、見学いってくる」
「レジデント・リエリー。わかってるとは思うが、今の君は――」
「――見るだけだってば。手は出さない、口にはチャックしとく。それでオーケー?」
「よろしい。報告会に君がいないことを期待しているよ? サイラス君。うちのレジデントを頼んだよ」
「ハイハーイ! ばっちりストーキングしまぁーすぅ!」
「はぁ?! ついてくんの?」
「だってぇ、わたしの自由だしー?」
「では、後は若者同士で仲良くやってくれ」
カニンガムを伴い、背を向けるハリス。その背を恨めがましく睨み付けるが、当然、振り返る気配はなかった。
そのまま視線を隣へ移すと、ウェスタンな格好の威療士の少女がウインクを飛ばしてくる。
「……振り切られても泣きつくなよ」
「イェーイ! ファーストと救命デートだぁ!」
「で、デートじゃないしっ!」
火照った顔を見られないよう素早く背を向け、リエリーは風を纏って駆け出す。
向かうは、
* * *
「――
風を纏い、威療士枝部から飛び出していったその人影を車窓から眺めて、彼女は小さく笑いをこぼしていた。
聞く者によっては皮肉とも、感心とも、はたまた悲哀とも受け取れる、その独特な微笑を聞く者は、ここにいない。
立場上、護衛を同伴させなければならないから呼んだだけで、既に彼らは帰している。
完璧な密閉性を誇る愛機の車内には、限りなく抑えたAGエンジンの高周波音だけが微かに木霊し、自分が握るハンドルは、体に染み付いた姿勢維持制御テクニックによって、大地からわずかだけ浮き上がり、宙空にあるとは思えない制動性を保ち続けている。
「貴殿なら理解してくれると、信じているぞ。――
自身へ言い聞かせるようにして言葉を紡ぎ、ハンドルを若き威療助手の少女の進行方向とは真逆に切る。
そうしてペダルを踏み込むと、心地よい静かな加速感が痩身を包みこんでいた。