「ママは、どうしたの? お姉ちゃんたち、だあれ?」
「わたしらは、威療士、で……」
無垢な瞳から、問いかけられる、純真な疑問。その問いに、だがティファニーは口が回らない。
おそらく家の裏手にいるという家族を心配し、女性は急いで向かおうとしたのだろう。それは当たり前の反応だ。
が、自分はそれを止めた。半ば無理やりに薬を打って、眠らせた。
それが救命活動における威療士としての権限に則った正規の対応だとしても、幼子たちが見ている前で自分が彼らの母の意識を奪ったことには変わりない。リーダーたちが向かっている家の裏手に出現した涙幽者が、仮に一家の父親だったとしたら、自分は彼らから両親を取り上げたことになる。――かつて、自分がそうされたように。
(わたし、は……)
幼い子らの母親を眠らせ、父親を拘束する。
完全に涙幽者へと変異していれば、父親が再び目を覚ます可能性は低い。それを知った母親は、ひどく嘆き悲しむだろう。もし、その激情がトリガーとなり、母親までも涙幽者と化すれば、姉弟とおぼしいこの子らは、一気に両親を失うことになる。
そうして、涙幽者の両親を持つことになった姉弟は、〈ビーコン〉を埋め込まれ、生涯そのレッテルと向き合わなければならない。
自分は縁に恵まれ、威療士としての道を歩み出せた。だから今は、首の後ろに〈ビーコン〉を除去した痕しか残っていない。
が、そうでなければ、死ぬまで監視を受けることになる。
そんな姉弟の姿が見えた気がして、ティファニーは呼吸が浅くなった。
今すぐ、この場から逃げてしまいたい。
そんな自分の手を握り返す温もりがあった。
「――や、やあ。二人とも驚かせてごめんよ。僕は、エドゥアルド。こっちのクールなお姉ちゃんはティファニー。僕たちは、レンジャーなんだ。聞いたこと、あるかな。ママのことは、僕たちに任せて。疲れてたみたいだから、ティファニーお姉ちゃんがおねんねさせてくれたんだよ。ね?」
「そ、そうね。一時間もすれば起きるわ」
〈ギア〉と触診でもう一度、女性のバイタルを確かめ、ティファニーは今度こそ、姉弟の目を見てうなずきかける。
そのまま〈ギア〉越しにエドゥアルドを見上げ、唇だけを動かして感謝の言葉を形にした。
「お姉ちゃんたち、まっくろなこわいひとたちをつかまえるひと?」
「よく知ってるね。僕たちは、その人たちを助けるのが仕事なんだ。けっこう上手なんだよ?」
「ママは、まっくろになっちゃうの?」
「それはわからない――」
「――そんなことにはさせないよ」
すかさず重ねられた相方の言葉が降ってきて、思わずティファニーはそちらを見上げる。エドゥアルドはこちらを見もせず、姉弟のほうへ進んでいくと膝立ちになって目線の高さを合わせた。
「ママは、僕たちが必ず助ける。だから、信じてくれるかな?」
「じゃあ、パパは?」
「パパは……まだおねんね中かな?」
「ううん。さっき、おしごとにいったよ」
「そっか。きっとクールなパパなんだろうね」
「うん、パパはとってもカッコいいんだよ」
「パパは“すたー・べーす”にいったよ!」
弟とおぼしい子が、無邪気に跳びはねてそう告げる。
その愛称が指すものは街にただ一つしかなく、携行している浮遊担架に意識がない女性を移乗させたところだったティファニーは、その言葉にハッとした。
「……もしかして、アナタたちのパパって、レンジャーだったりする?」
「ちがうよ。パパは、ほんぶでおしごとしてるんだ」
「リーダー! こちらティファニー!」
『ええ、聞きました。ブランドンがいま、その子たちの父親は〈ネクサス〉の事務官であると照合しました。特権事項特例5条の適用を申請中です。本人はガレージにいるようですが、
「事務官……」
『ケッ。よりによって、お偉方かよ。こりゃあ、やりづれぇな』
救命活動中は常時、共有回線になっている通信越しにリーダーの指示とマイクの舌打ちが返った。普段から冷静なリーダーの声が、少し強張っていた。
威療士ではないとしても、
そして、特例が適応された場合、間違いなく激しい抵抗に遭うはずだ。その光景を、家族に見られることだけは避けなければならなかった。
通信を聞いただろうエドゥアルドの腕を突くと、了承のうなずきが返る。そうして姉弟に目を戻したエドゥアルドが、二人の説得に取りかかる。
「パパはすごいな。それじゃあ、ティファニーお姉ちゃんとママと、病院にいこう。すぐ帰れるようにお医者さんにお願いしようね」
さりげなく姉弟の背後へ移動したエドゥアルドが、姉弟の視線を遮りながら移動を促す。涙幽者に最も近しい彼らは、真っ先に涙幽者の標的となる可能性が高い。そうなる前に、安全に避難させる必要があった。
「ぼく、おもちゃとってくる!」
「あっ、まって!」
とことこと、素直に進んでいた弟が、唐突に踵を返して住居の奥へ駆けていく。とっさに伸ばされたエドゥアルドの手がスルリと空振りし、ティファニーの〈ギア〉には、裏手のガレージに接近しつつあるチームメイトたちの輪郭が映し出されていた。
時間がなかった。
「その子と母親をお願い!」
「ティファニー!」
見せてはいけない。
その焦りに焦がされながら、ティファニーは小さな背を追いかけた。