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養父の名を知る者

「――っ?!」


 その言葉は、リエリーの意表を突くのに充分すぎる一言だった。


「……あんた、ロカを……マロカ・セオークを知ってるわけ?」


 辛うじて絞り出した自分の声は、かすかに擦れていた。それを情けないと感じながらも、尋ねずにはいられなかった。

 マロカは、自身の過去を語りたがらない。もちろん、自分を拾った後の日々は思い出話として、よく話題に上っている。

 が、それ以前――リエリーが知る以前のマロカについてのこととなると、途端に養父の口が重くなる。その様子は、話したくないというより、何を話せばよいのかわからないような、困惑の色が濃かった。だから、リエリーも訊かないことにしたのだ。

 マロカの過去で知っているのは、かつても威療士レンジャーを務めていたこと。そして、今と同様に腕が良かったということ。リエリーにとっては、それで充分だった。威療士としては充分だが、養娘としては知りたいことが山ほどあった。


(けど、この人は昔のロカを知ってる……!)

「無論、知っているとも。彼の貢献を知らぬ者など、この業界にはいまい。偉大なレンジャーのだからな」

「……だった、ってどういう意味。ロカは、いまだって一流だよ」

「貴官は、在りし日の彼を見ていない。もし目にしていれば、考えも変わる」


 ただの褒め言葉だと、理解していた。

 それはわかっているのだが、この制服は確実にマロカを知っている。

 自分を拾ってくれたマロカの過去が、知りたかった。

 共に歩んでいない、その空白を、少しでも埋めるために。


「もっとロカのこと、おしえて――」


 が、一歩を踏み出したリエリーを遮るように、制服は再びこちらへ背を向けると、こう言った。


「――父上に伝えてほしい。えにしとは実に、不可思議なものだと」

「まってよ! それはどういう意味! にげんなッ!」


 何としてでも、聞き出さなければならない。

 見計らったように枝部ネクサスの正面入り口へ、黒塗りの〈ビークル〉が降り立ち、制服を取り囲むように、一目で護衛とわかるスーツ姿が何人も警戒の目を周囲へ向けていようと、リエリーは紺碧制服の意図を聞き出すつもりだった。――だが。


「よしたまえ、レジデント・リエリー。君が何と言おうが、彼女に話す気がないのなら、無駄なことだ」

「なんで止めんのさ、ハリハリ! じゃ、ハリハリは知ってるってわけ?」

「前にも言ったがね、レンジャー・マロカに関しては、君が知る以上の情報を私たちも持たないんだ。私だって、ジェーンの言葉は気になるよ。初耳でもある。しかしだ。彼女のことは、忘れたほうがいい。悪いことは言わない。私を信じてくれるなら、先のやり取りは、忘れてくれ。わかってくれるね?」


 肩に置かれた、細身の手。自分がもっとも信頼する分厚い手とは似ても似つかないが、この手が、自分たちに居場所をくれたことは忘れていないし、忘れてはならない。


「……わぁったよ。ハリハリがそう言うなら。けど!」

「新しい情報を手に入れたときには、真っ先に君へ連絡する。約束だからね」

「うん。ならいい」

「フーン。なんかぁ、仲イイオーラが出まくってるんだけどぉ? 上官と部下がそんなんでいいのぉ?」

「これが私のやり方だからね。力で押さえ付けたところで、信頼関係など築けるはずがないからな。それと、だ。私がレジデント・リエリーに指示した内容は、君にも当てはまる、サイラス君」

「なんのことー? わたし、権力者のつまんないおしゃべりを聞いてるとぉ、眠たくなっちゃうんだよネ」

「と言う割には、先からコンソールに齧り付いているように見えるんだが」

「わたしってぇ、メモ魔だからぁ」

「客観的なメモだといいんだが。……さてと。これで、ようやく仮眠を取れるな。ハスキーラ君、午後までスケジュールを空けておいてくれ」

「残念ですが、ネクサスマスター。予算会議が二件、予定されていますの。マスターの出席がないと、レンジャーの皆さまにお給金をお支払いできなくなりますけれど、いかがなさいますか?」


 意気揚々と息を吸ったハリスが、秘書の無慈悲な通告によって、咳き込みを余儀なくされる。枝部長という肩書きも楽ではないものだと再認識しつつ、リエリーはサムズアップを向け、「ドンマイ」と言ってやった。


「……私の代わりに、いい一日を過ごしてくれ、リエリー君、サイラス君」

「うん、わぁった。いまから、ほかのレンジャーたちの救命活動をみてくるから――あ」


 言った矢先、指令センターの天井を囲う間接照明が蒼く点滅し始めるのが目に入った。出動要請の合図だ。

 案の定、イヤコムに手を当てたカニンガムが、素早くコンソールを叩き、指示を出していく。

 それが一段落ついたのを見計らって、リエリーは即座に尋ねた。


「場所は? あたし、レジデントとしてきてることになってるから、共有できるよ」

「そうでしたわね。現場はマキュレット・パーク、モンロー・ストリート10番地。〈ミーミル〉による予報通報ですわ」

「てことは……“ピザ屋”の担当!」

「もしかしてぇ、カシーゴじゃあ、レンジャーはピザショップを兼業してるの?」

「シュリシュリんとこは、特別。んじゃ、見学いってくる」

「レジデント・リエリー。わかってるとは思うが、今の君は――」

「――見るだけだってば。手は出さない、口にはチャックしとく。それでオーケー?」

「よろしい。報告会に君がいないことを期待しているよ? サイラス君。うちのレジデントを頼んだよ」

「ハイハーイ! ばっちりストーキングしまぁーすぅ!」

「はぁ?! ついてくんの?」

「だってぇ、わたしの自由だしー?」

「では、後は若者同士で仲良くやってくれ」


 カニンガムを伴い、背を向けるハリス。その背を恨めがましく睨み付けるが、当然、振り返る気配はなかった。

 そのまま視線を隣へ移すと、ウェスタンな格好の威療士の少女がウインクを飛ばしてくる。


「……振り切られても泣きつくなよ」

「イェーイ! ファーストと救命デートだぁ!」

「で、デートじゃないしっ!」


 火照った顔を見られないよう素早く背を向け、リエリーは風を纏って駆け出す。

 向かうは、愛車グライダーを預けたジムの警備室だ。


 *   *   *


「――、か。なるほど、懐かれたものだな」


 風を纏い、威療士枝部から飛び出していったその人影を車窓から眺めて、彼女は小さく笑いをこぼしていた。

 聞く者によっては皮肉とも、感心とも、はたまた悲哀とも受け取れる、その独特な微笑を聞く者は、ここにいない。

 立場上、護衛を同伴させなければならないから呼んだだけで、既に彼らは帰している。

 完璧な密閉性を誇る愛機の車内には、限りなく抑えたAGエンジンの高周波音だけが微かに木霊し、自分が握るハンドルは、体に染み付いた姿勢維持制御テクニックによって、大地からわずかだけ浮き上がり、宙空にあるとは思えない制動性を保ち続けている。


「貴殿なら理解してくれると、信じているぞ。――比類なき救人ピアレス・レンジャーどの」


 自身へ言い聞かせるようにして言葉を紡ぎ、ハンドルを若き威療助手の少女の進行方向とは真逆に切る。

 そうしてペダルを踏み込むと、心地よい静かな加速感が痩身を包みこんでいた。

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